第10話 隣領友好と『南蛮奴隷奪回』

永禄5(1562)年3月中旬 伊豆国下田城

風間小太郎



 伊豆の春は早い。暖流の黒潮が沖合を流れているからだ。真冬には7度にも冷える日があるが、2月に入ると木々が芽吹く。

 伊豆に接する隣国との関係だが、北条家とは小田原城の包囲を破るのに加勢して以来、心強い味方と思われているのか、良好で争いは起きていない。

 今川領だった駿河国駿東郡は、伊豆譲渡の際に北条家の領地となっているので、伊豆領と今川領は隣接してない。

 ただ、俺達が領地を広げるには、隣接するこの地域ははずせない。


 駿東郡の人口は、11,000人程と推計される。9割が米作農民で漁業専業は極わずか、おかげで冷夏の被害をまともに受けた。

 それで、駿東郡の土豪達には国替え直後の飢饉の時期から、秘密裏に、米以外の蕎麦や根菜類の食料を援助してきた。

 大量に与えた蕎麦は、麺にした切りそばを茹でた食べ方や魚醤の作り方も教えた。

 彼らには隣地の伊豆の民から伝わったことにさせた。

 蕎麦には、山芋や山わさびを入れると味が良くなるとも教えた。夏は冷たい盛り蕎麦、冬は熱いかけ蕎麦だ。


 飢饉が終った昨年は、既に北条に教えている米の正条植えを指導し、平年並の年ながら2割の収穫増となったそうだ。

 今はその収穫で、酒や各種加工品、陶磁器の取引を通じて、便宜をはかって誼を通じている。

 その結果、機会があれば北条家より豊かな風間家に臣従したいとの意向が、土豪達にも領民にも根付いている。

 領民間でも、領民が自家消費する程度なら売っても良いと許可を出している。駿東郡の領民が飲む酒や食べる加工食品を安く分けてやる程度だ。

 農具や器具は禁じている。伊豆の以外の者に渡れば商人に売り捌いてしまうからだ。



 今は、周囲の大名家も伊豆には関わらず、落ち着いているようなので、鉱山の積極的な開発を始めた。

 実際には、北条家は上杉謙信の関東侵攻で奪われた旧領地の失地回復に躍起であるし、今川家も三河の独立裏切りで、内部に不安を抱えながら、三河東部でごたごたしている。

 で、我が伊豆への関心が薄く安泰なのだ。


 既に採掘をしている蓮台寺金山と土肥金山の他、下田海岸東隣の白浜の縄地金銀山と、大松金山。土肥金山の近くの清越金山。

 いずれも埋蔵量の多い金山を押さえた。

 鉱夫の棒禄は、他の仕事の倍額なので上野からの避難民や地元からも転職している。

 採掘した金は、地金で下田城の地下蔵に保管している。いずれ、金貨を造るために。


 

 水軍が行なっている水運業は、弥勒菩薩様から授かった船は表に出さず、関船を使って大湊や桑名と取引きをしている。

 関船は帆を改造し、綿布に蜜蝋を塗布した帆とした他、隠し横帆を付けて洋上では風上にも進める帆船にした。


 一方、キャラック船は、伊豆諸島の開拓に使っていて、開拓移民と1年間の賦役民を募り、開拓を図っている。

 支援物資の運搬などのために下田から2日に一度の定期便を運行をしている。

 一番近くの伊豆大島へは、下田から毎日、日帰りの定期航路を運行している。

 各島へは、米や調味料、農具や器具。麦や蕎麦、野菜の苗や種、セメントなどを持ち込み、港の防波堤や岸壁造りを進めている。

 島からは、今のところ大豆や里芋、魚介の干物や海藻加工食品、大島の椿油などだが、茶畑や大麦の栽培も進めているところだ。


 ガレオン船は、昨年3月の小田原城包囲網撃退作戦を終えたあと、三浦高明に命じて、東南アジアに行かせた。

 主目的は、砂糖キビ、薩摩芋、ゴムを手に入れること。

 付随して、じゃが芋、トウキビ、南瓜、椰子、ココナツ、パイナップルなどもあれば、入手するように指示した。

 琉球、台湾、フィリピン、インドネシア、マレー半島の順に行き、主目的が達成されたら引き返す。


 航海は、船にある羅針盤と高明の頭の中にある海図が唯一の頼りになる。

 初夏に出港させたのは、台風の季節を避けるためだ。帰りは翌春にするように言ってある。もしかしたら、もう目的を終えて帰還についている頃かも知れない。

 航海が無事に進んでいればならの話だが。


 そして、伊豆地元の水軍衆だった富永土肥守には、水軍副将として三浦高明不在の伊豆水軍の指揮を任せた。

 西浦江梨の鈴木繁定には、下田に造船所を築き、キャラック船を造るように命じた。

 実物を既に乗りこなしている繁定は、造りたくてうずうずしていたようで、1も2もなくそそくさと船大工集めに行ってしまった。 

 船大工より造船所の大工が先だと思うが。


 三津の松下勝之進には、伊勢の大湊や桑名との交易の指揮を取らせている。

 交易の航路で鯨を発見すると仕留めるまで追いかけてしまう、鯨馬鹿の悪癖があるが、俺が酒席で、鯨のベーコンを食べさせたのが原因らしい。

 そうそう、勝之進はとても重要な任務を行っているんだ。

 下田城の建設に使ったコンクリートだけど、伊豆に石灰鉱山はない。だから、源爺に貝殻の粉砕と焼却炉を作らせた。

 源爺は、水車で杵で突く粉砕と石臼で粉に引く設備を作り、焼却炉で焼き塩分の除去を可能にして、石灰を製造している。  


 で、勝之進は漁村を回って、貝殻の回収を行っているんだ。

 今では、漁村の子らが浜で貝殻拾いをしていい小遣い稼ぎになっている。

 それから、伊豆諸島の帰りの船でも運んで来ている。




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永禄5(1562)年3月下旬 琉球近海

三浦高明



 4月の初旬に伊豆下田を出港したガレオン船『天城』は、船倉いっぱいに水甕を積んで、最小人数の30人で航海に出た。

 それまで試験航海で黒潮海域までは出たが、本格的な長期間の航海は初めてだ。

 伊豆から最終目的地までの航海は、順調に行って丸2ヶ月だ。その間補給できる保証はなく、一番必要とするのは飲み水だ。

 船の艦橋の屋根は鉄板張りで、雨水を集め雨樋を通して船倉の濾過器に集めている。


 ポルトガルは、1510年にインドのゴアを翌年にマレー半島のマラッカを占領し、明から海賊を撃退した功績で、1557年にマカオに居留権を得て、同地にカピタン・モールという行政長官兼交易管理管を置いていた。


 日本への初接触は、1543年(天文12年)8月大隅国の種子島、西村の小浦に一艘の南蛮船が漂着し、100人余の乗員がいたが言葉が通じず、乗船していた明の儒者と筆談してある程度の事情を把握、島主の居城がある赤尾木まで曳航した。

 赤尾木に入港後、島の僧が儒者と筆談。

 この船に異国の商人が2人いて、実演した火縄銃2挺を買い求め、種子島の家臣が火薬の調合を学ばんだ。

 その後この鉄砲は、伊勢国の根来寺に求められ、家臣に1挺持たせて送り出した。

 さらに残った1挺を刀鍛冶を集め複製、新たに数十挺を作った。また、堺から銃の技術を得るべく刀鍛冶が種子島へとやってきた。

 この後、種子島の大隅国主伊東家などとの南蛮貿易へと発展してゆく。


 ポルトガル商人は日本の銀と中国産の生糸との中継貿易を基本として、その他に日本に輸出したのはトウモロコシ、ジャガイモ、カボチャ、スイカなどの農作物や、火縄銃、メガネ、タバコ、薬品などだった。


 問題は雑兵たちが乱取りで捕らえた捕虜を人買の商人に売り渡すようになったことだ。

 ポルトガル船が来航するとポルトガル商人に捕虜を売る者が現れて、日本の人身売買が海外貿易にも拡大していた。


 フランシスコ・ザビエルなどのイエズス会は、奴隷貿易が布教の妨げになるとポルトガル国王に訴えて、奴隷取引を禁止したが、取引は無くならなかった。

 九州では、大友氏と島津氏の豊薩合戦によって豊後や肥後を中心に多数の捕虜が売買された。この奴隷取引は豊臣秀吉の九州平定後まで続いた。



 無事航海を続けた俺達は、琉球、台湾、フィリピンまで行き、目的の砂糖キビ、薩摩芋ゴム、じゃが芋、トウキビ、スイカ、南瓜、椰子、ココナツ、パイナップルを入手した。

 

 最初の寄港地琉球では、補給の他に明人の通訳を雇うことができ、その後の交易にたいへん助かった。

 伊豆からは、米、麦、澄酒、胡椒、陶磁器などを持参して、物々交換を行った。

 乗組員達は、各地で酒宴を通じ片言の現地を覚え、現地人の嫁をもらって伊豆に連れ帰る者さえいる。

 それも5人、皆、長期滞在となったフィリピンの女性だ。伊豆に帰れば、彼女らの肌の色の濃さと、大きな瞳に驚くに違いない。


 琉球で雇った明人の通訳は、帰路にまた琉球で分かれたが、彼からは南蛮人が日本から奴隷を連れ去っているとの話を耳にした。

 とんでもない話だ。奴隷とされ、言葉も通じない知らない異国へ連れて行かれる者達の心境はいかばかりであろうか。



 琉球を出た翌日、遥か遠くに船影が見えた。近づいて来るその船は、俺達と同じガレオン船で日本からの帰路の南蛮船だろう。

 俺達の船を仲間の船と思い、近づいて来たようだ。もちろん、どちらも大砲を装備しているが、仲間だと思っているから、近づいて停船した。

 俺達は、頭に三角頭巾を被り、フィリピンで手に入れた服装をしており、見た目で異国人とはわからない。両船は帆を下ろし5mの距離まで接近した。

 そして俺達は、不意打ちで敵船の甲板に居並ぶ者達に一斉に射撃を開始して、30人程を倒すと、敵船に煙玉を多数投げ込み視界を奪った。

 そして、鍵縄を敵船の帆に掛けて次々と乗り込み、白兵戦を繰り広げた。白兵戦は圧倒的だった。刀と槍で、単発の銃しか持たない敵の船員を次々と一人残らず葬り去った。

 船倉には、狭苦しく閉じ込められた80人余りもの日本人がいた。

 俺は彼らに、助ける代わりに俺の主の領地に行くことを了承させ、船員を分けて捕まっていた者達に手伝わせて、2隻で伊豆へと帰路についた。

 

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