第10話

 二人は城の東へ来た。獣に荒らされるかもしないと思ったが、獣の姿すらいなかった。


 城の西と同じ、絵も額縁もぼろぼろだった肖像画がその全盛期に戻った。城の廊下に連れなる肖像画は城の主の姿ばかりだ。


 この数を見ると、城の主はナルシストなんじゃないかと、クルトは疑うせざるを得なかった。


 彼は急に立ち止まったノランに質問を投げた。


「どうかしたんですか」

「い、いや、なにかおかしいと思って」


 歯切れの悪い返事だ。


「あまり離れないでください、シャーロットみたいに襲われたら困るんですよ」

「そ、そうですね」


 ノランは足を早めた。


「クルトさんは経験豊富の兵士に見えますが、兵士歴はどれくらいですか」

「俺は騎士団に入ったのは五年前です。その前もずっと騎士団にいた、ただのガキだけどな」

「なるほど……道理でお強いんですね」

「いや、人を死なせるばかりなんですよ」

「その、学士として時々護衛を雇うのですが、その若さで、クルトさんみたいに何人も守れるほど強い人はあまりいません」


 ノランにしては珍しく一言だけじゃなく、そのまま言い続けた。


「今回を機にクルトさんを雇おうと思ったのですが、騎士団にいるのなら、難しいのですよね……」

「まぁ、それは――」


 ノランがそんな申し出を出すとは予想していなかった。頷くべきか。断るべきか。そもそも、騎士団を離れるという発想がない。彼は話を逸らすしかできなかった。


「それよりも。今更だが、ノランさん、敬語はいらないんですよ。俺は騎士だし、ノランさんを守るのがあたりまえです。それに、さっきまで一緒に戦ってくれた仲間じゃないですか」


 仲間だと聞くと、ノランは意外そうに慌てた。


「えっ、あっ、な、仲間? そう言って頂いて嬉しいですが。その、足手まといじゃないんですか、僕」


 ノランは今までの戦いを思い出すと、微妙な表情を浮かべた。


「その足手まといの銀糸コードなしじゃ竜巻に巻き込まれて終わりましたよ」


 クルトは前に向きながら言った。その横顔には真剣さが込めていた。彼の率直の言葉を聞くと、ノランは嬉しそうに頭を垂れ、自分の表情を隠すように、小声で言った。


「では、言葉に甘えて。クルト、これからもよろしく。クルトも敬語なしでいいよ」

「おう、よろしくな」


 ふたりは廊下を歩くと、ついに肖像画の羅列から離れ、違う部屋を見るようになった。石畳は同じだが、なぜか葉っぱがある。一箇所に集中する。そこには厚い扉だ。


 扉には貴族を象徴する白銀を使い、材質も飾りも他の扉とは違う。どうやら当たりだ。


「葉っぱだらけだな」


 彼は葉っぱを見て、思わずに言葉を放った。ノランは葉っぱを取り、その色を観察した。


「最初に城へ来た時見た大樹と違う色になったみたい、根はこの扉の向こうにあるのかな?」


 その葉っぱは鮮やかな赤になった。最初に大樹を見るときは普通の緑だとクルトは覚えたが、なにかあったのだろうか。


 ノランの話によると、とうやら、木はその場の銀糸コード量によって色を変更するらしい。この赤はつまりここに濃密の銀糸コードがいるようだ。最悪の場合は葉っぱは燃えはじめる。


「この扉の向こうは危険そうだな」


 ノランは頷く。クルトは一応剣を取り、扉を慎重に開けた。


 ――扉の向こうには森が広けた。


 それを錯覚させるほど、部屋一面に葉っぱだらけだ。本棚もデスクも椅子も葉っぱに覆われた。


 クルトは葉っぱを見たが、全部赤いままだ。しかし、デタラメに散らがってるわけじゃなく、なにかの方向性を感じる。よく見ると、全部はある本棚の後ろに集中しているようだ。


「あの本棚が怪しいな」


 ノランは部屋を見回す。


「他に調べたいこともありそうだが、こっちのほうが答えがありそう」


 言ってるうちに、ノランは本棚を動かしはじめた。クルトも手を貸すと、本棚は簡単に前に移動した。葉っぱと埃とたくさんのものが部屋中に充満し、混濁の空気になった。


 本棚の後ろにまた扉があった。今回は地下室に通りそうな小さいかつ目が立たない扉だ。


 クルトが耳を扉に近く。


「静かだ。開けたら洪水がやってくるとか、大受が襲ってくるとかじゃなさそうだ」


 ノランはなにかを想像し、嫌な表情を浮かべた。


「うっ、驚かさないでください……」

「とにかく備えがあればなんとかだな」、とクルトはそう言いながら、扉をあげた。


 何もなかった。


 長い、狭い通路だけがあった。風の音が聞こえるし、水の滴る音も小刻みにこぼし続ける。時々も妙な匂いがあったが、それがなんなのかまではわからない。夏とは思えないほど、肌寒い所だ。


 ふたりの足音だけが通路の中に響いた。通路は真っ暗だが、ノランの銀糸コードの術で炎で照らす。ここは一直線のようで、なんの仕掛けも罠もないようだ。


「ここは、なにかの通路かな」


 ノランの声が後ろに響いた。少し緊張しているようだ。


「秘密の園とか」

「あの城の主ほどの権力があるのなら、秘密の園はここである必要がないじゃないかな。欲しいのなら、城そのものが秘密の園になってもいいから」

「真面目に考察してもな……」

「ご、ごめん、僕の悪い癖で」


 何気ない会話が続けた後、ようやく目的地についた。また扉だ。前とは違う、はっきりと木の根に絡まれている。


「クルトは少し下がって」


 そう言って、ノランはそのまま炎でその根を焼いた。扉は姿をさらけ出す。


 二人は息を呑んで、扉を開けた。


 目の前にいるのは木だ。いや、木っていうのは語弊がある。そこにあるのは根っこだけ、木の根だけがその部屋を包囲した。しかし根っこを気にする前に、他に気になって仕方がないものを見た。



 ――血だらけだ。


 その部屋は血だらけで、一人や二人の分じゃなく、まるで何十人の血がでたらめに散らがした。血の手形やもがく跡まで生々しく壁に延々と続いた。


 まわりに生臭い匂いが充満した。


 さっき通路での奇妙の匂いはこれか。しかも乾く跡を見るに、血は違う時期でここに散らしたようだ。


 血の跡よりも、部屋の真ん中がクルトの気を引いた。ありえない。ありえないのだ。


「ノラン、この城って百年前に既に廃城になったよな」

「そ、そのはず」


 ノランもあれを見て、唖然した。


「……なら、なぜここに、シャーロットの肖像画があるんだ」


 金色の髪に、青空色の瞳を持つ少女の肖像画があった。その部屋の真ん中に。微笑んている少女の姿がまるで月のように優しい。この部屋にはとても似つかわしくないものだ。


 どう見てもシャーロットだ。クルトは思わず何度も見直す。その髪も瞳も笑顔も仕草も、彼女そのものだった。見間違うはずがない。


 流石ノランも返事に躊躇した。


「ただ顔が似てる人……かも?」

「それにしては、ほぼ同じじゃないか……この部屋もいったいなんなのか」


 二人はこの部屋を満遍なく探す。見ての通り、肖像画と血しかない。落胆を隠せないまま、肖像画を見ることしかできなかった。


「手がかりはこの絵だけか」


 クルトは絵を見た。最初に見る時、シャーロットと似ていると思うが、もう一度を見ると、その微笑みにシャーロットのような諦念を感じない。やはりただの顔が似ている別人なんだろうか。


「うーん、この絵だけが違う気がする」

「違う?」

「もともとここにいる絵じゃないかも、ほら、血が付いてない」


 ノランは絵に指差す。

 二人で肖像画を下ろすと、後ろにまた小さい扉がいた。しかし、扉というより、塗装が剥がれた真っ黒の空間だ。あの庭園で見た白い壁と似てる。


「また扉か」

「この先に大樹がいるかも」

「だな。念の為俺が先に行く」


 ノランが頷く。クルトは剣を握り、このまま前に進めた。扉に似た何かを突き進むと、ネバネバとしたなにかが隣に充満した。蜜なのか。それとも胃液なのか。どっちにしろ、大樹に近づいた気がした。


 突然に光が彼の目を刺さす。


 もうあの薄暗がりじゃない。そこには森があった。正真正銘の森だ。たった一つの木で森をなせるほど、大きいな木だ。地面には大樹の根が蜘蛛の糸のように広がり、どれだけ頭を上げても、その大樹の頂まで見えない。


 根を踏むと、まるで息があるように、鼓動があるように感じた。大樹は生きている。


 周りに目を配らせる。なぜかぼろぼろな城壁が見えた。城壁には僅かな隙間があり、そこからまばゆい、夕焼けの色が滲んだ。


 前に進むと、大樹の内になにかが見えた。少女だ。


「シャーロット!」


 なぜだ。なぜここにいる。


 彼女は眠っているが、苦しみにもがくまま、大樹の根に絡まされた。城で見た時と違い、息も絶え絶え、ひどく衰弱していた。


「おい! シャーロット、しっかりしろ」

「しゃ、シャーロットさん!」


 クルトと駆けつけたノランは一生懸命に木の根を引っ張るが、全然動かなかった。


「ノラン、なにかいい手はないのか」


 ノランは手を止め、周りを観察してから話す。


「この大樹は彼女を養分にして生きているようだ。大樹をなんとかしないと彼女は持たない。理由は知らないが、彼女がいるから大樹はそこまで力強く育つ可能性が高い。その檻から彼女を引っ張り出すのは……」


 ノランは少し目を伏せた。


「やってみないとわからないだろう」

「お、落ち着いて」


 クルトは少し慌てたノランを見て、深呼吸して言い直した。


「すまん、焦りすぎた」

「まずは彼女を起こすことが先かな」


 クルトは彼女の肩に手を置くと、急に彼女はうつろな目で、クルトを見返した。まるでまた夢の中にいるように。


「こっちに来ないでください……」

「私は罪人、だから、近づかないで」

「来ないで」


 冷たい、たどたどしい言葉で、拒絶の念を示す。


「そんなわけあるか、いますぐここから救い出す」

「――来ないで」


 目に、目だけじゃなく、彼女の全身に金色な光が走る。まるで血のように、糸のように。


 咄嗟に彼女の周りに激しい圧を感じる。見えない盾があるように、二人は為す術もなく、そのまま壁に押し出されていた。


 壁に衝突し、意識を失う瞬間に、大樹全体が赤く燃え始めるのを見た。

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