第4話

「――どこも、同じですね」


 シャーロットはそう言いながら、失望の色を隠しきれなかった。


 城の西はほぼ全部探索済み。残りは医務室だけだ。他のどんな部屋でも無人で、新入り兵士の血や死体すらなかった。


 窓は閉ざされて、破るのは不可能。まるでなにかの力に守られて、椅子にぶつかっても全然動じなかった。


 これほど不気味なことは初めてだ。


「医務室が最後だな」

「え、ええっ……そうです」


 シャーロットの歯切れは悪かった。


「苦手か」

「えっ、何がですか」

「医務室に行くのが」


「そう……ですね」彼女は口ごもる。「血は平気ですが、お医師さんには、あまりいい思い出がなくて」


 女性なら、生々しい血を見るのは嫌だと思った。なにしろ、獣の血を染めた剣を見るたびに、気を失ったり、叫び声を上げたり、何度も見てきたクルトである。


 医師のほうが無理なのは、結構めずらしい。むしろ医師にケガや病気を直してほしいと思わないのか。


「まぁ、その気持ちもわからなくもない。話を聞かないし、大雑把だし、間違いだらけだし、おまけに何を言っても知らん顔だ。ひどいだろう」


「クルトさんの所のお医師さんも、あまりいい人じゃないですね」


「親切の医師こそ夢なんじゃないか」


 共感を覚えたシャーロットは思わず顔をほころぶ。


 周りの薬草の匂いが急に鼻をつく。シャーロットは薬草の匂いを嗅ぐと、顔の表情まで凍り付いた。


 医務室の中に、なぜか小瓶がぶつかり合う音がした。賊か。クルトは警戒し、剣を取った。


「シャーロットは後ろに、嫌なら外にいてもいい」


 シャーロットは小さく頷く。彼は警戒し、扉を緩やかに開いた。


 中には医師らしき人が見えた。


 男は一心不乱に小瓶を集め、自分のバッグに入れる。大雑把にいれるだけじゃなく、きちんと小瓶を分類して、素早く薬棚から次々と薬をさらった。


「なにをしている」


 クルトは剣を抜き、男の首の前に止まった。しかし、男は動じる様子はなく、剣が首に前にいてもただ小瓶を集め続けた。


「邪魔しないでくれ、今は整理中だ」

「ホロン家のアイヴァンさん、なんですか」

「それがどうかした」


 男はただ薬を見た、クルトのことは見向きもしなかった。たとえ剣が首の前にいても。


「何をしていると聞いている」


 クルトはその態度に不満を感じ、そのまま彼のバッグを取って、遠くへ放った。

 アイヴァンは初めてクルトを見た。冷たい瞳で、冷静に反論した。


「教育になっていないな。リアスの騎士団はどうやって兵士を選抜しているのか。貴族に剣をかけてもいいのか」


 騎士団の名声に関わるとクルトは怒りを抑え、剣を戻すしかなかった。代わりに、彼はアイヴァンを、皮肉を込めてきつく指摘した。


「薬を独り占めにする、お前のほうこそどうやってホロン家で生き残ったのか気になるな。賊そのものじゃないか」

「盗人とは、大いなる誤解だ。薬はもちろん、私のものだ」

「そんなわけあるか」


 小瓶だけを見てもわかる、小瓶の模様は優雅そのもの。栓の周りにもイヨランという『永遠の命』を象徴する植物の花を刻まれた。エディミア教の全盛期で、ただの小瓶でもその教義が刻まれている。

 今リアスで使っていたのは、もっと実用性を突き詰めるものだ。エディミア教の教義はなく、色もそこまで派手なものじゃない。


 どう見てもこの魔城のものだ。


「誤解だと、言っているじゃないか。私は医師だ、人を助けることができなければ、医師じゃなくなる。その意味では、ここにいる小瓶も私の一部だ。」


「医師として、欠けることのできない大切なアイデンティティだ。薬なしでは、医師でいられると思う?」


 詭弁だ。彼は何事もなかったかのように言った。まるで朝の挨拶のように軽く。


 さらに、軽蔑の目で話し続ける。


「なにしろ、ここには私の腕を必要な『人』なんていない。世のため、人のため、私が全部いただくのが道理だろう」

「自分だけ生き残ればいいってことか。それでも医師か!」

「ええ、もちろん。獣以下のものに生き残っても意味がないから」

「――どうして、そんな残酷なことが言えるのですか!」


 咄嗟に後ろにシャーロットの声が聞こえた。今まで以上に厳しく、懇願にも似た声だ。


「おい、シャーロット、よせ――」


 クルトが引き留めるにも関わらず、シャーロットは二人の間を挟み入れ、焼け付くような眼差しでアイヴァンを睨み続けた。


「クルトさんは人なんです、獣じゃありません。私を、私を助けるために、どれだけ頑張ったのか、あなたには何一つもわかっていません! 彼を貶めるような言葉を取り消してください」


 シャーロットの話を聞いて、アイヴァンは冷たくあざ笑う。


「おや、見知らぬお嬢さんは私を残酷だと言うのか。私からすれば、君の方こそ、怪しいんじゃないか。君は偵察隊のものじゃないよね、なぜここにいるのか」


「おい、話を逸らすな。薬の話を言ってるだろう。シャーロットは関係ない」


「現実から目をそらし、彼女をかばうのか。騎士と聞いてあきれるね」


 アイヴァンはさらに挑発的な目でクルトを見る、まるで喧嘩を売る気だ。あるいは、クルトが怒るのを見て、楽しんでいる特別な感性の持ち主か。


 シャーロットも獣に襲われている、むしろ被害者だろう。彼は思った。


「彼女は偶然にこの魔城の出来事に巻き込まれているだけだ。俺からすれば、泥棒めいたことをしているおまえのほうが怪しいな」

「平行線か。ここで話を続けても、時間のムダのようだ」


 アイヴァンは医務室の出口まで歩く。そしてわざわざ振り向いて、ふたりに話をかけた。


「これからは、人はさらに昇華する、獣よりも強く、獣よりも美しく、獣よりも清らかな存在に、純粋な人間としてこの世に君臨する。君たちのような獣には人間としての素晴らしさが分かるまい」


 アイヴァンは目を静かに閉じ、両手を開き、自分の言葉に陶酔した。彼の言葉は支離滅裂で、まさに『獣に人としての素晴らしさが分かるまい』そのものだった。彼は人か、獣か、昇華とは一体なんなのか。


 正気の沙汰じゃない、人の面しているが、言ってることが滅茶苦茶だ。クルトはもう反論する気すら失せる。


 シャーロットもアイヴァンの様子を見て、言葉を飲み込んだ。


「せいせい薬を小生大事に持って、そのまま散るがいい」


 アイヴァンはそう言いながら、まるで勝ち誇るかのように、医務室を出た。


 二人もアイヴァンの姿が消えるまで、黙り込んだ。重苦しい空気になる。


「なんなのですか、あの人は……」


 シャーロットは放心状態となり、ため息をついた。


「獣か何かだろう」、とクルトは皮肉を込めて言った。


 ホロン家も貴族だが、ノランとこんな差があるとは思わなかった。


 あの野郎は医師というより、狂信者のようだ。獣ばかり言い続けたのもエディミア教の影響か。クルトはエディミア教を嫌悪するもう一つの理由ができた。


「次にあいつに会ったら、もうそんなことを言うなよ」

「なぜですか? 彼はクルトさんのことを貶めました。許せません。だって、クルトさんは必死に助けてくれたじゃないですか」


 シャーロットは哀しい目をした。


 正直、彼女がそこで割り入ると思わなかった。弱そうに見えるのに、どこからそんなに力強く反論する力があるのか。


「気持ちはわからなくもないが、危険の場合もある。あの野郎は何をするのかわからない、ナイフでも持っていたらどうする」


 咄嗟に彼女を守れなかったら、またエモンの二の舞になる。それだけは避けたかった。


「……でも」

「せっかくここまで守ってきたのに、あんな奴のせいで死なないでくれよ」

「わかりました……クルトさんがそういうのなら」


 シャーロットはまた全部納得しているわけじゃないが、さっきみたいに急に飛び出すのはもうしない、とクルトは信じたい。


「やっぱり、お医師さんは嫌いです」


 シャーロットは拗ねて、そっぽを向く。まるで子猫のような可愛げがあった。


「だよな」


 クルトはほぼ空の薬棚を見た。まさか、リアスの大雑把なやぶ医者のほうがいいと思う日が来るなんて、やはりここは悪夢だ。

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