第12話

 彼女は生きている。血まみれな彼女を見て、人としてはありえないと知っても、クルトの心に歓喜が湧き出た。


「シャーロット! 生きているのか」

「私はもうシャーロットじゃありません。シャーロットにはなれませんでした。ただの名もなき獣です」


 彼女の傷はみるみると治っていく。逆にアイヴァンは彼女の一撃を受け、既に物を言わぬ屍骸と化した。


「シャーロット、さん」


 シモンは恐る恐ると口を開けた。


「……前に相談を乗りましたね。俺は、何というか、神父失格です! その悲しみに何も気づいてやれませんでした。しかし、シャーロットさんがすべてを背負う必要はありません。この世に万死に値する罪はありません」

「いえ、シモンさん。あなたには私の罪を理解していません」


 彼女は頭を垂れる。その美しい金色な髪もまるで急速に生気を失ったように、白銀にも見える。


「もういいです。私を殺さない限り、あなた達もこの魔城から出られません。私を殺すか、ここで果てるのか、選択肢は二つしかありません」

「違う、その大樹をなんとかすれば助かる。なぜいつも自分を責めるんだ」


 クルトはシャーロットの方へ向く。彼女はただ彼の視線を避けた。


「あなた達には無理です」

「やってみないとわからないだろう! シャーロット!」


 シャーロットは迫りくる彼を見て、一歩下がった。


「……もう来ないでください」

「矛盾している。お前の所へ行かないとどうやってお前を殺すのか」


 彼女を追い立てるように、クルトはきつく言い放った。


「わ、私は――」


 シャーロットの視線を宙にさまよう。すぐに頭を振った。


「誰も運命には逆らえません。あなたは結局私を殺す選択肢しか選べません、これは私が見た未来です」


 捨てセリフを置き、シャーロットはそのまま消えた。足音一つもなく、突然と姿をくらます。

 彼女が消えた後、視線はクルト一身に集めた。


「クルト、あと一押しなのに」

「なぜ貴様はそんな乱暴な言い方しかできない! シャーロットさんは繊細なお方だ、もっとやさしい感じで声をかけろ!」

「俺だけを責めるのか、ならお前もなんとかしろ神父め! 俺はこんな言い方しかできない」


 争いがしばらく続いた後、クルトとシモンはようやく冷静さを取り戻した。


「しかし、どうすればいいのか」


 ノランは腹を押しながら言った。


「傷は大丈夫か」

「血は……止めたが、まだ少し痛む……」


 シモンはノランを見て不満げに言った。「情けない学士だ」

「はい、僕は情けない学士なんです……」


 ノランは深く落ち込んだ。それを見て、シモンは渋々と話した。


「聖獣様はたとえ情けない学士でも許すさ、ここまで卑下しなくてもいい。聖獣様を調べるとは別の話だが」

「――このまま大樹をボコボコにするか」


 クルトはシモンにさっき大樹の側にシャーロットが衰弱しきった様子で、養分になったことを話す。


「話はわかるが、そもそも聖獣様が大樹ごときに負けると思えないが」

「シャーロットさんにもなにか大樹を引き寄せる力があるかも」

「シモン、おまえこそ、さっきシャーロットに相談を乗ったって言ったよな、なにを話したんだ」

「いや、少ししか聞いてないが」


 歯切れの悪い返事だった。


「シャーロットさんは自分のことを罪深いだと考えているようで、自分のせいで沢山の人が死ぬことになるとか……」


 シモンは間を置いて話し続けた。


「今思えば、沢山の人が死んだじゃなく、死ぬというのは聖獣様からの予知能力かもしれない」


 シャーロットはずっとこんな城で一人で考えているのか。一番近いのは彼なのに、真面目に聞こうとしなかった。その悲しみから目を逸らすばかりだ。


 だから、彼女は彼じゃなく、シモンに相談をしたんだろうか。情けない。

 ノランは自分の考えを述べた。


「なら、シャーロットさんの心を動かせるのなら、大樹からの影響を弱めるのかもしれない」


 二人の視線はクルトに集まる。


「俺? こんなこと話すのは苦手だ」

「でもクルトしかいないよ、シャーロットさんが話を聞いてくれそうな人」

「俺は神父失格だ。まったく納得できないが、今はお前にしか任せない」

「クルト、いい言葉がある。『やってみないとわからない』、じゃないか?」ノランは笑みをこぼした。

「……ったく、失敗しても俺に怒るなよ」


 嫌々に聞こえるが、クルトは笑顔を浮かべた。


「シャーロットのやつ、何を見たか知らないが、絶対に連れ戻してやる」

「いい計画でもあるのか?」

「ない。シャーロットを探し出して説得する、それだけだ」

「お前な……」シモンは呆れて言葉も出なかった。

「外になにか声があるような」


 ノランは扉の方を見る。たしかに、狼の吠え声だ。しかも一匹や二匹じゃなく、おびただしい数だ。

 クルトはそれを聞いて、閃いた。


「いや、計画ならある。その狼たちを倒して、シャーロットのところに行く」


 クルトは剣を取り、そのまま迎え撃つ気だ。シモンは頭を抱える。


「わかった、よーくわかったぞ、ならさっさといけ」

「クルト、僕も手伝うよ」

「けが人に助けられてたまるもんか、いいから休んてろ」


 悩むのをやめた、らしくもない。障害を倒して、シャーロットに会えばいい。話はそれから考える。それでいい。


 彼は部屋を出て、迷いを吹き飛んだ。剣を握るとわかる、やはり彼は剣を握るしか能のない男だ。それでもいい。必ずシャーロットを取り戻す。


「よし、やるか」


 狼の声は遠くから聞こえる。こっちへ向かうじゃなく、どこか別のところへ走っているようだ。その狼たちを追っていれば、シャーロットの位置がわかるはず。


 正門まで行くと、狼たちの声がまっすぐに聞こえる。大鳥に壊されていない、行ったことがないエリアだ。


 狭い廊下を進むと、突然広い場所に出た。さっきの庭園より小さいな中庭だ。狼は相変わらず後ろだと無防備のままで、彼がその後を追っても全然気づいていなかった。


 今なら彼でもわかる。獣たちはシャーロットを追う処刑人。殺してほしい、死なせてほしいという心の具現だ。だから彼女しか追わない。


「シャーロット、どこにいる!」

「話したいことがある」


 静寂だ。返事がない。クルトは狼に追いながら前に進む。


 すると、狼が一箇所に集中するのを見た。塔だ。城のどこよりも高く、防衛するためにある施設だ。

 狼を追って中に入る。ここはどうやら城壁塔じゃなく、ただの展望台だ。防衛用の施設がなく、逆に豪華絢爛な螺旋階段があり、ツタのように上に向かって伸びた。


 シャーロットなら、きっと上にいる。そんな予感がした。

 頂上まで走って。走って。走って。彼も狼の一員になった気がした。


 塔の上にたどり着く。そこには山から見下ろす風景があった。シャーロット。シャーロットの姿があった。


 血まみれだ。狼に睨まれている。次の瞬間に、狼たちは彼女の柔肌を食い散らす。


「シャーロット――!」


 叫びながら、クルトは走り出した。一匹でも二匹でも三匹でも構わない、全部剣で薙ぎ払う。


 彼女に近づく。もはや助けようがない。ただの肉片と化した。血の海だけが淡々と広がっていく。

 それでも彼は、狼を追い払う手をと止めない。


「なぜ手を止めないんですか」


 後ろに彼女の声が響いた。困惑な声で。


「私が必ず狼に喰い殺されるって知っても、なぜ手を止めないのですか」


 狼はまるで泉のように湧き出るが、なぜか、スッキリした気分になる。


 彼はただ彼女の盾になり続けた。狼は前に進もうと、足の関節を切ればいい。狼は飛ぼうと、その首を断ち切ればいい。


「俺をやめてほしいのか? なら命令すればいい、お前は貴族だからな」

「ち、違います、私は」


 彼女は一歩下がる。


「命令しないのか。なら俺は止める必要はないな」

「どうして。クルトさんは私のことを嫌いじゃないのですか。おぞましい、人でないだと」


 同じ技を使い、剣で狼の口を貫く、そして盾として使う。その盾で襲いかかる狼の群れを一掃する。


「俺はそんなに世話好きじゃないぞ」



 剣が軽い。体が軽い。狼の動きもよく見える。

 幻の狼だとわかれば、もう恐れることはない。血まみれでも、ぼろぼろでも、息切れ切れでも構わない。どうしても、伝えたいことが。



「――嫌いな女を守るやつなんているもんか」



 シャーロットの息が飲む音がした。


「俺は、話下手で、剣を握るしか能のない男だ。でもお前を死なせたくない。お前を傷つける奴らからお前を守りたい、それじゃダメか」


 必死に思いを綴る。届けてくれ。いや、届け。彼女の耳に、心に届け。


 彼女のためなら、何回狼を斬ってもいい。何回大鳥と対峙してもいい。


「でも。私は。私は、シャーロットを殺しました。人ですらないんですよ。これからも、たくさん人を、私のせいで、死なせますよ」


 彼女は震える声で、必死に自分を呪う言葉を吐く。


「お前は何を見たのか知らない、俺は――」


 突如、亀裂が目の前の光景に走る。狼だけじゃない、城も、暗い空も、何もかもが。亀裂が生じる。

 目の前に狼の動きが止まる。狼は形を保てず、ネバネバとした液体と化し、無数の茨と成り、シャーロットへ攻め込む。


「シャーロット!」


 クルトは速やかに身を翻す、シャーロットを茨の攻撃から離れるよう、押し倒す。避けたが。茨は素早く方向を転換し、またシャーロットを襲う。


「もう、私を放してください!」

「無理だ、離さない、今度こそ守る」


 もう後悔したくない、今度こそ手を取り、緩めない。クルトは心の底に思った。

 茨はどんどん膨らむ、まるで城そのものを取り込むように。どこも逃げ場がない。いや、ないなら作る。

 クルトは身を起こし、シャーロットの手を引き、彼女を抱くまま城の頂から飛び降りる。


「クルトさん、無茶です!」


 風の中に、シャーロットの声が響く。背後に茨が城そのものをすり潰す音がした。まるで全力で疾走する狼のように。


 その暗闇に見覚えはある。


 最初に彼女と会う時に見た、闇そのものだ。シャーロットを守り、地面に届く前に、ふたりは暗闇に食われた。

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