第20話 魔術の修練 その2
アルテンシュタットの魔導学院長であるローレンツ・ヘクスターは、王都にある辺境伯の屋敷に招かれた翌日、弟子となる辺境伯の娘であるヒルデガルトの為人を見極め、どのような指導を行うかを決めるため、ヒルデガルトの面接を行っていた。
「お父上から伺ったところによれば、あなたの属性は光と水の二つとのことですが、よろしいですか?」
「はい。水の属性は父から、光の属性は母から受け継いだのだと思います。」
「さらに昨日は私の火の属性の魔力を受け入れ、操作できたことから魔力に対する柔軟性はあるでしょう。」
「魔力の属性については、よく存じ上げないのですけれど、そういうものなのですか?」
「ええ。属性の異なる魔力を体の中を通して、なおかつ火球として体の外に現出させることができるのは、普通、修練を積んで様々な魔力の属性の特徴を掴んだ者だけです。特にあなたのように水の属性を持つ者は火の属性の魔力を打ち消してしまったり、弾き返してしまうが、あなたは体の中を通すことができた。もちろん、完璧ではなくて、外に出せた火球はごく小さなものでしたが。」
装飾品などが無く、簡素なテーブルと椅子が置かれているだけの部屋でローレンツとヒルデガルトは向かい合って座り、魔力の属性などについて確認を進めていく。
「正直に言えば、今のあなたの年齢から魔術の修練を始めるのは遅いと思う。魔力の流れを感じて、それを操作することができたから見込みが無いわけではないですが、魔導師を目指す人からだと10年、一般的な貴族階級の人からでも5年は遅れていると思っていい。」
「そんなにも・・・」
「あなたはお父上に今からでも魔法を学びたいと訴えたそうですが、どれくらいまで上達したいと思っていますか?」
「それは・・・何かあったときに自分の身を守れるくらいにはなりたいと考えております。」
「一口に自分の身を守ると言っても求められる力は異なるでしょう?家族や家人の庇護の下、ちょっとしたいざこざから身を守ることもあれば、食事に盛られた毒を探知したり、万が一毒を飲んでしまってもそれを治したり、さらには城壁の外に出て、独りで森に行ったときに獣や魔物から身を守ることもあります。」
ローレンツはやんわりと探るようにヒルデガルトに質問を重ねる。
「あなたがどれくらいの魔術の使い手になりたいか分からなければ、こちらとしても教えようがない。子どもだましのような生活魔法では満足できないのでしょう?」
「それはそのとおりですわ。」
「じゃあ、これから社交界に入って、何かあったときに自分を守れれば良いんですか?」
「それは父母や弟に迷惑をかけないためにも必要だと思っておりますけど・・・」
おっとりとした口調で煮え切らない答を返してくるヒルデガルトにローレンツはいささか脱力しながらも、粘り強く質問を続けた。
「ふぅ。その程度であれば、『水浄化』や『解毒』それから『治癒』くらいを身に付ければ十分で、聖堂で習えば事足ります。聖堂には行かれないんですか?」
「先日、聖堂で大神官様にお目通りしました折りには、大神官様から聖堂で学んではどうかとのお話もございましたが、父が神官にするつもりはないとお断りになられたのです。」
「なるほど。でも今のような環境でご自分の身を守るだけなら、先ほども言ったように私がわざわざ教える必要はないと思いますよ。」
ローレンツが優しい口調ながら、魔導学院長である自分には役不足ではないかと言外に滲ませる。
ローレンツは優しげで柔らかな態度を崩していないが、ヒルデガルトは彼が苛立たち始めているのを感じ取り、どこまで話せば良いか迷いつつ、切り出した。
「あの。学院長様、これから申し上げることは父には黙っておいていただけますか?」
「内容にもよる、と言いたいところですが、美しい女性の頼みです。あなたと私の秘密にしましょう。」
心配げな表情で話し出したヒルデガルトの緊張をほぐすように軽口を叩くローレンツ。
(やれやれ、ようやく口を開く気になったか。恵まれたお嬢様が突然魔法を使えるようになりたいと言い出して、ここまで粘るんだから何か訳があるんだろう。といっても所詮は世間知らずの箱入り娘のことだ。大した理由ではないんだろうなぁ。)
「ありがとうございます。独りで城壁の外に出ても無事でいられるくらいにはなりたいと思っております。」
「城壁の外へ独りで?」ローレンツは怪訝な表情になりながら、先を促した。
「はい。大切な方との約束で、ある物を探さなければならないのです。その方が失った力を取り戻すために、そのある物が必要で、何とか見つけ出して差し上げたいと考えておりますの。」
「あなたがわざわざ探しに出なくとも、お父上にお願いすれば代わりに探してもらえるのでは?」
「もちろんそれも考えておりますわ。けれど、多分、それでは目的の物は見つからないと思います。何より、その物については私の大切な方が一番お詳しいのです。」
(うーん。辺境伯ほどの権力と情報力をもってしても見つけられない物を、友人だと見つけられるのか?支離滅裂というか何と言うか・・・)ヒルデガルトの言葉にローレンツは首をひねる。
「あなた一人で城壁の外に出て探し物をするとして、そんなに強力な魔法が必要なんですか?日帰りで行けるような所にそれほど危険な盗賊や魔物が出るとは考えられませんが。」
「それは・・・」少しためらいがちにヒルデガルトは切り出した。
「できれば、しばらく王都を離れたいと思っておりますの。もし可能であればシュピッツェまで行ってみたいと。」
「シュピッツェ!」
シュピッツェは大陸の北のかなたにある高山で、万年雪に覆われた壮麗な姿から大陸の民は「霊峰」と呼ぶ。その頂には白銀の古龍が棲むという伝説があり、古龍を信仰する山の民がよそ者の入山を頑なに拒んでいる。
多少の供が付いたとしても、目の前の頼りなげな少女が行くような場所ではないだろう。
「王都から霊峰シュピッツェの麓の町まで馬車を乗り継いで15日はかかりますよ。本当に独りで行くつもりですか?多少魔法が使えるようになっても身の安全は保証できませんよ。」
ヒルデガルトの口から北の霊峰の名が出て、さすがにローレンツも驚いたのか、声が少し固い。
「旅の経験もなく、ましてや魔物や盗賊と戦ったことさえない者があの山に登るのは困難です。悪いことは言わない。そのような無謀な考えはお捨てなさい。」
「私は貴族の娘として約束をしました。やれるだけの事をやって、なお困難を乗り越えられなかったときにはあの方も許してくださると思います。でも、何も為さないうちから諦めることは、何より私自身が自らを許せないでしょう。」
固い決意を秘め、凛とした口調でそう言いきったヒルデガルトをローレンツは眩しそうに見つめた。
(言っていることは無茶苦茶だが、覚悟はできているのだろう。であれば、私もできることをやって、後はこのお嬢さんの好きにさせてやるか。)
「分かりました。そこまで言うのでしたら、私もお手伝いしましょう。しかし、私も弟子に無駄死にされては寝覚めが悪い。あなたの能力、技倆がその旅に耐え得る水準に達しなかったなら、諦めると約束してください。」
「ありがとうございます。微力を尽くしますので、御指導よろしくお願いいたします。」少し緊張した面持ちで、ヒルデガルトはローレンツに向かって頭を下げた。
こうしてヒルデガルトの魔術の修練が始まった。
**********
ヒルデガルトがアルテンシュタットの魔導学院長ローレンツの下で魔術の修練を始めて10日が経った頃、王都にある辺境伯の屋敷の庭に造られた急ごしらえの練習場では、ローレンツが彼の弟子を叱咤する声が響いていた。
「では、次は『水流』、『氷球』、『氷の矢』を向こうの的に向けて撃ち込み、こちらの桶の水を『浄化』して、最後に私に『治癒』をかけなさい。」
ローレンツは、ヒルデガルトに立て続けに5つの魔法を発動させるよう命じた。
ヒルデガルトは指示に従い、自身から30歩ほど離れた的に右の掌を向けて、そこから細い水の流れを噴き出させ、続けて左の掌から氷の球を飛び出させ、さらに胸の前に両手で丸い輪の形をつくってそこから5本の氷の矢を放つ。
水流は的の真ん中に当たったが、氷球は大きく逸れて的の後ろの塀に当たり、5本の矢のうち2本が的をかすめたものの3本は的に届く前に落ちてしまった。
それから桶の水に手をかざすと、中に入っていた濁り水は澄んだきれいな水となり、胸の前で両手を祈るように組んで目を瞑り、集中するとローレンツが白い光に包まれた。
「はぁ、はぁ。」命じられた魔法を放ったヒルデガルトが少し息を切らせながらローレンツを見ると、ローレンツは眉根を寄せて、少し厳しい表情を見せた。
「この短期間で立て続けに魔法を放てるようになったのは大したものです。しかし、動作が大きく無駄な動きが多いし、何より命中率が悪い。これは魔術以前の問題です。」
師の厳しい言葉にヒルデガルトは一瞬涙がこぼれそうになるが、ぐっと堪えて呼吸を整える。
「もう一度やらせてくださいませ。」
「あなたが何度でも魔法を放てるくらい魔力に恵まれているのはこの数日でよく分かりました。あなたに今足りていないのは集中力と心の中の想いを正確に像として結び描く力です。」
「心の中の想いを像として描く力、ですか?」
「そうです。向こうにある的を正確に心に写しとり、そこに自らの魔力で創り出した球や矢が正確に吸い込まれていく像を描けていますか?そこが歪んでいると球も矢も逸れていってしまいます。いや、逸れていくというよりもあなたが描いた歪んだ的に向かって「まっすぐ」飛んでいっていると言った方が正しいかもしれません。」
「正確な像・・・」そう呟くとヒルデガルトは目を瞑り、精神を集中する。
一呼吸おいて、うっすらと目を開き、先ほどと同じ動作で右手から水流を、左手から氷球を、両手でつくった輪から矢を放つ。それらの水や氷は、さすがにど真ん中とはいかなかったが、いずれも命中し、的は大きな音を立てて崩れ落ちた。
「おお、やりますね。破壊力もなかなかのものだ。」ローレンツはヒルデガルトが全弾を的に当てたのを見て感嘆の声を上げた。
「しっかり集中すれば、的に当てられるのだから、それをとっさにできるように練習に励んでください。襲ってくる敵は的のようにじっと待ってはくれないし、動いていますからね。では、今日はこれくらいにしておきましょう。」
「ご指導、ありがとうございました。」ヒルデガルトは丁寧にお辞儀をしながら礼を述べた。
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