第7話

 ふたりは長い階段を登りはじめた。


 ノランはクルトを追いかけるだけでも精一杯だ。大鳥のせいでさらに不穏な足場で、さらにきつく感じた。


「先に言うが、俺は団体戦が苦手なんですよ」


 クルトは今まで騎士団にいるときの数々を思い出す。勝手に動かないてくれだの、邪魔だの、前に出るなだの、罵声だらけだ。


 団体行動が苦手っていうより、気に入らないことを見るとつい体が先に動き出す。


「えっ?」


「なりふり構わずに攻撃を始めるから、ノランさんの援護は大雑把しても大丈夫だ、なんとかします」

「急に言われても……」


 ノランは眉をひそめる。


「なら、僕の術を先に知るほうがいいです。僕の術は強化の術で、銀糸コードの空属性と地属性が得意です」


 空属性は物体の動きをコントロールする力、地属性は物体自身を強化するの力だ。例えば、空属性の術で、矢の速度を早めたり。地属性の術で、矢の鋭さを増せたり。


 実にわかりやすい説明だ。


 ノランはクルトの理解に合わせて解説してくれた。階段を歩きながらのものにしては簡単明瞭だ。


 学士っていうのは、自分の研究の世界に閉じこもって、ブツブツ言いながら探求する変な人だとクルトは思ったが、ノランはどうやら違った。


 何年後に学院の先生になっても行けそうだ。シャーロットが彼を先生って呼ぶのは案外間違ってない。


銀糸コードの術で援護しますが、合わせたことがないから無理かも……あまりアデにしないでください」

「逆ですよ、逆」


 クルトはそう言い放ち、当のノランは困惑した。


「そんなに必死になっても困ります。必死になりすぎて野垂れ死になるが丸見えだ。ダメな時、俺だって逃げる。勝ち目がない時は逃げればいい、戦いは生き残るほうが勝ちなんですよ」


 もうエモンや新入りたちの二の舞はごめんだ。クルトは思った。


 上に近づくにつれて、羽ばたく音や叫び声や城にぶつかる音もはっきりと聞こえた。


「上に行ったらもう戦場です。準備はいいですか」


 ノランは頷くと、クルトは一気に扉を開いた。


 風が強い。頬に掠れるだけでも飛ばされそうだ。前を見ると、巨大な眼が見えた。風は大鳥の羽ばたきなのか。


 翼も、瞳も目下の人に見向きもしない、空を司る王者そのものだ。


 目も顔も憎悪まみれで、まっすぐ城の中を見つめた。シャーロットがこの城にいるのが知っているのだろうか。


 下で見るよりも圧巻だが、行動パターンは同じ。大鳥は前へ進み、前を阻むものを破壊するだけの単純作業だ。


 ただし、そのスケールが大きい。少しだけ前に移動するだけで、城の庭園近くの壁と内装が崩れていく。現にここの石畳も少しだけ壊され、そこから下の部屋が丸見えだ。


 このままだと、ここが壊されるもの時間の問題だ。クルトは武器を抱えながら考えた。


「ノランさんは後ろに」


 クルトは攻撃する位置を見定める、ノランは扉に近くに。位置を決めた後、彼は何本の剣と槍を取る。


 彼らのことは大鳥の眼中にない。鳥はただ前を破壊し、進むだけ。何という効率の悪いやり方だ。だがその方がいい、討伐する難易度が下がる。クルトはそう思い、素早く自分の剣を取って前進した。


「術が発動すると、地属性、金色の光が見えるはずです」


 後ろから声が聞こえる。


「了解!」


 前に進むのも億劫だ。風も、耳障りな声も、不穏な足場も、彼の行き先を阻む。

 ダメだ、剣じゃ届かない。


 クルトは大鳥に近くに接近したが、その先は風圧が強く、とても近づけない。ここからだと、剣のリーチでは届かない。


 彼は仕方なく剣を収め、あまり得意じゃない槍を手にした。この際、得意かどうかは関係ない、どうせ投げるだけだ。


 ――槍を思いっきり投擲する。

 槍の周りに金色が付き始め、勾配で転がる石のように一気に重さと鋭さを増す。


 鋭さだけじゃなく、重さも必要だ、でないと、大鳥に傷をつけるほどの力が足りない。その重さの加減はノラン次第だ。


 槍は更に速度を増し、まっすぐの大鳥の腹を狙い定めた。


 あっけもなく当てた。浅い。槍は大鳥の腹を命中したが、ただのかすり傷だ。

「ごめんなさい、次はうまくやります」

「気にするな、次!」


 クルトは背負ってる槍の数を見た、せいせいもう二、三回だ。この三回でも無理なら、ノランのところへ戻って、槍を補充しないといけない。


 突如、大鳥は羽ばたきを止め、目に火がついた。雄々しい叫び声をあげた。


「――ころす――ころす――ころす――」


 延々と怨嗟の言葉を投げ続けた。


「えっ、言葉を……?」


 ノランは大鳥を見て動揺した。


「誰を殺すのか知らないが、少し黙ってくれ」


 そのままシャーロットのところに行かせるもんか。


 クルトは速やかに槍を取り、今回はその大口に狙って投擲した。無駄のない、流麗な一撃だ。


 突如の動きにノランは対応できず、慌てて術を発動した。さっきと比べて、ちぐはぐな動きとなり、光も槍全体を纏っていない。風属性の力だけを付与した。


 それでも槍は風をぶち破り、大鳥の口を命中した。


 口腔が槍に刺された大鳥は怒り狂い、怒りに身を任せて突進した。その羽ばたき、その風、その痛恨の叫びが空を揺るがす。


 空だけでなく、クルトの近くの石畳やノラン隣の武器まで空に舞い、次々へと竜巻が渦巻く。空もその竜巻により黒く染まり、そいつが空の王者だと思い知らせる。


「――ころす――ころす――ころす――」

「シャーロット――おのれ――裏切り者のシャーロット――魔女め――」

「シャーロット――!」


 ここに立っているだけでも精一杯だ。


 クルトが風圧に負けて、危うく竜巻の餌食となったが、急に体に金色の糸が纏い、彼は風に絡まれずに済んだ。間違いなくノランのおかげだ。


「クルトさん、も、もう無理です!」目の前の竜巻を見ると、ノランは恐る恐る言った。

「まだだ」

「クルトさん!」

「まだ、諦めるときじゃない、あいつの弱点は口だ、さっきも見えるだろう」


「しかし武器が……」武器はおろか、なにもない。廃墟同然だ。

「まだある、背中に一本の槍と剣がある」


 ノランは息を呑み、そのまま黙り込んだ。


 ――この一本の槍と剣でなんとかする。


 無理そうだ、でも最後までやらないとわからない。ここで諦めたら、騎士をやってる意味がなくなる。


「ぼ、僕が今度こそ援護します、失敗はしません、槍を首へ狙ってください!」


 ノランの声が聞こえる。振り向かなくでも、声に強い意思があることがわかった。

 クルトは竜巻を避けながら、射撃する位置を探る。


 どこへ避けでも風と竜巻の挟み撃ちだ。クルトは仕方なく剣で残りわずかの床へ刺して身を固定し、大鳥へ再び進攻する。


 皮鎧に守られでも、寒風が隙間に入って、まるで誰かにいやらしく触られたかのように、彼にはきつく感じた。


 最後の槍。投げる前に、槍は力を満ちていた。金色の糸が光り輝き、風が槍を祝福している。


 渾身の力で投げると、槍は光の矢となり、竜巻を突破し、逆風の中で太陽のように全てを溶かし、破壊していた。


 ――そのまま真っ直ぐに突き進めれた命中だ。

 咄嗟に大鳥の声が、怨嗟が聞こえる。


 槍が前を突き進める瞬間、周りの竜巻が急に風の壁となり、槍は壁にぶつかり、光を失い、儚く散っていた。


「くそっ!」


 近かった。矢のような槍じゃなく、剣であれば、壁さえも破る大剣であれば――


 鳥は飛べるから鳥だ。大鳥も同じ。風の壁が解き、大鳥は傍若無人で飛んだ。その巨大な眼でノランを見つめた。


 なぜ攻撃した彼じゃなく、ノランに。

 彼は剣を握り、ノランのところへ走り出す。


「ノラン、避けろ――!」


 ――最悪の場合、ノランさんだけでも逃げる算段を用意します。


 彼は自分の言葉を思い出す。


 また、エモンみたいなことになるのか。また、手遅れになるのか。


「逆です!」


 風の中にノランの声が聞こえた。


「首を、今その剣で刺すんだ! 僕のことを構わず、クルトさん、いけ――!」


 ノランを守るのか。剣を大鳥に刺すのか。

 剣を。剣を。まだ、二、三歩足りない。

 リーチが足りない。


 ――剣は騎士の生命線、だれも自分の得物を投げたりはしない。


 でも、これしかない。

 これしかない。


 エモン、力を貸してくれ。


「届け――――――!」


 剣は流麗な動きなどしない、ただ荒々しい行進で、真っ直ぐに首を目指す。まるで破城槌のように。

 もはや銀糸コードの術は掛けていなかった。


 しかし、その剣は一直線で大鳥の首を突き刺す。


「おのれ――おのれ――人間め――」

「死ぬのはシャーロットじゃない、おまえだ!」


 クルトは荒い息を吐きながら叫んだ。


「ころす――ころす――コロス――」

「コロスコロスコロス――」

「魔女め――」


 首を打ち砕かれた大鳥は怨嗟を流しながら、その身を城へぶつかる。落下し続ける。


 その方向を見ると、シャーロットがいる場所に近かった。


「死ね――魔女め――!」


 往生際の悪い。この期に及んで諦めていないのか!


 ――シャーロット。

 シャーロットの面影を一瞬彼の脳内を過ぎった。


 せっかく守り通したのに、殺されてたまるものか。彼女は何をしたのか分からない、なぜ死なないといけないのかも知らない、だが、そのまま死ぬのがダメだ。


 あの悲しい目を、諦念も、全然似合わない。そのきれいな瞳を朱に染めたくない。


 クルトはとくになにも考えていなかった。


 ただ大鳥を止めようと体が勝手に動いた。気がつくと、すでに城の頂から飛び降り、大鳥の上に立った。


 風は強かった。風というより、大鳥の巨体と城がぶつかっている時の衝撃波だ。彼は七色の大地の上にいるようだ。


「なぜだ――なぜ魔女を守る――」

「魔女なんて知るか。理由なんで一つだけだ」


 クルトは震える手で剣を握る。


「おまえが気に入らない、それだけだ」


 風と石屑に攻撃されながら、彼は大鳥を刺す剣を抜き出し、もう一度とどめを刺す。


 一瞬、城の壁じゃなく、七色の窓が見える。

 一瞬、礼拝堂にいるシャーロットが頭を上げる。

 一瞬、彼の目がシャーロットとばったり合う。


「おのれ――恨めしいシャーロットめ――!」


 大鳥は断末魔をあげ、真っ直ぐその巨体をシャーロットに突き刺す。

 クルトは剣を握り一気に。ただ刺すだけじゃダメだ。

 光よりも早く。風よりも強く。石よりも荒々しく――


「……貴様こそ、くたばれ――!」


 クルトの剣は大鳥の首を切り裂き、頭と体が両断した。その怨嗟がようやく止んだ。

 大鳥が落下する衝撃波は礼拝堂を襲う。


 エディミア教の聖域が、瞬く間にただの廃墟になった。彼が剣を抜くと、大鳥は光へと溶かし、まるで上へ登る粉雪のように。


「シモン、いるだろう! ノランはまだ上にいる、ちょっと見に行ってくれ」


 クルトは振り向かず、後ろへ叫んだ。


「なんだ、戻る途端に使い走りだ! おまけに聖なる礼拝堂をぶっ壊す!」


 後ろに隠れたシモンはブツブツ言いながら、礼拝堂の入口へと走った。最後に振り返って、クルトを見た。


「いいか、ここから動くなよ! ノランさんを探した後にたっぷり説教するからなっ!」


 神父の言葉を聞くと、クルトも思わず笑みをこぼした。いつの間にか説教になってる、罵る言葉を思いつくじゃないのか。


 大鳥からの光はなかなか消えず、雪のように礼拝堂に満ちていた。シャーロットは彼を後ろで、ずっと静かに見つめていた。


 クルトが振り向くと、シャーロットは穏やかな笑みを浮かびながら、顔に一筋の涙を流す。


「よかったです、クルトさん……」


 彼女は両手を強く握る。


「上から落ちるのを見た時、クルトさんが死ぬかと思いました……」


 一歩、また一歩。

 彼がシャーロットのところへ歩く。光の粉じゃなくで、涙が浮かぶことに。すぐには気づけなかった。


 泣くな。

 笑顔でいてほしい。

 彼が思わず手を伸ばし、その涙を拭いだ。


「ずっと泣くと美人じゃなくなる」

「それでも構いません」


 彼女は泣きながら、クルトの手を握った。


「クルトさんだって、ぼろぼろで、全然かっこよくないんです」


 そう言って、シャーロットは少し微笑んだ。


 彼は自分を見ると、鎧や剣もボロボロで、満身創痍。城から飛び降りでも生きるのは奇跡だ。

 彼女はクルトを引っ張って、壁側に移動した。


「あのっ、クルトさんはここで休んでください。私がなんか飲み物を――」


 彼はシャーロットを引き止め、少し見苦しい言い訳が出た。


「待って、ふらふら行ってまた獣に襲われたらどうする。勝手に死ぬのはごめんだ」


 何事もないように振る舞うクルトを見て、シャーロットは思いとどまり、微笑みながらクルトの傍に座った。


「ノラン先生は大丈夫でしょうか」

「大丈夫だ、ノランは案外しぶとい」


 今頃は神父と再会しているところだろう。


 シャーロットは安心し、表情も柔らかくに。「よかったです。もう誰も私のせいで――」


 クルトは強引に彼女の話を切った。


「水の都リアスに行ったことがあるか」

「リアス、ですか?」

「そこには史上最大の噴水があって、ここのような貧相な噴水じゃないぞ。あと、リアスの市場や特産品も悪くない。こんなに近い所にいるのに行ったことがないのは、もったいない」


 シャーロットはそんなことを聞くとは思わず、目を瞬きながら返事した。


「まさかクルトさんから観光の話が出るなんて、びっくりです」

「俺だって戦いばかりじゃないぞ」


 クルトは血まみれの剣を見た。


「でもな、リアスに戻ったら絶対にあの領主を文句を言ってやる、そんなおんぼろな剣じゃ戦えないだろう」

「結局戦いのことばかりじゃないですか」


 そう言って、シャーロットは笑みを浮かぶ。


「じゃシャーロットはどうよ」

「えっ、私ですか……」彼女の話になると、その顔は曇り空のようだ。

「行きたい所あるか?」

「……その、リアスに行ったことがないんですから、噴水には興味あるんです」

「見たら驚くよ」

「あとは、市場も行きたいです」

「店たくさんあるからな」

「あとは、クルトさんの仕事場の見に行きたいです」

「そんな所、全然おもしろくないぞ」

「あとは、あとは――」


 シャーロットが必死に考えてる最中に、隣りにいるクルトがふわっと彼女の肩に落ちた。


「クルトさん……?」


 彼女はびっくりして、不安げに振り向くと、クルトはすでに泥のように眠った。


「どうか休んでいてください」


 夢の中へ沈むクルトの耳に、子守唄が聞こえた。

 それは、起こさないように軽く、鈴のようにきれいで柔らかく、少し翳のある歌声だった。

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