第34話 霊峰シュピッツェ

 休憩を終え、再び霊峰の頂を目指して歩き始めたヒルデガルトたち。


 山岳案内のニコは、ヒルデガルトとデルマがまだ万年雪を見に来た観光客だと思っているが、同時に霊峰にしか生えていない珍しい霊薬の素材を取りに来たのではないかと想像していた。

 デルマが兄貴分のザックを助けてくれたこともあり、少しくらいなら薬草などを摘ませても良いと思いつつ、山の民の重要な収入源でもある霊峰の薬草をよそ者に摘ませることは山の民の年寄りたちの怒りに触れないか少し心配でもあった。


 整備された登山道は時折傾斜が急な場所もあるが、普通の山道に比べればはるかに歩きやすい。それでも上り坂を長時間歩き続ければ疲れも出てくるだろう。


「ヒルダ、あなた、疲れないの?王都からほとんど出たことがなければ、こんな山道は初めてだと思うんだけど。」少し息を切らしながら、デルマはヒルデガルトに尋ねた。

 

「ありがとうございます、デルマ先生。清々しい木々の緑に囲まれて、活力を頂けたのか、まだまだ元気ですわ。」当のヒルデガルトは疲れた素振りさえ見せず、涼しい顔でデルマを振り返った。


 輝くような、という形容詞がぴったりくるような笑顔のヒルデガルトを見て、デルマは小さく「これが若さかなあ」と呟く。


「ニコさん、この山には、岩鏡や稚児車、駒草なんかは生えてないの?」気を紛れさせようとデルマはニコに高い山に生える草花が見られないか聞いてみた。


「そうですねえ。もう少し高い所まで行けば見られると思いますよ。ちょっと登山道から離れた岩場に行かないとダメだけど。」

「そう、あるにはあるのね。」

「そりゃ、ありますよ。霊峰シュピッツェは王国の中でも自然が豊かな所だから。その豊かな自然を守ってるのが、俺たち山の民だ。薬草なんかを考えなしに摘んでいく不届きな奴らから山を守っているんだ。」

 鼻の下をこすりながら、へへっ、と自慢げに笑うニコ。爵位こそ持たないが山の民の族長は領主として君臨し、王家はそれを黙認しているのだろう。


**********


 太陽が中天に過ぎる頃、一行は万年雪が見られる高さまで辿り着いた。

「わぁ、本当に夏でも雪が残っているのですね!」明るい陽光に輝く万年雪を前にして、感嘆の声を上げるヒルデガルトに、デルマは妹を見るかのような温かい眼差しを向ける。


(王都に閉じ込められていたら、こんな景色を見ることもなかったんだろうなあ。)箱入り娘のヒルデガルトを王都から連れ出したことに少し後ろめたさのあったデルマも、今のヒルデガルトの笑顔を見ると、連れ出して良かったと思えるようになった。


(さて、ここから山頂に行くために、ニコ君をどう丸め込むか・・・)デルマは雪を触って「冷たい」とはしゃぐヒルデガルトと、その近くで休憩しているニコを眺めながら思案する。


 慣れない雪山を登るのに、山の民のニコの案内は欲しい。一方で山を神聖視する山の民が部外者を山頂に招き入れることを良しとしないことは容易に想像できる。

 ヒルデガルトの『親友』である白銀の龍にお出まし願うか。

 伝説に聞く白銀の古龍アデルハイトの子どもどころか曾孫のような幼い龍だが、龍は龍。しかもアデルハイトと同じ白銀に輝くその姿に山の民も跪くのではないか?


 デルマが想いを巡らせていると、ニコが声を掛けてきた。

「デルマさんはせっかくの万年雪を楽しまないんですか?」

「そうね、せっかくだし、雪割草でも探そうかしら。」

 ニコに軽く応えながら、デルマはヒルデガルトの方に歩いていった。


「ヒルダ、伝説ではこの雪山を登った山の頂にある洞窟が白銀の古龍アデルハイトのすみかだと言われているわ。そこまで行くべきなのかどうか、お友達に聞いてもらえないかしら?」デルマはニコに聞こえないよう、囁くような声でヒルデガルトにそう頼んだ。

「かしこまりました、先生。」そう応えるとヒルデガルトは雪を触っていた手を引っ込めて軽く目を瞑り、心の中でエオストレに呼び掛けた。


(エオストレ、霊峰シュピッツェに登ってまいりましたが、頂上まで登る必要はありますか?)

(うふふ。この山には初めて来たけど、懐かしい感じがするわ。)

 エオストレの第一声は嬉しげな調子だった。


(山の頂にこちらの世界と龍の世界を繋ぐ入り口があるはずよ。向こうの世界で感じなかった波動をこちらでは感じるから、何かあるとしたらこちら側の世界だと思うけど。)

(そうなのですね。では、少なくとも山頂までは行かなければならないのですね?)

(ええ、ヒルダも一緒に来てくれるわよね?)

(もちろん、私はご一緒させていただきますわ。でも、デルマ先生やニコ様をお連れしてもよろしいのでしょうか?)


 もし、白銀の古龍アデルハイトに関わるものがあった場合に、それを部外者に見せて良いのかどうか、あるいは、エオストレが波動に雑音が混じると言っていたことから、何か障害ががあって、デルマたちを危険な目に遭わせてしまうのではないか。

 そんな懸念もあって、ヒルデガルトはエオストレに二人を連れていくべきかを尋ねた。


(デルマは信用できる人間だし、ニコはアデルハイトを崇拝している一族でしょ。万が一、邪な心を起こして、私たちに害を為そうとすれば返り討ちにするだけよ。逆に多少の危険があっても人間二人を守るくらい容易いことよ。)

 エオストレは、ヒルデガルトの懸念に軽やかに応える。

(返り討ちにするにせよ、守るにせよ、ヒルダと私にはそれだけの力があるわ。)


「わ、私も、ですか?」白銀の古龍と念話をしていたヒルデガルトだが、自身にも返り討ちにする力があると言われ、思わず声に出してしまった。


 突然、声を上げたヒルデガルトに驚いて、デルマだけでなく、ニコもヒルデガルトの方を振り返った。


(当たり前じゃない。あなたは私の、私はあなたの力を使えるもの。)なぜヒルデガルトが驚くのか分からないといった調子でエオストレが応える。


 突如、戸惑った様子で独り言(?)を呟くヒルデガルトをニコは不思議そうに眺め、デルマは興味深そうに見守る。


(私も少しは魔法を扱えるようになりましたが、とても人様と争えるとは思えませんわ。エオストレは古龍ですからお強いのは分かりますが・・・)

(だから、あなたは私と繋がっているの。だから、ヒルダは私の力を引き出して、使うことができるのよ。)

(そんな、とても無理ですわ。)


 頑なに否定するヒルデガルトに半ば呆れつつ、エオストレはヒルデガルトに万年雪の前に立つように促した。

(さあ、ヒルダ、この万年雪に向かって、右手を掬い上げるように回してみて。)

(こ、こうですか?)

 エオストレの言葉に従い、ヒルデガルトは白く輝く雪の前に立つと、右腕を少し後ろに傾けた後、円を描くように下から腕を回した。

 その刹那、ヒルデガルトの前方の固く締まった万年雪の下から雪を切り裂くように二筋の光が山頂に向かって伸びていく。その光に挟まれた氷が砕け散ったかと思うと、形を変えて固まっていき、白く煌めく階段を形作っていった。


 一面の雪の上に一段また一段と流れるように階段が伸びていく様は驚きとしか言いようがなく、デルマやニコはもちろん、自ら腕を振って階段を造った格好になったヒルデガルトも唯々息を飲むばかりだった。


(さあ、雪でも歩きやすくなったでしょう?)

 無邪気なエオストレの呼び掛けに我を取り戻したヒルデガルトは驚きで大きな声を出しそうになった口を押さえた。

「こ、これを私が?」山頂に向かってまっすぐと続く氷の階段を見て、絶句するヒルデガルト。


(そうよ、あなたがこの階段を造ったのよ。)

(でも、エオストレ、あなたの力があればこそ、造ることができたのであって、私が造ったとは言えないのではないでしょうか?)

(それは違うわ、ヒルダ。私の魔力を使ったかも知れないけど、それは、あなたが私の力を自分の物として引き出すことができたからこそなのよ。)

(これが古龍の力・・・)


(さて、ここからは寒くなってくるから、外套を用意して、山頂まで登っていきましょう!)ヒルデガルトの影の中にいるエオストレは、自分で歩くわけでもないのに明るくヒルデガルトを促した。


「あの、デルマ先生、ニコ様。この階段を昇っていくよう、私のお友達が申しておりますの。」

 少し上目遣いになって、少し戸惑った様子で申し出るヒルデガルトに、まず反応したのはニコだった。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待った。」慌てて万年雪の中に伸びた階段の前に立ち塞がるように立ったニコは、ヒルデガルトやデルマを押し止めるように両腕を広げた。

「こ、この階段は何だ?神聖な白銀の古龍様の住まう山頂を騒がすことは許されん。」


「この頂にアデルハイト様がいらっしゃるのですね。私はアデルハイト様にお目もじするためにはるばる王都より参りました。どうかお通しくださいませ。」

 祈るようにお願いするヒルデガルトに、ニコは少したじろぐような気配を見せるが、それでもなお立ち塞がっている。


「駄目だ、駄目だ!万年雪は白銀の古龍様の聖域の証。それをこんな風に階段にしてしまうことだけでも許し難いのに、さらにそこに足を踏み入れるなど到底認めることはできない。」

 顔を紅潮させながら、ニコは大きな声でヒルデガルトの頼みを拒絶し、腰に下げた角笛を取り上げて、一息で大きな音を響かせた。


「まずいわね・・・」そう呟きながら、デルマは荷物袋から白く濁った霊薬の入った小瓶を取り出しながら、ヒルデガルトの後ろにそっと寄り添った。


「ヒルダ、おそらく大勢の山の民がここに集まってくるわ。その前にここを突破して山頂まで駆け上がらないと何をされるか分からないわよ。」デルマはヒルデガルトの耳許で囁くと、ヒルデガルトの前に出ようとした。


「お待ちください、デルマ先生。白銀の古龍を崇める山の民の方々を傷付けることは、私のお友達も本意ではないと思います。」

 左腕を伸ばして、自身の前に踏み出そうとするデルマを制しつつ、ヒルデガルトはニコの目をまっすぐ見据えた。


「ニコ様。そこをお通しくださいませ。私たちは聖域を汚すつもりは毛頭ありません。ただどうしても我が友をアデルハイト様にお引き合わせしなければならないのです。」

「友達?その友達はどこにいるんだ?適当なことを言うんじゃない。」

 少し苛立ちを含んだニコの声は、かつてのヒルデガルトであれば立ち竦んだであろう迫力を帯びている。


(育ちは良さそうだが、頭が少し弱いのか?突然独り言を呟いたり、居もしない友達を居ると言ったり、聖域に登りたいと言ったり。)

 ニコはヒルデガルトを見極めようと鋭い視線を送る。


「ヒルダ、ニコさんに納得してもらった上で登りたい気持ちは分かるけど、時間が無いの。」

 焦れたように囁くデルマにヒルデガルトは一瞬申し訳なさそうに振り向いたが、すぐにニコに視線を戻した。


 ヒルデガルトとニコの視線がぶつかり合ったまま、どれくらい時間が経っただろうか。


 二人の均衡は思わぬところから破られた。


 ヒルデガルトとニコが万年雪の上にできた氷の階段を前に対峙していたその時、突然、大きな影が差し、ギャッ、ギャッと耳障りな鳴き声が響いた。

 空を見上げた三人が目にしたのは、ワニのような体に大きな皮膜の翼をつけた怪物だった。


「翼竜よ、逃げないと!」デルマが大声で叫ぶ。

 翼竜は「竜」と呼ばれるが、古龍や飛龍とは系統が異なる種族で、どちらかというと大型の角蜥蜴に近い。ただ、人間の大人の倍以上の大きさで、長い口吻に鋭い牙が並んでいる姿は、人間にとって脅威でしかない。


「よ、翼竜?」ニコは見たことの無い奇妙な怪物を茫然とした顔で見上げている。


「走って!翼竜は知能は高くないし、小回りが効かないから、岩の陰に隠れるのよ。」そう叫んで走り出したデルマを追いかけるようにヒルデガルトとニコも走り出した。


「はぁ、はぁ、何であんな化け物がいるんだ!」走りながら吐き捨てるようにニコが怒鳴ったが、デルマもヒルデガルトも応えている余裕は無い。


 何とか人の背丈ほどの岩や立ち枯れた木が並ぶ場所まで逃れたが、追いかけてきた翼竜がその木をへし折りながら、頭の上を通り過ぎるとヒルデガルトとニコは頭を庇うようにしてしゃがみこんでしまった。


 デルマはそんな二人を尻目に荷物袋から黒い玉を二つ取り出すと、翼竜の動きを目で追う。


 翼竜は獲物を諦めるつもりは無いらしく、少し先で旋回すると、三人が隠れる岩に再び向かって飛んできた。


 デルマは黒い玉の一つに火を着けて、翼竜を待ち構える。

 翼竜はデルマを見つけると、ギャッ、ギャッと鳴き声を上げ、大きな口を開けて、一直線にデルマの方に飛んでくる。


「さあ、いらっしゃい。」翼竜に鋭く睨みながら、デルマは乾いた唇を軽く舐めると、黒い玉を翼竜の口めがけて投げつけた。

 本能的に動く物に反応するのだろう。翼竜は自分に向かって飛んでくる黒い玉を避けるのではなく、大きな口で噛みついた。翼竜の口に黒い玉が飲み込まれた瞬間、ドンという爆音が響き、翼竜が口から黒い煙と赤い血を撒き散らしながら、地面に落ちてきた。


 地面に叩きつけられた翼竜は、深く傷付いたものの、まだ致命傷には至っておらず、大きく口を開けて、威嚇してくる。血に塗れ、牙の半分近くが折れてしまっているが、まだ人間を噛み殺すだけの力は残っていそうだ。

 ただ、飛ぶのは得意ではないようで、翼を羽ばたかせるものの飛び上がるようには見えない。


「デルマ先生、お怪我はありませんか?」そう言って駆け寄ろうとするヒルデガルトを手で制止しながら、デルマはじりじりと後ずさった。


「翼竜は一度地面に落ちてしまうとその場では飛び上がれないわ。高い所から滑空しないといけないの。地上を移動するのは苦手だから、走れば追い付かれないと思うけど、近づくと危ないわ。」


 山頂へと続く階段には、翼竜の目の前を横切らなければならず、進むに進めなくなったヒルデガルトとデルマ。


「おい、何でこんな化け物がいるんだよ。ここは白銀の古龍様の聖域じゃないのか?」

「それはこっちの台詞よ!あなたたち山の民が古龍様の聖域とやらを守ってたんじゃないの?」

 ニコが震える声でぶつぶつと呟いているのを見て、デルマは半ば呆れつつ怒鳴るように応えた。


**********


「さっきの爆発音は何だ?」

 毛長牛の背に跨がった、がっしりした体躯の男がヒルデガルトたちがいる場所まで上がってきた。


「角笛の音が聞こえたから来てみたが・・・おい、ニコ、ありゃ何だ?」

 牙が生えた大きな口を開けて、威嚇してくる翼竜を指差しながら、男はニコに尋ねた。


「翼竜っていう化け物らしい。ちょっと前まで空を飛んで、俺たちを襲ってきたんだ。」

 山の民の仲間の姿を見て落ち着きを取り戻したニコが説明した。


「それで角笛を鳴らしたのか。もしかするとあいつがザックを?」

「分からない。だけど、空を飛ぶ化け物であれだけの鋭い牙を持っているから、多分あいつだろう。」


「で、そちらのお嬢さんたちが今日の客か?」

「客っていうか、何て言うか。」

 言い淀むニコを不審そうに一瞥しながら、男は毛長牛から降りると腰に吊り下げた山刀を抜き放った。

「事情は後で聞く。まずはあの化け物を退治してからだ。」


 男の得物は分厚い刃を持つ短い刀で、叩きつけて押し切る物だ。これなら翼竜の頑丈な鱗も切り裂けるだろう。


 男が山刀を構えながら、翼竜との間合いを詰めていくと、翼竜は口を開けて威嚇する。ニコやデルマではなく、この男こそが敵だと認識したようだ。


 男は初めて見る翼竜の力を量るように、じりじりと間合いを詰める。

 翼竜が牙を鳴らしながら首を振った瞬間、男は山刀を振りかぶって、翼竜に飛び掛かった。振り下ろされた山刀が翼竜の長い口吻の中ほどに叩きつけられると固い鱗が弾け飛び、刃の半ばまで食い込んだ。


「しまった、抜けねぇ。」

 山刀は翼竜の口吻の骨と固い肉に食い込んでしまい、男の動きが止まる。刃が骨まで達した痛みに、翼竜がギャーと大きな叫び声を上げて、力任せに頭を振り回すと、堪らず男は投げ飛ばされてしまった。


「ちくしょう、俺の山刀が!」翼竜の口吻に食い込んだままの山刀を見て、男は悔しそうに呻く。


 仲間の男と翼竜の闘いを見て、ニコは再び角笛を吹いた。先ほどと違い、今度は鋭く3回音を鳴らす。山の民の中で危機を知らせる合図だ。


(まずいなあ。山の民と翼竜。前門の羆、後門の狼とはまさにこの事ね。)デルマはまだまだ力の衰えない翼竜とこれから集まってくるであろう山の民のことを考えると頭を抱えたくなった。

(これ以上手間取ったら、身動きが取れなくなってしまう・・・)



「ニコ、手伝え!」山の民の男は予備の短剣を構えながらニコに声を掛けた。

「分かった、オッド。」

 一人では翼竜に怯えていたニコも山の民の仲間がいると心強いのだろう。オッドと呼ばれた山の民の男が持っていた物より少し短い山刀を構えて、翼竜を牽制した。


 翼竜が口の中から血を流しているのを見て、時間を稼いで体力の消耗を図る作戦にしたのか、オッドとニコは交互に翼竜に攻撃する素振りを見せながらも翼竜の間合いには入らず、翼竜に首を左右に振らせるように動く。翼竜が二人の姿を追って首を動かすたびに、その口から血が流れ出るのが見える。


 そんな風に時間を稼いでいるうちに、さらに三人の山の民が集まってきた。山の民たちは、昨日の被害も頭にあるのだろう。翼竜の周りを囲み、慎重に山刀で翼竜を傷付け、体力を奪っていく。


 キシャー、とこれまでとは違う鳴き声で翼竜が叫び始めた。

「よし、だいぶ弱ってきているぞ。」山の民の一人が動きの鈍くなった翼竜を見て、仲間たちに告げる。


 確かに翼竜の動きは鈍く、血が大量に失われたのか、出血も少なくなってきている。

 それでも、なお、キシャー、と少し高い声で鳴き続ける翼竜にデルマは言い様の無い不安を覚えた。

(この高い声は遠くまで届きそうね。もしかしたら、仲間を呼んでいるのではないかしら?)


 そう考えたデルマが周りの空を見回した時、突然ヒルデガルトが大声で叫んだ。

「翼竜の群が近づいてきています!」

 まだ、翼竜の姿は見えないが、ヒルデガルトがそう言うということは、白銀の古龍エオストレが探知したのだろう。


「ヒルダ、翼竜の群はどこから来そう?」デルマが鋭い声で尋ねた。

「エオストレが言うには、西の下の方から上昇気流に乗って、こちらに飛んできているそうです。」


 山の民たちもヒルデガルトの声に振り返り、不安げにヒルデガルトを見つめる。


「おいおい、一匹でもこんなに手こずっているのに、群だと?」山の民の一人がやけくそ気味にぼやいたのを皮切りに、山の民たちが目配せし合った。目の前の翼竜の追撃や新たに襲ってくるであろう翼竜の群からどうやって逃げるかの算段を始めたようだ。


(翼竜を捨て置いて逃げる、か。もしかしたら昨日、犠牲になったという観光客も山の民の山岳案内人に見捨てられ、囮にされたのかもね。)

 デルマは山の民たちの様子を皮肉に満ちた目で観察しながら、自身とヒルデガルトが翼竜の餌にならないためにどうすべきか考えを巡らせた。

 それにしても、もし昨日の山岳案内人が客を見捨てて囮にしたのなら、そんな人間を治療して命を救ったことが良かったのかどうか。その上、ここで自分たちも囮にされてしまったら、道化以外の何者でもないなあ、とデルマは独り苦笑した。

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龍宿りし乙女 村井喜久 @longjoy

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