第16話
彼女は笑いながら、星空の下で、ぐるぐると回った。あの夕焼けで見たお嬢様だ。
「ここにいると、星空がよく見えます。とても綺麗です」
「なぜ、ここにいる」
クルトは警戒な目で彼女を見た。
「彼女の親友ですもの、親友なら最後まで見極めるものなんです」
やはり当たり前のように答えた。
「シャーロットは、どこにいる」
「私がシャーロットなんです」
「違う、俺は」
「知っています。クルト様にはここはなんだと思います?」
彼女は頭を上げる。絢爛に輝く星々が草原を優しく照らした。風も、虫の音も、獣の息も、何も聞こえない。静寂そのものだ。
「大樹が見せた幻だ」
「幻扱いですか、少し悲しいです」
彼女はクルトを見る。
「ここはあの子の領域なんです、必死にクルト様を守るように、遠ざけるように。だって、葉音が聞こえないでしょう」
その仕草は、さっき別の夢でみたお嬢様と同じだ。優雅で、曇りなく、夕焼けのように。
少女はただ星を見続けた。
「あの子が見たことが、私にもわかりますよ」
「なら、どうして会いに行かないんですか。彼女はあなたのことを」
「あの子は混乱しています、今は私の声もよく聞こえていません」
間を置き、クルトを見て話した。
「聖獣様は未来が見えます。もともとは感情に疎い生き物なんです。私と交えることで、感情というものを彼女の思考を蝕んていたのです。もともと淡々と未来を見ていただけの生き物が一気に感情を注ぎ込むと、どうなると思いますか」
「なぜ今までは未来を変わろうとしない、なぜ見ているだけ、シャーロットを死なせた。未来は戦。嗚呼、全ては私のせいです、と思うでしょう」
「しかし、それは彼女のせいじゃ――」
「ええ、もちろんです。でも、後悔しているときは皆同じなんです。クルト様だって、同じ経験がありますよね」
彼は子供のことの出来事を思い出し、頷く。
「――なら、ここで立ち止まらないで」
彼女は右へ指差すと、突如暗闇に篝火の道が現れた。篝火はずっと、暗闇の向こうまで続いている。
「彼女は寂しがり屋で、いつも一人ぽっちで、未来が見えるせいで悲しむことばかりで、でも可愛くて、優しくて、賢くて、私の一番の親友なんです」
穏やかに、月のように、微笑む。
「友達は譲れるものではありませんが。彼女のことを頼んでもよろしいのですか、クルト様」
「お任せください。必ず、連れ戻します」
――彼女は私を殺していません、私に成り代わるでもありません。名前を受け継いて、これからも生きていくのですよ。
疾走する風の中に、確実に彼女の声が聞こえた。ただの一本道。まるで彼女の悲しみを比例するように、長い一本道だ。
どんなに長くでも、長きにわたる訓練より苦しいわけがない。必ずたどり着くと、彼は信じた。
――シャーロット、今ならわかる。最初に城へ入ろうとする時に聞いた声はお前だろう。
城で目覚めると、お前がいた。一生懸命に微笑みを見せるお前が、他人のために怒ったり、笑ったり、悲しかったりするお前が、罪人なわけがないだろう。必ず、連れ戻す。彼女の親友との約束通りに。
そよ風から囁く声が流れた。
「私が、私のせいで、なぜこんなことに」
風が、渦となり、たくさんの声が騒ぎ出す。
――戦だ!
――聖獣様はご乱心だ!
――王は、王は深い眠りについた。
――これはまさしく進化だっ!
彼女は、渦の中にいた。
「シャーロット!」
少女の声が届かない理由がわかった。こんな所にいると、何も聞こえなくなる。彼が必死に手を伸ばす。すると、渦からの声が彼を叩く。声が罵声に、罵声から怨嗟に。
シャーロット。恨めしい。裏切り者。魔女め。忌むべき者。死ぬべし。貴様のせいで。死ね。おのれの恥を知れ。自害しろ。
「うるさい!」
彼が叫ぶと、声が形を失い、渦の中に消え失せた。その隙に、手がついに届く。だが、力がなく、生への渇望が感じない手だ。
「シャーロット、こんなところにいるな!」
「でも、私が」
「こんなものに耳を傾けるな! 俺の話を聞け!」
「聞きません」
「お前が聞いても聞かなくても、俺は言う」
彼女の目つきから、なんて身勝手な人だと、言ってるような気がした。彼は一切気にしない。
「さっき、お前の親友に会った、とっても誇らしい顔で、一番の親友だと言ったんだ。彼女は生きてる、ずっと一緒にいる」
彼女は目を見開き、息を呑んだ。ありえない、と言っているように。気が散ると、その身に纏う渦が霧散し、流れるる川となる。
澄んだ川が流れ出すと、周りの闇は一気に払う。どこまでも広く、瑞々しい樹林だ。葉の揺れる音が心地よく。清らかな朝の空気が連綿に続く、彼女の領域。
今だ、今こそ言わなければ。
「ずっと一人でこんな所にいて、彼女が喜ぶと思うか? 彼女だけじゃない、ノランが、シモンが、俺だって」
「私が外に、行けば――」声がどんどん細くなる。
「戦争が始まるとても? だからどうした、変わればいい、今から頑張ればいい。戦争が止まらなくでもおまえのせいじゃない、あの愚かな連中のせいだ」
子供の頃のことを思い出す。あのエディミア教の連中のような人でなしはどこでもいる。だからどうした、彼女のせいじゃない。
「今は俺がいる、ノランやシモンだって助けるさ。やってみないとわからないだろう。それでもイヤか」
「どうして、どうしてそこまでするのですかっ」
泣きそうな顔で、前と同じことを聞いた。
「騎士だからなんですか。わたし、私は守れるほどの価値がありません」
彼はシャーロットの肩を掴み、正面に向かって、真剣の口調で語った。
「騎士と関係ない。俺が守りたいから、守るんだ、シャーロット」
「貴族じゃなくだっていい、人じゃなくだっていい、お前はお前だから守りたいんだ、俺は――」
嫌いじゃない。そう言って、ずっと考えるのを避けた。
最初からずっとその拒むような態度が気になって仕方なかった。さり気なく話しかけると、優しい笑顔が浮かぶ。
いつも他人のために怒ったり、笑ったり、悲しかったり。一緒に医師の悪口を言ったことも忘れない。一緒に逃げ回る時も今思い返すと結構楽しかった。
そんなお前が時々翳のある顔を浮かぶ。
それを見るのが嫌で、問い詰めたり、話をそらしたり、結局なにも聞かなかった。知ろうともしなかった。情けない。剣だけが達者だ。
手を離すとどこかへ消えてしまいそうで。お前が隣りにいると、思わず目がお前を追う。笑うのを聞くと、自分も嬉しくなる。
いまならわかる。嫌いじゃない、じゃない。俺は。
「――好きだ、シャーロット」
「お前のためなら、どこへでもいく。お前を傷つけるものがいるのなら、俺が倒す。騎士だからじゃない、お前が好きだからだ」
金色の髪は朝日の光に照らすと微かな銀色にも見える。
「クルトさん」
一筋の涙が落ちる。声が震える。
「私は、城では、何も知らない振りをする、酷い女なんですよ」
まるで確認するかのように。
「それでもいい、何も知らないフリなら俺はお前より得意だ」
「……私が、人じゃないのですよ」
「それでもいい、一緒にいてくれ」
「私を連れてここから出ると、辛い戦いになるのですよ」
「それでもいい、俺が全部倒してやる」
「血がたくさん流れる、クルトさんだって大切な人と戦うことになるのですよ」
「それでもいい。俺が、そんなに弱く見えるのか」
「ううん」と、彼女は泣き笑いながら頭を振る。頭を、振り続けた。朝日の中に、彼女の瞳が青く、涙がまるですべてを浄化する川のよう。
「お前はひとりじゃない、全部自分で抱えるな」
「クルトさんっ」
涙が落ちて、雫と化し、火花となり、この樹林を延々と燃やす。しかし熱さを感じない、むしろ彼女らしい暖かさを感じた。
彼女の顔は既にぐちゃぐちゃで。何度も彼の名を呼んだ。やがて彼に抱きつく。
胸に彼女の温もりが、悲しみが、思いがのしかかる。
それでいい。涙が流れ尽くした後、一緒にここから出よう。シャーロット。
外は暗い話ばかりじゃない。嬉しいこと、楽しいこと、面白いことも。こんなぼろぼろな城にいるよりもずっといいはずだ。
これが最善だと、彼は思う。
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