第16話 京都忍者屋敷『三条今川館』

永禄8(1565)年12月中旬 京都三条今川館

今川氏真



 師走に入った今月初め、京の屋敷の準備が整ったとのことで、伊豆から船で堺湊へ回りそして都ヘとやって来た。

 某に同行したのは、妻の春日(早川殿)と、自害で亡くなった武田義信殿に、嫁いでいた姉の嶺松院とその娘、香と初音。

 あと、その侍女らが5人と家宰の玄右衛門と郎党が3人。屋敷の常時警護は風魔の者達10名がおり、頭の名は蜷川藤十郎という。

 彼らはまた、某とは別に、京や畿内を探る役目も帯びている。


 屋敷は三条の鴨川に面しており、二階から一階の屋根上の縁台に出られる。京都の夏は蒸すので、ここで涼むのだという。

 この屋敷の台所には井戸があり、伊豆にもあったが手押しポンプで楽に水を汲めるし、湯風呂にも樋で流して汲むことができる。

 そんな便利なものとは別に、この屋敷には隠し戸やどんでん返し、隠し階段、隠し部屋吹抜天井の出入口などのからくりがあって、まるで忍者屋敷なのである。地下道の抜け道も屋敷の四方にある。

 隠し部屋には、鉄砲、火薬玉、刀剣などの武器もあり、普通の屋敷を装った城である。

 某もまだからくりを覚えきれぬが、5才の香と3才の初音は面白がり駆け回っておる。

 家人の前以外では、知られてはならぬと、きつく教えてあるがな。


 某は今、小太郎殿から渡された都の絵図に公家を訪ねては、場所の書込みをしている。

 町名を聞いて訪ね、町の境界を聞き取り、手土産を渡して世間話をして、訪ねた公家と交誼のある公家を紹介してもらう。

 手始めは親交のある公卿の冷泉家であったから、容易に回り先を得ることができた。

 公家はどの家も貧しく、風間家として持参した手土産が、たいそう喜ばれた。 

 初回に手土産としているのは、主に陶磁器の皿や茶碗などと羊羹などの甘味菓子だ。

 そして、某の正体と官位。今後は風間家の外交を為すと知ると、快く歌会などに誘うてくれると言うてくれた。



 今日は師走も推し迫った26日。冷泉為益殿に介添えして貰い、五摂関家を回った。

 二度目なので我が家のことは話題に上らず伊豆や駿河の民の暮しぶりを知りたがった。

 新築したばかりの木の香りただよう屋敷に帰ると、春日が迎えてくれた。


「殿、お疲れ様でした。夕餉の仕度が整っており、皆が待っていますよ。」


「そうか。皆を待たせてはいかんな。ちび達は腹を空かせておろう。はははっ。」


「ええそれはもう、殿を待ってるのか、夕餉を待っているのか分からないですわよ。

ふふふ。」

 

 伊豆で暮して以来、春日も姉上もずいぶん明るくなった。将軍家のご生母様や小太郎様の母君らにようして貰うたからな。

 伊豆での暮しも別格であったが、その暮しを京でも維持できるよう、ずいぶん配慮して貰うている。言う間でもなく京では別格だ。


「皆またせたな。外は雪も散らついておる。今宵は冷えるぞ風邪など引かぬように致せ。 

 それでは夕餉に致そう。」


 今日の夕餉は、白米に鯖の味噌煮、ふろ吹き大根と蒲鉾、葱の煮浸し、それに蓴菜じゅんさいの澄まし汁と茄子の漬物だ。

 下手をしたら、帝より豪華な夕餉かも知れぬ。新鮮な魚や貝を二日に一度、堺の商人が手配してくれているのだ。


「殿、この大根はこおり大根で、葱は九条葱、漬物の茄子はもぎ茄子と言って、皆京の野菜よ。警護の人達が出先から持ち返ってくれたの。京の野菜を知ってほしいからですって。いい方ばかりだわ。」


「氏真殿、嫁御はこの屋敷で一番若くて美しいからのぉ、皆が声を掛けて欲しゅうて土産などで機嫌を取っておるのじゃ。」


「まあ、母上。私だってお土産をたくさんもらってますわよ。」


「嶺松院は孫達のついでじゃろ。ほほほ。」


「「「まあ、そんなっ。あはははっ。」」」


「香と初音は、初めての京の冬だ。寒うはないか。」


「大丈夫ですっ、伊豆から持って来た布団があるし、この羽毛の羽織がありますから。」


「むむ、香。それはそんなに暖かいのか。」


「はい、とても暖かくて軽いのです。これを着て、初音も走れるのです。」


「それはまあ、それほど軽いと言うことだの。だが家の中を走ってはいかぬぞ、誰かとぶつかって怪我をしていかぬからな。」


「「は〜い。」」


「まあ、殿の言うことは聞くのですね。母の言うことは、ちっとも聞かぬのに。」


「義姉上様、この娘達には殿が父親なのです。それも娘には、とてもあま〜い父親なのでございますよ。私も妬けるくらい。」


「「「まあ、お方様っ。」」」


「「ほほほほ。(くすくす。)」」


 

 我が家では家族と侍女がここで。別室だが郎党や下働きの者達も同じ食事を取る。

 たまの晩酌は某と郎党達が食事の後でやるがな。都で伊豆の澄酒が豊富に飲める家など我が家以外にはないぞ。

 警護の者達は、決まった時刻には食事をせぬ。その時刻を狙われる危険があるからだという。だから、台所にはいつでも食事ができるようにしてある。




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永禄8(1565)年12月中旬 京都三条今川館

蜷川藤十郎


 風魔探索組、それが元藤原一族の風魔忍びの呼び名だ。今年春から畿内の探索をすることになり、1年交代で当たることになった。

 そして、京の三条に今川氏真殿が屋敷を構えて公家や商人達と接し、表の探索をされることになった。

 我らも屋敷の警護を兼ねて京の拠点とすることになり、師走の氏真殿入京と共に移って来たのだ。

 この屋敷の建築にあたっては、伊豆の風間一族の源吾殿を頭とする職人組がやって来て行ったのだが、隠し戸、隠し階段、隠し廊下隠し部屋、吊り天井などの忍者屋敷になっていて驚かされたわ。

 この屋敷であれば、どんなに多くの軍勢がやって来ても、時間を稼いで氏真殿らを逃がすことができる。

 

 屋敷の警備は、俺達だけではない。目に見えない光で遮る者を感知し警報が鳴るのだ。

 夜間は強力な光線ライトで侵入者を照らす。

 また、屋根や塀の所々には、鳴り板の仕掛けがあり、触れるとけたたましい音が鳴る。

 屋敷にはわざと誘い込む罠の廊下があり、暗がりの奥に鏡張りの壁があって、侵入者は鏡に写った自分を敵と誤認して、別の罠に掛かる仕掛けもある。

 屋敷の囲む塀は、表面は土壁だが中は石灰練岩コンクリートで壁に穴を開けて侵入することは困難である。



 永禄の変以後の幕臣達の動向を探っていた者から報せが入った。

 生き延びた旧臣一色藤長、細川藤孝達は、将軍足利義輝様の行方が不明なため、興福寺に軟禁されている義輝様の弟の覚慶殿を救出する計画を立てているとのことだ。

 その計画には、和田惟政という甲賀者が関わっている。

 これは、小太郎様に報せ、指示を仰がねばならぬ。




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永禄8(1565)年12月下旬 伊豆国下田城

風間小太郎


 

 畿内探索組の藤十郎から報せが来たと、探索組頭の靖国から報告があった。

 幕臣達が興福寺から義輝様の弟君の覚慶殿を救け出すつもりらしい。


「覚慶殿は、松永久秀にとって切り札として重要です。安全は確かでしょう。」


「うむ、幕臣どもめ、儂の行方知れずをいいことに、今度は覚慶を傀儡にするつもりじゃな。」


「今、幕臣達に義輝様がここにいるのを知らせれば、これ幸いと我らを利用しようとしてくるでしょう。」


「あ奴らは、余計な邪魔立てにしかならぬ。最後は儂に腹を切らせて、自分達は生き延び、次の足利将軍を立てれば良いと思うておる奴らだからの。

 小太郎、覚慶の逃亡をじゃまできるか。」


「う〜ん、相手は甲賀者。風魔が関わったと知れるのはまずいですし、何か策を考えます。」



 幕臣達に潜り込ませた間者が覚慶逃亡の日を探り出した。大晦日の除夜の鐘が鳴る頃。

 うまい手だ。その時刻、僧侶達は皆読経を上げている。覚慶がどこにいるかなど、分からないだろう。

 

 とうじゅうろうは、甲賀者達と同じ手を使った。覚慶殿が自分の庵から出て読経に向かうのを先回りして、甲賀者より早く寺の僧に扮して声を掛けた。


「覚慶様、明日は新年。松永様から覚慶様に新年に相応しきお召物が届いてございます。お着替えをなされませ。こちらでございます。」


「おお、着替えた着物はどうするぞ。」


「拙僧が覚慶様の庵に届けておきまする。」


 そうして、買収した身代りの若い僧侶に、覚慶の僧衣を着せ、できる限りの間、多勢の中にいるようにいい含めて送り出した。

 僧侶に紛れた甲賀者は、なかなか偽の覚慶に近づくことができずにいたが、ついに痺れをきらして偽の覚慶に『覚慶様っ。』と呼び掛けて近づいた。

 周囲の者達は、覚慶でない僧に近づく者を即座に覚慶を狙う狼藉者として捕縛した。

 以後、松永久秀は一層警護を厳重にした。



 覚慶の逃亡はこうして失敗したのである。

藤十郎から策は成功したとの報せがあった。 

 覚慶に用意した、新年を迎えるに相応しい僧衣は、伊豆で作った裏表が着れる(リバーシブルの)僧衣で、外側は普通の地道な僧衣だが、内側には金糸と銀糸で鶴と亀の刺繍が施された見事な着物であった。

 騒ぎになっては憚れるからと、庵に帰ってから、裏返して着るように言ったのは言うまでもない。


「不忠の幕臣どもめに、ひと泡吹かせてやったわ。小太郎ようやった。次も頼むぞ。」



 えっ、これ連続するの。『将軍義輝のお仕置き』とか、シリーズ化しないよね。

 どうせするなら『風魔忍者 藤十郎』とかの方が、ヤッターマンのお仕置きと間違えられなくて、いいと思うのだけれどっ。

 あれっ俺、未来人の人格になってないか。

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