第5話
城の外は、庭園があった。外っていうのは少し語弊がある。厳密に言うと、ここはまだ城の中。ただ花や草が見えるだけで、まだ檻の中だ。
手入れが行き届いた庭園だ。リアス城の庭園よりは劣るが、違う趣がある。リアス城の庭園は花もいるが、脚光を浴びるのは噴水や川の方だ。水の都なんだから。
逆にこっちは貧相な噴水しかないが、花は数え切れないほどたくさんの種類があった、まさしく花の海だ。花は狂い咲き、主人公は私だと、一生懸命叫び続ける。
花の海にも果てがある。その果てが突然目の前に広げた。だが陸地じゃなかった。
白だ。満遍なく広げ続ける白だ。
庭園の果ては山道に続くはずなのに。歩き続けると、山道じゃなく、白い壁が見えた。
「そんな……」シャーロットは目の前の光景を見て、落胆した。
「ここもダメか」
これで詰め、なのか。いや、ここは城の西だ、他にも行ってない場所もあるのだろう。クルトは壁を見て、思わず手を伸ばしたが、シャーロットに止められた。
「クルトさん、危ないですよ」
「だな……俺もどうかしてた」
「気を付けないと、魔女にさらわれるのですよ――」
「魔女の森の話じゃないか」
魔女の森は結構有名な話だ、クルトにも見たことがある。エンディングは一つだけじゃないので、クルトもどれを見たのかよく覚えていない。
「たしか、兄妹の話だよな、エンディングはよく覚えていないが」
兄妹が家を失って、やむをえず森へ行く話だ。そこで心優しい動物たちに出会え、幸せに暮らしていた。だが、ある日、妹が病気になり、兄は薬草を探しに森の奥深くへ行った。その際、思わず森に鎮座する魔女とばったり遭った。顔を見られた魔女は大いに怒り、兄に呪いを下した。
「兄が妹を殺さなければいけない話ですよ」
なんか前に聞く話とは違う。クルトは記憶を漁っても何も出ていなかった。彼は自分の記憶力のなさを嘆いた。
「兄のほうが魔女の素顔を見たのに、なぜ妹が死ななくちゃいけないんだ」
シャーロットは顔を顰めた。「たぶん……妹が兄の弱点だから……でしょうか」
ふと、クルトは少しだけ物語の内容を思い出した。確かに、妹のほうもなにかやらかしたような気がする。エンディングだけはどうしても思い出さないが。
「魔女は逆に妹に呪って、兄を殺せばいいんじゃないか」
「そ、それは……」シャーロットは返答に窮し、困った顔のままなにも返事できなかった。
自分の悪い癖だ。クルトはシャーロットの顔を見て、後悔した。
気に入らないことがあったら、皮肉な態度しか取れない。兄が死ぬか、妹が死ぬか、どうでもいい話なのに、つい根掘り葉掘り聞いてしまう。
クルトは話を逸らそうと思って、口を開く。突然、彼女の瞳に一瞬青空色の光が走り、そのまま話しかけた。
「――妹は、罪深い存在なんですから。殺さなければいけない」
その青空色の瞳、悲しげな表情。最初に城で出会ったことを想起させる。
手を放す方が、放っておく方が『最善の手』って言って、彼の手を突き放す時だ。
「――罪深い存在だったら、どうしてそんなに悲しい表情を出すんだ」
その顔は、まるで私を殺しく下さいと、言いそうな顔だ。
罪深いだって、いろいろなやり方があるのに、なぜいつも最初から諦める、他の方法を探そうとしない。死ぬしか選択肢がないのか。
黙ってあるがままにすべてを受け入れるような強さが、彼にはなかった。
「それが一番合理的だからです。殺さなければ。彼女はすべての人を苦しめるでしょう」
彼女の金色の髪が風と共に舞う。そのまま、風と共にどこかへ行ってしまいそうだ。
「合理的なら、悲しむ必要はないだろう。なぜ胸を張って言えない」
彼女はただ黙って、なにも言わなくなった。
そんな顔をするくらいなら、嫌だ、悲しい、つらいと泣き喚く方がまたマシだ。
古い傷が痛む。昔のことを思い出した。ずっと昔なことが。時折、悲しそうな目をした人。我慢強い人、遠くへ行ってしまった人。自責と後悔まみれの記憶だ。
顔は全然似てないが、表情が似ていた。
そのまま、何も言わずに、ここを去ってしまうのではないか――恐怖を掻き立てられる。
「最初、城で会ったとき――」
「クルトさん? どうかしたのですか」
クルトは必死に言葉を綴るのに、首を垂れることさえ気づかなかった。気が付くと、シャーロットは少し微笑んで、クルトの顔をじっと見つめた。
さっきとは全然違う顔だ。
「いや、最初城で見た獣のことを思い出して」
見苦しい言い訳だ。クルトは思った。
「獣、来なければいいですね」
突然風が吹いて、シャーロットの話を横切った。クルトは風の方向を見た。白い壁が急に黒く染まり、暗闇から一匹、また一匹と赤黒い狼が走り出した。
彼らは真っ直ぐにシャーロットを見た。彼女は思わず狼たちと目が合った。憎悪の目しか見えなかった。
「ど、どうして――」
狼を見て、シャーロットはその場で立ち尽くす。クルトはシャーロットの手を引き、城のほうへと走った。
「しっかりしろ、立ったまま獣に食われる気か!」
「ご、ごめんなさい」
シャーロットはクルトに引かれるまま、まだ少し心ここにあらずの感じだ。
クルトは剣を抜き、後ろを見回した。
五、六匹がある。最初にシャーロットと会ったときの数を比べたら、少ないほうだ。彼はシャーロットを引いて、花壇を飛び越えた。
花壇を越えたら、いろんな高さと大きさの植木があった。丁度いい、盾になってもらう。クルトはシャーロットを連れて、木の後ろに逃げたら、狼たちはなぜか回避せずに、木にぶつけてしまう。幸いにも両方も距離を開いた。
彼らには回避という概念がないのか、それとも特別の方法でシャーロットを追尾しているのか。
「シャーロット、なにか捨てるものはないのか」
「え、えっ?」
シャーロットは走りながら困惑した。
「なんでもいい、なんでもいいんだ、あいつらの気を逸らす!」
「じゃ、じゃ私のリボンで!」
シャーロットは少し考えて、髪を結ぶ水色のリボンを外した。クルトはそのままリボンを取り、遠くへ投げ飛ばした。逆方向に。
狼たちは一瞬、リボンのほうを見るが、瞬く間に、またシャーロットの方を向けた。まるでどっちが本物か直感的にわかるようだ。
シャーロットは走りながら泣きそうな目をした。
「どうして、私なんですか、私は何かしたのでしょうか」
「嘆く暇があるのなら走れ!」
植木の群れを渡り、ようやく城の入口が見えた。植木の代わりに噴水があった。障害物がなくなる途端に、狼の速度が見る見るうちにあげた。
走る。前に進むのに躊躇しない。たとえ噴水でも狼の動きを止めなかった。噴水でも、ただの障害物。
突き進めた。噴水いとも簡単にぶち破った。
石は粉々に、血は零れ落ち、水は身に注ぎ。すべてがドロドロに混ざり合う地獄絵図だ。それでも、狼の歩みを止めない。
――まるで前しか向けない矢だ。
矢は真っ直ぐにシャーロットの首を狙った。
クルトは咄嗟に彼女を引っ張る。彼女が恐る恐る振り返ると、クルトは剣を取り、狼の大口を阻むのが見えた。
それは血か。汗か。狼の唾液か。それとも噴水の水か。すべてがドロドロで、クルトにも区別がつかなかった。
狼は必死にクルトの剣を噛む。
たとえ剣はすでに深く突き刺さっても放さない。まるでこのまま噛むと、シャーロットに届けるようで。他の狼も必死にその狼の上に乗り、クルトの上にのしかかる。
狂ってる。シャーロットを殺すだけに前を進む気だ。死んでもいいくらいに。前に阻むものなら誰だって壊す。
「シャーロット、走れ! 城へ!」
城へ行くのは、ここを通るしかない。
シャーロットが城に入れば、窓へ侵入したくても、扉を破りたくても、ここを通らなくといけない。彼が、その扉さえ、守れれば――
「でも、クルトさんがっ」
「――いけ! ノランを探せ!」
彼女はクルトの切羽詰まった声を聞くと、扉へ走り出した。
狼はその隙を見逃さない。剣はもう興味ない。シャーロット――シャーロット――狼たちはクルトを過って、彼女の背中を求めた。
隙を見逃さない。彼が身を翻すと、狼の背中が見える。剣を取って、追撃する。
一匹の狼の腹を貫く。剣を握って、馬乗りのように狼を乗る。その狼は彼を気づけやしない。少女にしか眼中にない。
「動けっ」
クルトが剣を抜き、首まわりを刺し、力強く、強引に狼の進路を歪める。
本物の狼のような反抗はないが、前へ進む執念だけを強く感じだ。他の狼にぶつかり、進む方向がズレた。狼は走り続ける、その力を利用し、他の狼を刺せるだけ刺す。命中した感触があった。
ちっ、浅がった。足を止めない。
二匹だけを仕留めた。残り三匹の狼を止めなければ。しかし、狼たちは既に庭園の正門に近づく。
「させるかっ!」
彼は走り出した。扉が破壊されていく前に。間に合わない。いや、必ず間に合う。
そんな時に、さっき仕留めた狼の残骸が彼の目を過ぎった。できるのか、いや、できる。できるかどうかじゃない、やるんだ。
狼の残骸を持ち上げて、投げた。扉へ向かって。無茶だと理性は思ったが、思ってたより軽かった。
残骸は扉を叩き、やがて扉と狼たちの間を挟む。狼たちの餌食となる。そう、彼らは前を阻むものだけを敵視する。それがなんてあろうと、たとえ同じ狼であろうと。
彼らが残骸を貪り食う瞬間、クルトは後ろから簡単にとどめを刺した。
「ほ……本物の狼にすら劣るな」
彼は息を切れながら言い放った。
狼はクルトの一撃を食らって、情けなく地面に震えるしかなかった。それでも、目だけが。目だけが、その憎悪だけが、消えない。
憎悪そのものだ。
なぜシャーロットをそんなに憎むのか。クルトにはまったく見当がつかない。
今は城の中で、ノランを探しているはず。そう思って、狼から離れると、狼の体が急に光出す。
狼は狼だ。たとえ狼の身体能力を持たなくでも、狼の形をしているから、狼を呼べるのだ。しかし、その確固たる存在は変貌した。
狼の形は磨滅し、もはや形を成さない。光となり、輝く光る銀の糸はぐるぐると輪廻の舞を踊り続けた。その舞は美しく、まるでお嬢様が踊るように、一心不乱で、優雅で、神秘的な舞だ。
光がどんどん膨張し、やがて城の高さになる。
――終わりの時が来た。
地上の時代が衰退し、空の時代が君臨する。
七色の羽を持ち、城の上からすべてを一掃できるほど巨大な鳥だ。
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