第14話

 ――何回幻を見せれば気が済むんだ。


 クルトが目覚めると、周りは大樹に囲まれた。城という名の、檻という名の大樹だ。


 さっきシャーロットと一緒に落下する衝撃で幻を脱出できたのか。それとも他の理由で助かったのか。


「クルト、目が覚めたのか!」


 クルトの隣にノランの声がした。なぜか右や左からじゃなく、後ろからだった。よく見ると、周りに見えない半円状な、透明な壁があり、彼を守り続けた。ノランの術だ。


 振り向くと、なんとシモンが剣を振り、大樹からの茨を攻撃している。


「おい、シモン大丈夫か!」

「もちろん大丈夫だ、俺をなんだと思ってる、シモン神父だ、エディミア教の神父だぞ」

「神父失格じゃなかったのか」


 クルトの皮肉を聞くと、シモンの剣はより激しく茨を切り裂いた。


「ええい、知るか! 貴様はさっさとシャーロットさんをあそこから引っ張り出しなさい」


 シモンの目を配る方向を見ると、やはり衰弱したシャーロットの姿があった。

 今度こそ、連れ戻す。こんな湿っぽいところに、一人にはしない。


「シャーロット、いつまでこんな所で寝るんだ」


 身を屈んで、彼女の両手を握る。つぎはぎで、たくさんの傷がある弱々しい手だ。


「俺は」


 クルトが語りかけると、彼女の背後からまた大樹の根っこが地面に滲み渡る。


 剣であれを刺すより早く、クルトは湿る空気を感じた。身動きが取れない。まるで物語の中に入り込んだかのように。



 ――雨の日だ。


 彼は十二、三歳の少年になった。強くなりたい一心でワイズの勧めで騎士団に住み着き、兵士になった。剣だけが、誰も負けない、そう自負した。しかし、貴族の後ろ盾がないから、誰も彼を相手にしない。


「クルト、またおまえか」

「勝手に一人で突き進むな、迷惑だ」


 毎日のように、同僚は彼を気に入らない。あそこから隙を突かないと、賊は子供を殺す。なのに、同僚は子供より、人質になる貴族のほうが守ろうとする。


 本当にこれでいいのか。


 彼は騎士団に入るのは貴族だけを守るんじゃなく、彼があの日で見た護衛のように、強くなりたいから。


 剣がどれだけ上手くなっても、無理なのか。


 雨に打たれながら、同じ場所でぐるぐると回ってるだけだった。思考も迷宮入りだ。


 街の角で、なにか小さな影が彼の目を掠める。よく見ると、小さい猫が、どこから飛んでくる石から逃げていた。


「おい、あそこに逃げ込んだぞ!」


 子供の声がする。猫に向かって走る足音。


「やれ、やれ!」


 石が、どんどん猫へ飛ぶ。猫は短い足で、必死で逃げ回る。クルトはそれを見て、イライラした。


「何をする!」思わずに子供に怒鳴った。


「じゃまだ、出ていけ」


 まさか年下の子供にも邪魔だと言われるとは。殴った。思いっきり殴った。気に入らない。邪魔なのはおまえたちだ。


 すると、子供たちは捨て台詞を投げ、さっさと逃げていた。狭い路地に、一人と一匹の猫だけが残る。


 雨の音と、猫の泣き声だけが聞こえる。


「おまえも大変なんだな」

「にゃん」猫は弱々しく鳴いた。


「おまえも邪魔だと言われてきたのか。それともオレのように両親は既にいないのか」


 なぜか、その猫を見ると、放っておけなかった。猫の瞳は、珍しい青空色だった。弱々しいその姿も、その声も、その仕草も――


 仕草も、なんだろうか。もう忘れた。


「ぼろぼろだ」彼は猫を持ち上げ、その体にたくさんの傷があった。「でもあのガキはもうぶん殴ったから、安心だ」


 猫はにゃんとまた鳴いた。すりすりして、ついてくる。


「なんだ、オレについていくのか?」クルトはその仕草を見ると愛しく感じる。

「でも騎士団で猫を飼ってもいいのか」

「クルト、こんな所にいるのか」


 振り向くと、ワイズが小雨に打たれながら彼を探していた。


「ワイズかよ」

「何だ。今を時めく騎士団長のワイズなんだぞ」

「どこが時めくだ」

「いつまでここにいる、稽古の時間だぞ」

「もういいじゃん、どうせ誰も相手してくれない」


 ただのガキだ、剣だけがうまいガキだと、貴族の後ろ盾もないガキだと、誰もがそういった。まっとうな稽古をしてくれそうなのはワイズだけ。余計に皆に言われた。団長の贔屓だと。


 ワイズは逆に穏やかに笑う。


「嫉妬されるのはいいことだぞ、つまりクルトの剣は彼らより上回るってことだ」

「ワイズみたいに前向きに考えない……もういい」


 クルトは猫と一緒に出ようとした。


「……何なんだその猫は」

「さっき拾った」

「騎士団で飼うつもりか、領主は野良猫が嫌いだぞ、無理だ、見つかったら殺される、その猫が」

「あれもダメ、これもダメ、じゃどうすればいいんだ!」


 クルトは猫を抱えながら激昂した。猫はただ悲しそうな目で彼を見た。


「クルト、落ち着け」ワイズは彼の目を見て話した。「じゃクルトはどうして騎士団に入るんだ、覚えているのか」


「オレは、人を助けたいから……じゃない。もう後悔したくないから。でも、今のままじゃ、前と同じじゃないか、猫一匹すら守れない」

「猫とは関係ない話だろう」

「関係なくない」


 難しい年頃だな、とワイズはぶつぶつ言った、彼は聞き逃さない。


「もう後悔したくない、強くなりたい。でも、剣が強くでも、猫一匹も守れないじゃ」


「だから猫とは関係ないだろう」

「関係なくない」


 静寂の中に、雨の音と、猫がすりすりしている感触だけが鮮明に感じる。


「――クルト、いいか、騎士団っていうのは強さだけじゃない。このリアスのために働くのだ、仕事は選べない。貴族が命令したら、それに従う、そういう仕事なんだぞ」


 それじゃ。それじゃ。彼がやりたいこととは違う。猫一匹すら守れないじゃ、好きなものすら守れないのなら。何が騎士だ。どれだけ剣が強くなっても、意味はあるのか。


「いいから、その猫は元の場所に戻るべきだ」

「ダメだ、イヤだ」


 手を離したくない。その手を緩めたら、猫はまだどこかへ行ってしまう。怖くて、不安で、嫌で、ぎゅっと抱きしめる。


 クルトは猫を抱えて、走り出した。どんどんワイズから遠ざける。声も聞こえなくなる。


 暗闇が見える。まるで彼女を追うかのように。彼女? なんだろう。よく思い出さない。大事な何かが。


 街が暗くて、よく見えない。暗闇だけが見える。雨の音も聞こえない。でも猫の感触だけが感じる、それだけでとっても嬉しかった。


 彼女を守る。守るんだ。

 騎士じゃなくてもいい、彼女を守るんだ。


 小さいな決意を決め、彼は暗闇の中に闇雲に走る。騎士団が無理なら、どこでもいい、彼女が居られる場所があれば。ないのなら、自分で作る。そう決めた。


 闇は深く、果てがない。現実の境界は曖昧になる。ここは現実なのか、夢なのか、彼もわからなくなる。


 どうすればいいだろう。猫を抱え、ふと不安になる。猫は彼を見て、にゃんと彼を励ます。


 突如、暗闇の中に、篝火が見えた。


 きっと、あそこに誰かがいる。一筋の希望が見えたクルトは急ぎ篝火へと走り出す。


 夢と現実の間に揺蕩う。なにもかも混ざり合う。猫もいつの間にか消えていなくなる。まって、シャーロット、ここに、いてくれ。



 すると、大きいな、渦の中にいるような気がした。



 ――戦だ!


 聖獣様はご乱心だ! 反撃しないと生き残れない!


 なにをする、なぜ聖獣様を攻撃する、貴様気でも狂ったのか!


 ――王は、王は深い眠りについた。この常春の都に、ついに災いが訪れるのか。


 人はなんと弱い生き物だ。感情に駆られて、常に一番悪い結果を取る。聖獣様のように、感情に囚われず、最良の選択肢を取りたい。それこそ、人の新たな形ではないか。さらなる飛躍ではないか。


 ――ふふっ、ではお助けしましょうか。王様。


 なんと、聖獣様は人と共にある。交える。


 この少女のように。


 ――これはまさしく進化だっ!


 人はこれから殻を破り、揺り籠から飛び出し、獣を神の座から引きずり降ろす。人こそ、この世の森羅万象を見通す者なり。


 戦火。火が燃えてゆく。大地の果てまで、どこまでも燃えていく、まるで永遠に消えない炎のように。


 ――魔女だ! 魔女が出た!


「はっ、シャーロット!」


 とっても悪い夢を見た気がした。

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