第27話 荒野を越えて

 ヒルデガルトたちを乗せて走る馬車は、陽が暮れてなお荒野を抜けられずにいた。

何度か行商人の男が御者を急き立てたが、まだ先は長く、荒野を抜けるためだけに馬を酷使するわけにもいかないこともあり、行商人も諦めたようだが、まだぶつぶつと言っている。


「昼までも灰色狼に襲われるような場所なんだ。夜になれば獣どころか魔物だって出てくるかもしれない。」行商人はイライラしながら窓の外に目を遣りながら、独り言を呟いている。

「予定なら今頃宿で晩飯を食べているはずなのに、このままだと下手をしたら野宿だぞ。」


 ガタゴトと揺れながら音を立てている馬車の中で、行商人の独り言はそれほど響くわけではないが、大の大人の愚痴が続くのは正直なところ鬱陶しい。行商人の前に座っている護衛のテオは、雇い主の声が聞こえないふりをして、目をつぶって狸寝入りを決め込んでいる。

 巡礼者の夫婦は揺れに身を任せて瞑想しているのか眠っているのか。デルマも半分目を瞑って、ボーッと右から左へと聞き流していた。

 ヒルデガルトは物珍しげに窓の外の風景に見入っており、行商人の独り言は耳に入っていない様子だ。


 陽が落ちて、夕闇が辺りを急速に包み込んでいくと、馬車の中にも小さな魔法の明かりが灯された。

 窓の外は明かりが当たって明るい場所と闇に包まれた暗い場所とに分かれ、同じ荒野でも昼とはまた違った景色に見える。


「先生、あれは何でしょうか?」眠っている乗客を起こさないよう、ひそひそとした声でヒルデガルトはデルマに話しかけた。

 ヒルデガルトが指差している方向を向いたデルマは窓の隙間を少し押し広げ、よく見ようと目を凝らす。

 そこには、小さな粒のような光をまとった土の塔のような物がいくつも立っていた。

「あれは、蟻塚かもしれないわね。大陸の南の方でよく見られると文献に書いていたけれど、北にもあるのねぇ。」

「何が光っているのでしょうか?」

「蟻塚の中に棲んでいる虫が光を出すと聞いたことがあるわ。初めて見たけど、幻想的できれいになものね。」

「まぁ、虫が光るのですね!でも何のために光るのでしょうか?」

「光に集まってくる小さな虫をおびき寄せて餌にするらしいわ。あの虫を使えば暗闇で発光する霊薬が作れるかもしれないわね。」

「そんな習性が。不思議な生き物がいるのですね。」

 デルマの説明を興味深そうに聞いていたヒルデガルトは虫の習性に感心しながら、再び窓の外に目を向けた。


**********


 荒野が完全に夜の闇に支配された頃、御者は大きな龍血樹の下で馬車を停めた。

「地平線はおろか山の稜線も見えなくなった。これ以上進むのは無理だ。悪いが今日はここで野宿してもらわないといけねえ。」

「こんな危険な荒野で野宿だなんて無茶だ。夜通し走っていた方が魔物や盗賊に襲われにくい。幸い星は見えるし、このまま走り抜けるべきた。」

 申し訳なさそうに告げる御者に向かって、行商人が声を荒げる。昼間の灰色狼の襲撃がよほど堪えたのか、早く荒野を抜けたくて仕方がないようだ。


「陽が落ちる前に荒野を抜けられなかったのは申し訳ねえが、このまま走り続けるのは馬の体力がもたねえ。そんな無茶を言うなら降りてもらっていい。」御者はムッとしながら、行商人に反論した。一人のわがままで商売道具の馬を潰してしまったら、死活問題だ。

 さすがに夜の闇に包まれた荒野のど真ん中で馬車から追い出される訳にもいかず、行商人は不機嫌な様子を隠そうともせず、舌打ちをしながら引き下がった。


**********


 馬車の乗客たちは、御者が起こした火を囲むように座り、それぞれが持ってきた保存食などで夕食の準備を始めた。

 ヒルデガルトとデルマは昼と同じように干し野菜と肉を煮込む。昼と違うのは赤蕃茄の実を多めに入れて、赤いシチューのように仕上げたことだ。


「明日は街で食料を仕入れないとね。良い干し肉が売っていると助かるんだけど。」

そんなことを話ながらヒルデガルトとデルマが夕食を取っていると、駅馬車の護衛であるマリウスと行商人の護衛のテオが近寄ってきた。


「薬師の先生も弟子の嬢ちゃんも大したもんだな。冒険者として登録はしてるのかい?」

「ほんとほんと。魔法で脚の傷もきれいに治ったし、すっげえ不味い薬だったけど回復も普通より早かった気がする。」


「冒険者には登録していないわ。王都のギルドには懇意にしてもらっているけど、あくまでもお得意様ね。素材を調達してもらったり、霊薬を卸したり。さすがにうちが独占とまではいかないけど、良い関係よ。」

 言外に「何かちょっかいをかけてきたら、王都のギルドに駆け込むぞ」とにじませながら、デルマはにっこりと笑顔を見せた。


「ほぉ。ギルドに置いてある霊薬は先生が作っているのか。俺も時々世話になってるよ。」マリウスが感心した声で言いながら何度か首を縦に振った。


「それで、それで。弟子さんは魔法が使えるのに薬師になるのかい?」

 テオが待ちきれないといった様子でヒルデガルトに話しかける。馬車の中でもちらちらとヒルデガルトに視線を送っていたが、さすがにあの狭い空間で、しかも目の前に雇い主の行商人がいたので遠慮していたのだろう。

「あれだけの攻撃魔法と回復魔法が使えるんなら、有名な冒険者に仲間に加えてもらえるよ。その方がもっと儲けられるし、何より色んな所に行けて面白い。」


(あらあら。薬師が稼げないなんて、世間知らずも良い所ね。うちの稼ぎはそこらへんの一流のパーティー以上あるのに。)

(おいおい。確かに嬢ちゃんの魔術の腕前は大したもんだし、それなりのパーティーに入れるだろうが、この嬢ちゃんは金儲けでは釣れないだろう。)

 いかにも気ままな冒険者らしい言葉に、デルマもマリウスも苦笑するしかなかった。


「あの。お金儲けというところはよく分かりませんけれど、色々な所を旅できるのは羨ましく思いますわ。」

 ごく穏やかな声でヒルデガルトは答えた。金銭面で苦労したことがない、というかそもそも金銭に触ったことすらほとんど無いヒルデガルトにとって金儲けの話はまるでピンと来なかったが、ずっと王都住まいだったこともあり、外の世界を見て回れるのは魅力だ。

「王都から出たことがありませんでしたので、車窓から眺める景色だけでも本当に珍しくて。狼の群には驚きましたけれど、デルマ先生にはご無理を申し上げて、連れてきていただいて本当に良かったですわ。」


「へえ。ずっと王都に住んでるんだ。俺は田舎の生まれだから王都には一回か二回しか行ったことがないけど、賑やかで楽しい所だよね。」

「ええ。明るくて賑やかで。でもずっと同じことの繰り返しで退屈だと感じることもありましたわ。そのような中でデルマ先生と出会えて、世界が広がりましたの。先生には本当に感謝しておりますの。」

 何とか話を繋げようとするテオとゆったりと返すヒルデガルト。微妙に話が噛み合わないというか、気を引きたいテオの想いに気付きもしないヒルデガルトを見ていて、デルマとマリウスはテオが少しかわいそうになった。


**********


「そろそろ寝る時間だ。女3人は馬車の中、男は外でいいか?寝ずの番は俺とマリウスが交代で立つ。」御者が焚き火の周りで寛いでいる乗客や護衛に声を掛ける。


「私たちは構わないけど、男性陣はそれで良いの?」デルマは周りに問いかけるように応えた。


「ああ、俺は構わないよ。特に薬師先生と弟子さんには今日は色々と世話になったし。」テオが一も二もなく賛意を示し、ヒルデガルトとデルマにニカッと笑ってみせた。


「わしもわしの連れ合いも何もしとらんが、それでも良いんじゃろか?」巡礼者の夫の方が申し訳なさげにボソッと呟く。

「いやいや、爺さんだって倒れた馬車を元に戻すのに頑張ったじゃねえか。」テオが掩護射撃を出す。ヒルデガルトに「優しい人」をアピールする作戦だ。


「何で俺が屋根無しで寝なきゃならないんだ?」行商人が不満そうに口を尖らせたが、周りの雰囲気が「女性が中、男性が外」でほぼ固まっている。

「この分の料金は後で割り引いてもらうからな。」行商人も諦めて外で寝ることに従うことにしたようだが、最後に御者に値引きを持ちかけるところが商売人らしいといえば、商売人らしい。


 話がまとまり、女性3人が馬車の中に入り、男性陣も焚き火の周りで寝る準備を始めた。

 馬車の中では、ヒルデガルトが背負い鞄から清潔な布を3枚と桶を取り出し、『水生成』の魔法で桶を水で満たした。

「まあ!ありがとう、ヒルダ。気が利くわね。」デルマは嬉しそうに布を受け取り、巡礼者の女性にも1枚を手渡した。


「そうだ。これを使えば・・・」デルマはそう言いながら自分の荷物袋から透明な液体の入った小瓶を取り出した。

「薬草から抽出した精油よ。これを混ぜて体を拭けばさっぱりするわ。」デルマが小瓶の蓋を開け、桶の水に精油を垂らすと、馬車の中は爽やかな薬草の薫りで満たされた。


「デルマ先生、ありがとうございます。」ヒルデガルトは嬉しそうに薬草の薫りを吸い込んだ。

「お二人とも、見ず知らずの私にまでありがとうございます。申し遅れましたが、ケーテと申します。夫と二人、聖者様に所縁の地を巡っております。」巡礼者の女性も素性を明かしながら、ヒルデガルトとデルマに礼を述べる。


 3人は良い薫りのする水を含ませた布で体を拭いて、昼間の汗や汚れを落とした後、座席の間に荷物袋などを積み上げて、横になれるように寝床を整えた。


「念のため・・・」寝る準備が整った後、デルマは馬車の扉の取っ手を握り、一瞬、力を込めて『施錠』と唱えた。寝込みを襲われないように、馬車の扉に魔法の鍵を掛けたのだ。

「簡単な魔法だから気休めにしかならないけど、無いよりはマシということで。」そう言ってデルマは扉の横の座席に横になって毛布をかぶる。ヒルデガルトは真ん中の座席に、ケーテは反対側の扉の横の座席に横になった。


「予想外の野宿になってしまったけれど、くれぐれも油断しないでね。」デルマは二人にそう言うと小さくあくびをして目を閉じた。


**********


夜明けとともに馬の嘶きが荒野に大きく響く。


馬車の中で寝ていたヒルデガルト、デルマそして巡礼者の妻のケーテも目を覚まし、皆が軽く伸びをして、狭い車内で固まった体をほぐす。

 3人は目覚めの挨拶を交わした後、軽く衣服を整えて馬車から降りるとヒルデガルトが準備した手桶と水で顔を洗い、口を漱ぐ。


 さらにデルマは自分の荷物袋から薬草を漬けた化粧水を取り出すと布に染み込ませて、顔に馴染ませた。普段から化粧っ気の無いデルマはこれで済ませてしまう。

 霊薬作りの際に不純物を混ぜないため、とは本人の弁だが、きちんとお化粧をすればもっと華やかさが加わって、その美しい顔立ちが映えるのにとヒルデガルトは残念に思う。


 もっとも、ヒルデガルトはヒルデガルトで、自身はまだ子どもとの意識もあって、紅も差すわけでもなく、デルマと同じく軽く化粧水をつける程度だ。

 それでも艶やかなヒルデガルトの肌を見て、デルマは溜め息とも感嘆ともつかない声を上げる。


「やっぱり若さよねぇ。この肌のキメと張り。羨ましい。」

じっと肌を見つめるデルマの視線にヒルデガルトはほんのりと頬を染める。

「デルマ先生こそ大人の魅力に溢れていらっしゃいますわ。私なんてまだまだ幼くて。」

 そう言って頬に手を添えるヒルデガルトは名匠の手による一幅の絵画のようで、背景が荒涼とした荒れ野であることを忘れさせてくれる。

「まぁまぁ、お二人ともそれぞれにお美しくあられますよ。」そう口を挟みながら、ケーテはほっほっと笑った。


 女性3人がそんな他愛もない話に興じていると、御者が声を掛けてきた。

「すぐにでも出発したいんで、早く朝飯を済ませてくれ。昼までには町に着きたいんでな。」


「あらあら、旦那のご飯を用意しなきゃ。」

 そう言ってケーテが袋の中から固いチーズと黒いパンを取り出し、そそくさと連れ合いの方へと行ってしまうと、後に残されたヒルデガルトとデルマも背負い鞄からパンと砂糖で煮詰めた果物で朝食をた取った。


**********


 馬車はひたすら荒野を進み、陽が頭の上に昇る頃には周りの風景の中にちらほらと緑が混じるようになってきた。


「そろそろ荒野を抜けて、街道に入るわね。この調子なら街で買い物する余裕はありそうね。」外の風景を眺めながらデルマは呟くと、視線をヒルデガルトに移した。

「残り十日の道程だから、次の街で買わないといけないものを考えておいてね。」


「はい、デルマ先生。」明るい笑顔で頷いたヒルデガルトは、自身の鞄の中からローレンツ学院長にもらった旅の手引き書を取り出して、頁をめくった。

 そんな二人の様子は、「かわいい子には旅をさせよ」の言葉どおりに見聞を広めるための旅に出た世間知らずのお嬢様とその付き添いの家庭教師を思い起こさせた。

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