第19話 魔術の修練 その1

 聖堂で大神官によるヒルデガルトの魔力の鑑定が行われた日の夜、家族で夕食を囲んだ後にヨーゼフとヒルデガルトは再び書斎で向かい合っていた。

「ヒルデガルト。聖堂での鑑定は疲れただろう。」優しげな眼差しでヨーゼフは娘をねぎらいながら、侍女が運んできてくれた紅茶を勧めた。


「ありがとうございます、お父様。ご公務でお忙しいのに聖堂に連れていってくださって。」ヒルデガルトはそう礼を述べた後、ティーカップを取り上げて、そっと口をつける。


「それにしても、しばらく会っていない間にお前がこんなにも成長していて驚いたよ。」

「私も自分の力がよく分からなくて、大神官様の水晶球を割るような粗相をしてしまい、お父様にもご迷惑をかけてしまいました。」

「いやいや、ユリウス殿もおっしゃっていたように、あの水晶球が割れるほどの魔力など誰も想像できなかったのだから、お前が気にすることではない。ユリウス殿には後日、同じような水晶球を寄進させていただこう。」

 申し訳なさそうに謝るヒルデガルトにヨーゼフは努めて明るく応え、自身も紅茶に口をつけ、喉を湿らせた。


「ところで、今日の魔力鑑定でユリウス殿もお前に魔術の修練を積むようにおっしゃっていたが、お前自身、その強大な魔力を封印せず、魔術の修練を積みたいと思っているか?」ヨーゼフは愛娘が己の持つ力に恐れをなして、魔術から遠ざかってくれることに一縷の望みをかけながら、厳かな口調で尋ねた。

「はい。お父様は私が大きな魔力を持つことをお知りになり、その魔力ゆえに私の人生が歪められないよう、お心を砕かれて、あえて魔術から遠ざけてくださったのは、とても感謝しております。」まっすぐに父を見つめ、ヒルデガルトは応える。


「しかし、私は誰かに頼らずに独り立ちできるよう、せめて自身の身を守ることができるくらいの魔法を操れるようになりとうございます。」

 少し前までの、ふんわり穏やかなヒルデガルトの殻を破って、ほんの少し凛とした強さを身に付けようとしている。


「そうか。ヒルデガルト、お前は辺境伯の娘であり、王族の血を引いている。そのお前が強い魔力を持つことが知られれば、否応無く様々な思惑に巻き込まれ、これまでのような平穏な生活は失われるかもしれない。それでもなお魔術を操りたいと言うのなら、私はそうした思惑から全力でお前を守ろう。」愛娘の固い決意を聞き、ヨーゼフは何か吹っ切れたように、決然とした口調でヒルデガルトを守る誓いの言葉を口にした。

 その言葉に、ヒルデガルトは椅子から降り、左の膝を床に突いて頭を垂れた。

「ありがとうございます、お父様。辺境伯の娘として恥ずかしくないよう、また力に溺れず、正しい道を歩むことを誓います。」

「うむ。その言葉を忘れぬように。そして、何よりヒルデガルト自身の幸せを大切にしなさい。」

 ヨーゼフはヒルデガルトの頭を軽く撫でながら優しい声でそう言うと、彼女の手を取って自身とともに立ち上がらせた。


**********


 翌日、ヨーゼフは自身の領地であるアルテンシュタットに伝令用の鷹を飛ばした。アルテンシュタットの魔導学院の学院長を務めるローレンツ・ヘクスターを呼び寄せるためである。


 ローレンツは今年30歳になる若手の魔導師で、平民の出身でありながら、その優秀さを見込まれ、以前は魔導省の研究所で新しい魔法の研究に携わっていた。しかし、魔導省を統べるロストック卿が指示する研究が攻撃的な魔法にばかり偏っていることに反発したために冷遇されていたところをヨーゼフが引き抜いて、自領の魔導学院の学院長に据えたのだ。

 学院長となったローレンツは部下の魔導師たちを指揮し、簡易な生活魔法の改良、特に指輪などに魔法を賦与することで魔力の弱い庶民でもより簡便に魔法を扱えるようにする研究を強化することで領民の生活を便利にしたり、騎士団や歩兵団の戦闘を補助するための防御や回復系の魔法の指導に力を入れ、アルテンシュタット領の騎士団が出征した際の損害の軽減に貢献しており、領民や騎士・兵士たちからの評判も良い。

 そんなローレンツが得意とするのは火の属性の魔法だが、それ以外の属性の魔法にも詳しいことから、ヨーゼフは家庭教師としてヒルデガルトの指導に当たらせようと考えたのである。


**********


 その2日後、ヨーゼフからの手紙を受け取ったローレンツは思わず天を仰いだ。

まだ会ったこともなく、素質の程も分からない領主のお嬢様の魔術を短期間で上達させることを求められたのだ。

 王都から伝わってくる噂では、領主のお嬢様はこれまでまともに魔術の修練をしたこともないらしく、果たして一ヶ月で何が教えられるだろうか。

 アルテンシュタット家に仕えてきて丸3年。これまで無理難題を押し付けられることもなく、平穏に魔術の研究に勤しんできたので油断していたが、今回はこれまでに無くハードルが高そうだ。


「こちらの辺境伯は魔導卿と違って無茶は言わないと思っていたんだけどなぁ。辺境伯自身は魔術が得意でないと聞くから一人前に魔法を操れるようになる大変さは分かっているはずなんだけど・・・」学院長室でぶつぶつと文句を言いながらも王都に向かう準備を進めるため、ローレンツは秘書の魔導師見習いを部屋に呼んだ。


「しばらく王都に滞在して、領主様のご令嬢に魔法を教えることになったので、初歩的な魔力の操作について書かれた書物と水属性と光属性の簡単な魔法書を用意してくれ。」ローレンツはぶつくさ文句を言っていたことをおくびにも出さず、にこやかに秘書に命じた。

 せっかく手に入れた居心地の良いポストだ。不満を持っているなどと変に辺境伯に伝わって、機嫌を損ねるのは得策ではない。もし、クビになっても雇ってくれる所はいくらでもあるだろうが、アルテンシュタット以外に平民の自分に自由に研究させてくれる所はほとんど無いだろう。


「かしこまりました、学院長先生。魔導師見習いが最初に使う書物を用意しておきます。」

「よろしく。」

軽やかなローレンツの声に、学院長室から退出しようとしていた秘書が振り返った。

「学院長自ら初心者のご指導に王都まで出向かれるとはお骨折りなことですね。それにしてもご令嬢様ももうすぐ成人というのにまだ初心者とは、よほど素質に恵まれていないのでしょうか。」明らかに面白がっていると思われるのに、真面目な顔と声で上司を労う秘書にローレンツは苦笑した。

「こらこら、仮にも領主様のご令嬢だぞ。いくら辺境伯が身分にやかましくなくて、分け隔てなく接してくださるとはいえ、滅多なことは口にするんじゃない。」

研究には自由な議論が必要ということで、職員や研究員が話しやすい学院づくりを掲げてきたが、ちょっと自由過ぎる。そう思い、ローレンツは秘書をたしなめたが、実は自分も「令嬢が素質に恵まれていない」という言葉を否定していないことに気付いていない。

「申し訳ありません。口が滑りました。コホン。急ぎ初心者向けの書物を用意します。」秘書は軽く口許を押さえるふりをしながら、学院長室を出ていった。


「やれやれ。ちょっと自由にさせ過ぎかもしれないな。」秘書が出ていった扉を見つめながら、ローレンツはぼそっと呟いた。


**********


 アルテンシュタットの魔導学院長ローレンツ・ヘクスターが王都にあるアルテンシュタット辺境伯の屋敷にたどり着いたのは、ヨーゼフから王都に呼び出す旨の手紙を受け取った5日後の昼下がりだった。


「あーっ!やっと着いた。お尻も腰も痛いったらありゃしない。」

 乗合の駅馬車を乗り継げばどんなに急いでも10日はかかる行程を、辺境伯領の公用馬車に乗って半分の日程で走破したために体の節々が痛いローレンツは馬車から降りると、伸びをしたり、脚を屈伸したりしながら小さくない声で呟いた。


「ようこそお出でくださいました、学院長様。」

 出迎えた屋敷の使用人は、礼儀を気にしないローレンツの姿に眉をひそめつつも、公式の馬車に乗ってきた客人ということで丁寧に屋敷の客間の一つに案内する。その居間は屋敷の中で二番目に格式の高い客間で、主に貴族階級の客人をもてなす部屋であることから、調度品や装飾も豪華で、部屋に入った瞬間、ローレンツもほうっと目を見張る。

(魔導卿は出入りの商人が入るような部屋にしか入れてくれなかったなあ。まあ、あの時は魔導卿と平の研究員だったから仕方ないか。)そんなことを思いながら、ローレンツはソファの一つに腰を掛けて、屋敷の主人を待った。


「ヘクスター学院長、遠路ご足労をおかけした。」ローレンツに少し遅れて、部屋に入ってきたのは辺境伯その人である。その姿にローレンツも立ち上がり、右の拳を左肩に当てる礼をする。

「ローレンツ・ヘクスター、お召しにより参上しました。」

「そうかしこまらなくて良い。学院長殿には領民の生活の向上と騎士団の強化で一方ならぬ世話になっているのだから。」


(いやいやいや、そこはきちんとしないとマズイでしょう。貴族でも上から数えた方が速い辺境伯としがない平民ですよ。)心の中でそう思いながらも無下にするわけにもいかないので、ローレンツは軽く姿勢を楽にしてみせた。


「今回のお召しはお嬢様への魔術の指導のためとのことでしたが。」

「まあ、そう慌てずとも。まずは茶でも一杯・・・いや、長旅で疲れているだろうから、葡萄酒の方が良いかな?」こちらから口火を切る前に用件を聞いてきたローレンツに苦笑しながらヨーゼフはソファに腰掛けるよう促しつつ、侍女に葡萄酒を持ってくるよう命じた。


「魔術の発展に!」

「お家の繁栄に!」

 ヨーゼフとローレンツは赤葡萄酒が注がれたグラスを掲げて乾杯した。


「いやぁ、長時間、馬車に揺られた後の葡萄酒は沁みますね。」葡萄酒を一息に飲み干したローレンツはにっこりと笑顔を見せながらグラスをテーブルに置いた。

「良い飲みっぷりですな、学院長殿。よほど喉が乾いておられたと見える。」労うように声を掛けながら、ヨーゼフはそのグラスに赤葡萄酒で満たす。

「伯爵自らお注ぎくださるとは恐縮です。」そう口では言いながら、全然恐縮した風でもなく、ローレンツはグラスを取り上げ、今度は半分くらいを口に含んだ。


「此度、遠路アルテンシュタットから来ていただいたのは他でもない、私の娘ヒルデガルトに魔術を指導してやってもらいたい。」ワインを飲んでローレンツが人心地ついたのを見計らって、ヨーゼフが改めて今回の招請の目的を告げると、ローレンツもグラスをテーブルに戻して、ヨーゼフに向き直った。


「それは仕事ですからもちろんお引き受けしますが、一つ質問しても良いですか?」

「答えられることであれば。」

「王族や貴族の方々は我々平民よりも強い魔力を持っていて、幼い頃から魔術の修練をするものだと思っていましたが、お嬢様は魔術の修練はしていなかったんですか?」

「それは、まあ何と言うか。親として、これまで娘には魔術は必要ないと考えていたが、娘が多少なりとも魔法を使えるようになりたいと急に言い出してね。」


 少し歯切れの悪いヨーゼフの言葉に、ローレンツは出発前に秘書と話したのを思い出した。

(やはり、魔術の素質が無いわがまま令嬢が父親に駄々をこねたのか?)


「失礼ですが、お嬢様は今、おいくつでしょうか?私の記憶違いでなければ、確か今年15と聞いた記憶があるのですが。」

「そう今年15になる。娘も全く魔法を使ったことが無いわけではなく、簡単な生活魔法であれば使えなくもない。」

「そうですか・・・」

(うーん。これはマズイかも。いくら俺でももうすぐ成人するような年齢の初心者を教えるのは初めてだ。そこまで大きくなってから体の中の魔力の流れを感じたり、操ったりできるか分からないぞ。)


「魔術は比較的幼い頃、肉体が理性よりも感性に支配されている時から修練を始めないと、自分の内なる魔力を捉えきれないと言われてます。もうすぐ成人するような年頃のお嬢様がどこまで上達されるか保証はできませんが、それでもかまいませんか?」ローレンツは言葉を選びながら自分に課せられる責任を減らしにかかった。

「それはかまわぬ。娘を魔術から遠ざけていたのは事実だからな。だが、先日、大神官殿に会わせた時には魔力を右手と左手に動かせていたようだから、全くの落第生と言うわけではないと思う。少なくとも持っている魔力自体は人並み以上あるようだから、それを少しでも上手く扱えるようになれば。」

「ほぅ。」ヨーゼフの言葉を聞いて、ローレンツはその言葉の意味を推し測るように目を細めた。


「いずれにせよ、全ては娘を見ていただいてからご判断いただこう。ヒルデガルト!」ヨーゼフは廊下ではなく隣の部屋に続く扉の方に声を掛けると、ほどなく、コンコンと扉を叩く音がした。

「お父様、お呼びでございますか。」扉の外から鈴を転がすような澄んだ声が響いた。


 その声に向かってヨーゼフは部屋に入るよう促すと、静かに扉が開き、白金の髪に白磁のような白い肌の美しい少女がしずしずと姿を現した。

 少女はスカートの裾を摘まんで、右足を引いて腰を沈めてお辞儀をする。

「ヒルデガルト・フォン・アルテンシュタットと申します。学院長様にはお初にお目もじ仕ります。」


「いや、これは・・・」想像と違って、穏やかで優美な少女の姿にローレンツは一瞬言葉を失った。

(今頃になって魔法が使えるようになりたいなんて無茶を言うから、もっと高慢ちきなわがままお嬢様かと思っていたが・・・)


「あ、ローレンツ・ヘクスターです。アルテンシュタットの魔導学院で学院長をしております。」気を取り直してローレンツは立ち上がって自らの名を名乗ると、ヒルデガルトに歩み寄った。


「はじめまして。」そう言いながらローレンツはヒルデガルトに向かって右手を差し出した。

「なっ!」男性からしかも平民のローレンツが不躾に愛娘に手を差し出すのを見て、ヨーゼフは渋い顔をする。

 この国の作法としては、女性から手を差し出さない限り、男性から手を差し出すのは失礼とされており、また、同性であっても身分の高い者が先に手を差し出すこととされているからだ。


 ヒルデガルトも突然差し出されたローレンツの手に戸惑いの表情を見せ、一瞬ヨーゼフに視線を送ったものの、おずおずと揃えた指をその掌の上に軽く乗せた。


 その瞬間、ローレンツは自らの掌の上に乗せられたヒルデガルトの白く華奢な指を包み込むように軽く握る。

「きゃ!」ヒルデガルトは驚いて手を引こうとしたが、ローレンツはそれを許さず、そのまま握りしめた。


「!」その様子にヨーゼフは思わず立ち上がりかけたが、何とか思いとどまり、二人を見守る。


 ローレンツは握ったヒルデガルトの手に自らの魔力を流し込む。ヒルデガルトが体の中の魔力を動かせるかを確かめるためである。もし、ヒルデガルトが為す術無く、ローレンツの魔力を受け入れられなければ、その魔力は二人の手の間からこぼれ落ちるだけだ。


「あ!」ヒルデガルトはローレンツの掌からほんのりと温かな力の流れを感じ、小さく声を上げた。

(ふむ。魔力の流れを感じることは出きるようだ。)ローレンツはヒルデガルトの反応を見て、さらに流し込む魔力を強めた。


「熱っ!」火の属性を持つローレンツの魔力はそのままであれば火傷をするくらい熱を帯びる。

「逆らわずに受け入れなさい。」ローレンツはヒルデガルトに声を掛ける。

「受け入れる・・・」その言葉でヒルデガルトは手に感じる熱い魔力の流れに意識を合わせ、その流れを己の中に取り込もうと集中した。

 すると不思議なことに今まで感じていた熱さは無くなり、温かな流れが自身の中に流れ込んでくるのが感じられた。


「分かりますか。今、私の魔力があなたの中に流れ込んでいます。」

「はい。温かな流れを感じます。」

「その流れをもう片方の手に持っていって、掌の上に炎の球が浮かんでいるところを強く想像してください。」

「かしこまりました。」

 ローレンツの言葉に従い、ヒルデガルトは自身の右手から流れ込んでくるローレンツの魔力を左手に移し、言われたように掌の上に炎の球を思い描く。

「もっと強く。炎の球。想像だけだと難しいのなら『火球』と言葉に出してもいい。」

「火球!」ヒルデガルトが復唱するかのように口にした瞬間、彼女の左の掌の上にごく小さな火の玉が燃え出した。

「よし、そこまで。」ローレンツはそう言って、握っていたヒルデガルトの手を離し、宙に浮いている火球を素早く両手で包み込むように捕まえた。


「魔力を操作することはできそうですね。」ローレンツは捕まえた火球の魔力を吸収して消火しながら、感心したようにヒルデガルトに声をかけた。

「異質な魔力を受け入れて、それを動かせるなら少しはマシな魔法が使えるようになるでしょう。」


「ありがとうこざいます。」集中したせいか、額ににじんだ汗に白金の髪を数本張り付かせながら、ヒルデガルトはローレンツに笑顔を向けた。


「学院長殿、娘の指導を引き受けてもらえますかな?」ハラハラしながら二人を見守っていたことなど感じさせない落ち着いた口調でヨーゼフがローレンツに確認すると、ローレンツは振り返りながら、謹んでお引き受けしますと快諾した。

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