第29話 テルミッツの街 その2

 夕食を終えたヒルデガルトとデルマが路地裏の食堂を出ると辺りは夜の帳が降りていて、周りの家々や店から漏れる灯りで、街の雰囲気は昼間とはまた違ったものになっていた。そよそよと吹く夜風が肌に心地好く、表通りから聞こえてくる喧騒もテルミッツの街の繁栄を感じさせる。


「すっかり長居してしまったわね。明日も早いし、宿に戻ってゆっくりしましょう。」久々の美味しい料理にデルマは満ち足りた笑顔でヒルデガルトに話し掛ける。


「はい。それにしても先ほどのお料理はどれも初めて口に致しましたが、いずれも美味しゅうございました。デルマ先生はこうした各地方のお料理にもお詳しいのですか?」ヒルデガルトも初めての美味を思い出しながら笑顔で尋ねる。


「そうねぇ。霊薬の素材を探す旅に出ていた頃は色々な所に行ったから、それなりに食べてきたけれど、今日のお店は大当たりだったと思うわ。」肉汁が溢れる赤牛の挽き肉料理を思い出して、デルマは思わず涎が出そうになりながら応えた。

 美味しい料理は人を幸せにする力がある、という店主の言葉は本当にそのとおりだと思う。


 地元の住民しか来なさそうな裏通りにも人が増えてきた。店を閉めた商店主やその家族、使用人たちも夕食を取りに来たのだろう。歳が少し離れた美女と美少女の取り合わせが珍しいのか、二人とすれ違うと、ちらちらと振り返る。

 あくまでちらっと見るだけというのが大切で、まじまじと見つめたり、ましてや下手に声を掛けたりはしない。様々な素性の旅人が行き交い、時に身分の高い者も紛れている中、厄介事に巻き込まれないための知恵である。


 そんな裏通りを抜け、表通りに入ると様相は一変した。旅人を呼び込もうとする客引きの声や酔っ払いが歌う声、連れの仲間を探す声が飛び交い、ヒルデガルトとデルマも少なからず客引きに声を掛けられる。

 もう夕食は取ったから、とデルマが客引きを退けながら進み、ヒルデガルトははぐれないようにそっとデルマの服の袖を摘まんで後をついていく。


「喧嘩だ、喧嘩!」近くの酒場から怒鳴り声が聞こえ、家具が倒れる音や食器が割れる音が響き渡る。

 客引きや呼び込みの人々は慣れているのか、それとも巻き込まれないようにしているのか、何事も無いかのように平然と商売を続け、通りを歩く人々は怒鳴り声が聞こえてくる店を遠巻きにしながら、好奇の目を向けて通り過ぎていく。

 デルマも厄介事に巻き込まれないようにヒルデガルトの手を引いて、足早に立ち去ろうとしたその時、酒場から一人の男が転がり出てきた。


「待て、この野郎!」

「逃がすな!」

 最初に出てきた男を追って、酒場から二人の男が飛び出してきた。


「あら、テオ様?」最初に転がり出てきた男を見て、ヒルデガルトが声を上げた。

「だめ、ヒルダ。たとえ知り合いだったとしても、酔っ払いの揉め事に首を突っ込んでは。」

声を上げたヒルデガルトに対して、デルマは鋭く注意する。


「良い、悪いではなくて、旅の途中で厄介事には関わらないのが鉄則なの。」

「でも、先生、テオ様は怪我をされているようですわ。」

「それも含めて、夜の街では自分自身で責任を取るの。ましてや私たちはこの街では余所者よ。官憲が来れば難癖を付けて詰所に引っ立てられたりして、碌なことにならないわ。」


 そう言い合っているヒルデガルトとデルマを目敏く見つけたテオは、二人の方に駆け寄る。

「薬師先生、助けてくれよ。」二人の後ろに隠れるように回り込んだテオは片膝を突いて、呻くような声で助けを求めてきた。


「甘えたことを言わないで。あなたも冒険者の端くれでしょ。夜の街の喧嘩は自己責任よ。」

 デルマは冷たく突き放すが、テオは憐れみに訴えるようにデルマとヒルデガルトの顔を交互に見上げた。助けを求められ、ヒルデガルトもおろおろとデルマとテオの顔を見る。


「おう、あんた、そいつの連れか?」テオを追いかけて出てきた男の一人がデルマの方に近づきながら尋ねてきた。

 テオを逃がさないように、二人で左右に分かれながら近づいてくる男たちを見て、テオはデルマの後ろで身を縮こまらせる。


「連れな訳ないでしょう、こんな情けない男。乗り合い馬車で一緒になっただけよ。」

「薬師先生、そんな冷たいこと言わないで助けてくれよ。」


「ずいぶんと頼りにされてるみたいだが、それでも知らないと言い張るつもりか?」もう一方の男が片手に棒を構えながら、デルマとの間を詰める。


「ああ、もう!」デルマはヒルデガルトを庇うように立ち、近づいてくる男たちに毅然と対峙する。

「あなたたちもいっぱしの冒険者ならこんな女一人に二人がかりで凄むんじゃないわよ。」


「威勢が良いな、姉ちゃん。本当は俺たちと遊びたいのか?」片手に棒を構えた男が下卑た笑いを見せた。


「はぁ?」デルマが片眉を跳ね上げて、呆れてみせる。

「この子の教育に悪いから、下品なことは言わないでちょうだい。せっかく美味しい料理を頂いて、良い気分で帰るところだったのに、最悪だわ。」


「丸腰の、しかも女と子ども相手に手荒なことをするつもりはない。さっさとその男を引き渡せ。そうしたらあんたたちには手を出さねえ。」もう一人の男がデルマの説得にかかる。


「引き渡すも何も勝手にこの男が私たちの陰に隠れているだけよ。好きにしたら?」デルマが突き放すように告げると、テオは顔をくしゃくしゃにして泣きそうになった。

「そんなこと言わずに助けてくれよぉ。」

「うるさい!あなた、いったい何をしでかしたの?」ピシャリ、という表現そのものの口調でデルマはテオを一喝する。


「そいつはな、女給と楽しく呑んでいた俺様の脚を思い切り蹴っ飛ばしていきやがったんだ。冒険者の俺様が怪我でもして戦えなくなったら、街だって魔獣に襲われて危なくなるんだぞ!」

「何言ってんだ!あの娘が嫌がっていたのを無理矢理引き留めて酒を飲まそうとしてたじゃないか。」

「命を懸けて街を守っている俺様がモテるからって妬むなよ、この腰抜けが。魔獣の10匹でも倒してから偉そうなことを口を聞くんだな。」


「何を!」 腰抜けと罵倒されて、これまで怯んでいたテオもさすがに気色ばむ。腰に吊るした小剣に手を掛けながらテオは立ち上がった。

「誰が腰抜けだ?」そう叫んでテオが剣に手を掛けると、ヒルデガルトはとっさに剣の柄頭に両手を添えて押し止めた。

「テオ様、いけません。このような暴力では何も解決しませんわ。」

 悲しげに潤んだヒルデガルトの瞳に見つめられ、テオは少し冷静さを取り戻す。


「あなたたちもテオ様を許してあげてください。争いは憎しみと悲しみを生み出すだけです。」ヒルデガルトは男たちの方を振り返り、切々と訴える。


「けっ!おままごとかよ。」争いを止めようとする可憐な少女に冒険者の男も毒気を抜かれたようだ。

「おい、お前、二度と邪魔すんじゃねえぞ。」男はテオを睨み付けながらそう凄むと、足下に唾を吐き捨てて、もう一人の男と酒場に戻っていった。


「ヒルダ、早く宿に帰るわよ。この騒ぎを聞きつけて、警備隊が来たら厄介よ。」デルマは射抜くような視線でヒルデガルトの目を見つめながら有無を言わせぬ口調で言い、その手を取って歩き出した。

「あ!先生。お待ちくださいませ。」手を引っ張られ、よろめきながらヒルデガルトがついていく。


「薬師先生、ヒルダちゃん、待ってくれよ・・・」

 そう二人を引き留めようとするテオだったが、射殺すような視線でデルマに睨み付けられて、言葉を継げなかった。

 未熟とはいえ、それなりに経験を積んだ冒険者であるテオを一睨みで黙らせる、その迫力は一介の薬師とは思えない。


「先生、何を慌てていらっしゃるのですか?」戸惑ったヒルデガルトがデルマに尋ねると、デルマは鋭い視線で振り返った。


「ヒルダ、あなた、ここがどこか分かっているの?」

「テルミッツの街ですが・・・」

「そう、ここはテルミッツ。国王の直轄領よ。あなた、自分の立場が分かっているの?」

 デルマの厳しい口調を受けて、ヒルデガルトははっとした。自分が王都を抜け出してきたこと、それが見つかると家族に不利益が及びかねないことに思い至ったのだ。


「デトモルト家は国王の直臣の中でも筆頭の家柄。それが交通の要衝を任されているのは、そこを通る人や物を監視するためよ。」

「も、申し訳ありません。そこまで頭が回らず、軽率な真似をしてしまいました。」

デルマの指摘を理解したヒルデガルトはシュンと落ち込んでしまった。


「ともあれ、早く宿に戻って出発の準備よ。もしかしたら夜中に街を抜け出す羽目になるかもしれなくってよ。」幾分声を和らげながらも、デルマはまだ少し緊張しているようだ。幾分歩く速度を緩めたが、まだ速足だ。


 幸い途中で街の警備隊に鉢合わせることもなく、宿屋の立ち並ぶ通りに入って、デルマはようやく緊張を解いた。

「ここまで来ればひと安心ね。」大きく息を吐きながら、デルマはヒルデガルトの手を強く握っていたことに気付き、慌てて手を離した。

「ごめんなさいね。慌てていて。赤くなっているけど痛くはない?」少し赤くなったヒルデガルトの手の甲をさすりながら、デルマは申し訳なさそうに謝った。

「大丈夫ですわ。私の方こそ先生にご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。忍びの旅ということを忘れておりました。」

「ここが直轄領でなければ、まだ良かったんだけど。こちらこそ不安にさせてごめんなさいね。」


 二人は念のため、少し遠回りをして、泊まっているのとは違う宿に入るそぶりを見せてから、自分たちの宿に戻った。デルマはヒルデガルトに先に宿に入らせ、自身は少し宿の前で尾行がついていないか確認してから中に入る。


 そんな二人の姿を向かいの宿の屋根から一羽の梟が見守っていた。

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