第9話

「夢、か」


 クルトが目覚めると、天井が見えた。迫真の夢だ。とても夢とは思えない。心臓の鼓動が早い、手にも猫を抱える触感を残った。


 あの甘い声も柔らかい肌の感触も未だに残る。心臓に悪い夢だ。


 ――これも、まさかあの夢の続きじゃないよな。


 下を見ると、彼は獣の皮の上にいた。さっき手にある猫の触感を思い出し、思わずに飛び上がる。

 よく見ると、そもそも皮とあの猫の大きさと違うじゃないか、色だって、あの鮮やかな銀色と違う。寝ぼけたに違いない。


 見回すと、城の西にある図書館と似ているが、ここは図書館よりもこども用の図書室だ。本は多くなくて、本棚も低い。本のタイトルも聞いたことがあるおとぎ話ばかりだ。


 この獣の皮だけが場違い。どうやら、この獣の皮だけは他の場所から引っ張ってきたようだ。皮鎧もいつの間にか外し、清潔な服に変わった。


 右の方に、ノランは一心不乱に本を読んでいた。本の表紙を見ると、研究用のじゃなくて、おとぎ話のようだ。


「ノラン、さん、俺はどれくらい寝たのですか」


 本に夢中なのに、急に話しかけられて、ノランは硬直した。


「クルトさん、お目覚めなんですか」

「どれくらい経ったのか」

「お茶会を開くくらいの時間です。あの大鳥を倒した後、何事もなく平和です」


 ノランのお茶会がどれくらいの時間を使うのかによるが、ノランはそこまでお茶会にご執心の人に見えない。そこまで長くないだろう、とクルトは思った。


「シャーロットは?」


 彼女のことを聞くと、彼は思わずに夢の話を思い出した。ここにいれば、どう向き合えばいいのか困る。


「今はシモンさんと一緒にいるんですよ」

「シモンと?」


 この珍しい組み合わせを聞くと、クルトでも眉をひそめた。


「城の西にある医務室はもう使えないから、他のところからクルトさんの傷薬を探しているんです」


 シモンと夢の中でと同じことを言うじゃなくでよか――いや、クルト、あれはただの夢だ。


 シャーロットが、そんな事を言うわけがないだろう。クルトも自分が思ってたよりも動揺した、そのことに気づき、さらに動揺した。


 彼も思わず話をそらした。


「そうだ、さっき見た大鳥やはりエディミア教の聖獣なのか」

「それは……シャーロットさんから聞きました。もともとは狼で、あとは大鳥に変化したと。聖獣様なら無理です。銀糸コードの属性は知ってるんですね」


 空、海、地、森の四属性。地上にも四属性の強い都がある。水の都リアスはその一例だ。クルトは頷くと、ノランは解説し続けた。


「聖獣様は強い力を持つ代わりに、一つの属性しか使えないんです。確かに聖獣様は様々な形に自由に変化できるけど、狼は地、大鳥は空属性です。魚が空を飛べないように、聖獣様でもことわりを逆らうことができないんです」


 やはりノランの専門なのか。こんなに流暢で喋るノランは珍しい。


「鳥が光になる話聞いたことがないんですが」

「それは……もしかして」ノランは息を呑む、そのまま黙り込んだ。


「間違っても平気ですよ、推測でも構わないです」

「おそらく、幻とか」

「幻?」


 そんなバカな、とクルトは脊髄反射で心の中に叫んだ。さっきまで大鳥と激しい戦いに広げた、幻なわけがない。しかし、ノランはまだなにか言い出そうで、彼は反論を呑んだ。


「森属性の力。例えば草木も同じ力を持っています。周りの力を利用し、コントロールする力です。最初に城に来る時、クルトさんも大樹を見たはずです」


 森属性は、周りの力を利用する力。例えばクルトの剣技が特長なら、幻の中で、その剣を使って彼を傷つく。


「今は窓を覗いでもその大樹が見えない、何かの理由でその森の力に巻き込まれたかな……と推測します」


 確かに、窓から見ても、木おろか、葉っぱすら見えない。


「だが、ここは魔城だ。幻なら、なぜシャーロットだけを狙う、俺たち全員を攻撃すればいいんじゃないですか」


 ノランは来るとの疑問を聞くと、頭を垂れる。


「わからないんです。どう考えでも」

「そういえば、その本はなんですか」


 クルトはノランの隣にいる本を質問すると、ノランは答えた。


「魔女の森っていうおとぎ話です、ここの本棚にあったから、もう一度見ようと思って」


 それは奇しくもシャーロットが語った話だ。彼はまさかここで、その本を見るとは思わなかった。


「おとぎ話? あの残酷な話のどこが、おとぎ話なんですか」


 兄が妹を殺す話がおとぎ話だと? クルトは思わず聞き返す。ノランはクルトの話を聞いて、不思議そうに首をかしげた。


「魔女の森ですよ?」


 ありえない、とクルトは本を取り、速やかに読む。


 ――むかしむかし、あるところに、兄妹がいました。


 そう、この出だしもクルトの記憶と同じ。後は妹が病に冒され、兄は薬草を探しに、魔女に襲われる。


 しかし、その後の展開は全く違っていた。



 魔女に呪われ、兄は醜い獣となり、日が終わるまで、誰も彼をわからない場合は死ぬ。動物たちの協力を得て、兄は泥沼を歩き、洞窟を潜り、山を越え、ついに妹のそばへ。しかし、妹は彼を食べ物を奪いに来る恐ろしい獣だと誤解し、追い返す。


 彼は思った。どうせ死ぬのなら、せめて最後に妹の病気を直したい。彼は魔女の薬草園から、薬草を奪い、満身創痍しながら小屋に戻ると、妹の泣き声が聞こえた。


 なぜ兄はまだ戻らないのか。道に迷ったのか。すでにこの森から去ったのか。彼女のことをもううんざりしてたのか。妹のひとり言を聞くと、彼も涙ぼろぼろに。


 日のおわりが近い。まわりにはすっかり暗くなり、彼は妹を驚かさないよう、こっそり薬草を自分の仕事場に置いた。すると後ろに急に妹の声が聞こえた――兄さん、と。


 呪いが解かれ、兄は薬草を手に、妹の病を治し、ふたりは末永く幸せに暮らしていました。めてたしめてたし。



「確かにおとぎ話ですね」


 じゃシャーロットからの話はなんなのか。クルトは腑に落ちなかった。結局魔女は呪い掛けるときだけ登場し、その後はぜんぜん来ていなかった、たとえ兄が薬草園を襲っても。


「実は、この話はいくつかのエンディングがあります。王家とエディミア教の教義に対する批判があり、この変更済みのおとぎ話だけが残したようです」


「批判? どこが?」


「あの頃のエディミア教は聖獣至上主義で、聖獣もまた王家の象徴です」


「動物しか書いていないのですが……」


 クルトは再び本を開く。どこも動物しか記されていなかった。


「最初の方ははっきりと聖獣と書いてるんですよ。聖獣至上主義の思想では、そもそも人と聖獣は話し合うことすら禁忌です、王家と同じように」


 ただのおとぎ話で、まさか歴史の授業に。


「でも最初のほうが面白いです。おとぎ話に変更するとはもったいないです」


 ノランは立ち上がり、本棚を見た。「魔女、魔女、魔女、あっ、ありました」


 ここのメイドたちも大雑把すぎるだろう。こんな真っ赤の本をこどもの図書室に置くのか。彼はノランから本を取り、読み始また。


 むかしむかし、あるところに、兄妹がいました。城外に両親と幸せに暮らしていました。しかし、ある日、彼らの家にえいえんに消えないほのおが燃えはじめた。両親は彼らをかばい、いなくなった。兄妹は森へ逃げるしかできなかった。


 ――永遠に消えない炎? どういうことなのか。クルトはそう思い、ページをめくった。



 延々と続く森の中で、歩き続けた。絶対に振り返ってはいけないと、兄は言った。妹は涙を我慢しながら、泥まみれの地面を歩き続ける。


 ふたりは歩き続けると聖獣様と出会いました。聖獣様は言った、振り返るな、さもないと魔女の呪いにかかるぞ。聖獣様は予言を司るもの、ふたりは聖獣様の言葉を信じ、歩き続けた。


 泥沼を歩き、狩人から動物を森から逃げる話を聞いた。

 洞窟を潜り、老人たちは最近雨が降らない話を話した。

 山を越え、吟遊詩人に炎を操る魔女の話を歌い始めた。


 えいえんに消えない炎。妹は急に故郷を恋しくなった。両親と住む家、幸せのひととき、笑顔あふれる日常。


 妹は思わず振り返す。すると、炎が森を包囲している光景が広がる。炎は彼女の足から森へと。どう足掻いても、消えない。彼女は自分がしたことに気づき、泣いた。泣いて、泣いて、泣き続けた。涙さえも火花になるほどに泣いた。


 ――私が、両親を殺したんだ、私こそ魔女だ!

 なぜ、振り返るんだ、と聖獣様は妹を見た。


 なぜ私を生かす、私をころせ、ころせ!

 妹は兄にころすようにお願いした。兄は断った。


 彼女は何回も試した。

 首を吊るにも、縄が炎に焼かれた。剣を取るにも、刺す前に炎が剣を既に溶かした。川に身を投げるにも、川さえも蒸発した。


 そんな妹を見ると、兄は耐えられず、姿を消した。ここは、彼女と聖獣様だけの森になった。魔女の森だ。


 わたしを、わたしをころしてください。

 そして、十年の時が過ぎた――



 そこでページは途切る。


「あれ、エンディングがない」

「おかしいですね、さっき見た時はあるのに」


 ノランは困惑した。もう一度本を見ても、エンディングのページはない。


 しかし最初だけを見てもわかる。シャーロットの話はこの話と似てる、特に妹を殺すあたりが。


「さっき見た時は確かにあるのですか? エンディング」


「そうですよ、エンディングまで書かれているんです、おかしいですね。ついさっき見終わった本なんですから、誰も手を加えませんよ」


「これって、さっきの話と似てないんですか」


「幻の話ですか? しかし決め手がないんです、せめて大樹の根を見つかれば」


 ノランはクルトの話を聞いて、うなり始めた。


「じゃ今から見に行きますか」

「えっ、なにをです」


 ノランは彼のの質問を聞いて、わけが分からず、聞き返した。


「――もちろんこの魔城の主の部屋ですよ」


 クルトは最初東側に行くときの肖像画を思い出した。そこなら、魔城の主の部屋も近いはずだ。手がかりを探すのなら、あそこしかない。

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