第18話 魔力の鑑定
王都ゴルトベルクの中心である王城『北の華』の東側にある聖堂は四基の尖塔に囲まれた石造りの重厚な建物である。その四方の壁面の窓には七聖人の伝説の場面を描いた色ガラスが嵌め込まれ、そこから差し込む光によって華やかな彩りが舞う聖堂内は荘厳で幻想的な雰囲気に包まれている。
聖堂では大陸で信仰されている神々に仕える多くの神官が日々祈りを捧げるとともに、光属性の聖魔法(神官たちはことさらに『奇跡』と称している。)によって人々の怪我や病気を治すなど人々の生活に欠かせない存在となっている。
その神官団を統べる大神官は、各省の卿(大臣)に匹敵する地位が与えられ、聖堂に寄進された広大な領地から得られる財力と相俟って、王国の政治を左右するだけの発言力を持っており、歴代の大神官の中には宰相位に上り詰めた者もいた。大神官と宰相を兼ねる者は、大神官がまとう緋色の法衣から特に『赤宰相』と呼ばれ、聖俗の権威と権力を手にすることで国王さえも凌駕する。
現在、大神官の地位にあるのは、先代のマールブルク子爵の末弟で今年68歳になるユリウス・フォン・マールブルクである。貴族出身の大神官にしては珍しく敬虔で信仰心の篤い人物で、生臭い権力闘争からは距離を取っている。
元来、マールブルク子爵家は王都から遠く離れた小さな領地に封じられており、貴族社会の中でも傍流で裕福ではなかった。このため、三男のユリウスは早くから家を出されて神殿に入ったわけだが、元々の敬虔な人柄とともに、生まれついての聖魔法の力によって神殿の中で着々と地歩を固めていった。
家柄と実力から王都の聖堂のナンバー3か公爵領の大きな聖堂の長までならなれるだろう、と言われていたユリウスに転機が訪れたのは3年前の前国王フリードリヒ4世の暗殺事件である。
前国王フリードリヒ4世の暗殺は真相が明らかにされないまま、母后であるヴィンター王太后によって強引に幕引が図られたが、公式には前国王が寵臣のみを重用し、幾人かの有力貴族を権勢の座から追い落とそうとしたために、それに反発した有力貴族が放った刺客によって弑逆されたこととされている。
この事件の首謀者とされたのはリンツ侯爵。彼の娘アンネは前国王フリードリヒ4世の王妃であったが、その夫婦仲は結婚当初から冷めていたと言われており、フリードリヒ4世が愛人に産ませた息子を王太子に据えた上に彼女を正夫人から廃そうとしたため、侯爵自身と娘の地位と名誉を守るために前国王に反旗を翻したとされている。
しかし、王を含め、貴族社会の結婚には当然政治的な思惑が大きく絡んでおり、正室でなく側室の子が後継者とされることもごく普通に行われている中、そうしたことを百も承知で娘を輿入れさせた侯爵がその程度のことで叛逆するとは到底思われず、侯爵と前王妃は醜い権力闘争の犠牲者かもしれないと密やかだがまことしやかに囁かれている。
ユリウスの先代の大神官ヘルムートは、リンツ侯爵家に連なるレンツブルク子爵家の次男で、野心に溢れ、また聖職者とは思えぬ好色かつ強欲な人物であった。本家の権勢を背景にのしあがり、大神官の座を射止めると、『奇跡』による治療に際して法外な寄進を要求したり、聖堂の宝物を私物化するなど私腹を肥やすことに熱心だったため、神官団も親ヘルムート派と反ヘルムート派に分かれて争い、時には刃傷沙汰に及ぶなど聖堂の権威も失墜する有り様だった。
そのような状況を憂いていた王太后は、前国王フリードリヒ4世の暗殺事件に際してリンツ侯爵家を取り潰し、それと時を同じくして、大神官だったヘルムートの身分を剥奪して国外へ追放、その実家のレンツブルク子爵家も取り潰した上で、神官団に有無を言わせずにユリウスを大神官に据えたのである。
大神官となったユリウスがまず改革したのは、聖堂を頼ってきた病人や怪我人の治療に対する寄進をヘルムート以前の水準に戻すこと、次いで親ヘルムート派と反ヘルムート派に分断された聖堂内の融和であった。
聖堂内の融和に当たっては、両派の争いそのものは不問に付し、今後の昇進などにも影響させないと確約する一方で、戒律を破った者特に両派の争いの中で他者を傷害した者、信者に淫らな行為を強要した者、横領を行った者などについては厳しく対処し、その重さに合わせて官憲への引き渡し、聖職からの追放、降格、謹慎などの処分を行った。
こうして組織の立て直しに尽力したユリウスであるが、中でも評価を高めたのは、時に厳しく、時に柔軟に他国の聖堂からの干渉を排除したことであった。
聖堂は大陸内で信仰を同じくする人々の集まりであり、国境に縛られるものではないが、領民に大きな影響を与える組織でもあることから、各国の為政者はやはり一定の統制を加えたいと考えており、自国の聖堂の運営に他国が関与することを疎ましく思う者も多い。シュタイン王国も例外ではなく、他国からの干渉を許さなかったユリウスの手腕は王太后や上級貴族、さらにはシュタイン王国内の各聖堂からも高く評価された。
**********
アルテンシュタット辺境伯爵家の当主であるヨーゼフ・フォン・アルテンシュタットとその一人娘であるヒルデガルトが王都ゴルトベルクの聖堂を訪れたのは、父が娘に大神官に引き合わせることを約束した夜から3日後の朝であった。
二人は40歳くらいの穏やかな雰囲気の女性の神官に先導されて、聖堂の外廊を歩き、南東にそびえる尖塔に向かっていた。
外廊もその周りの庭園もきれいに掃き清められ、木々は春の陽射し蕾をふくらませており、静謐な中にも春らしい生命の躍動が感じられる。
尖塔にたどり着くと、二人を案内してきた神官は二人に外で待つように言いながら、尖塔の中に入っていった。大神官に到着を知らせに行ったのだろう。
ほどなくして、神官は尖塔の扉から出てくると父娘を尖塔の中に招き入れた。大神官の許可が下りたようだ。
細長い扉をくぐると、そこから螺旋状に石造りの階段が続いており、ヨーゼフはヒルデガルトの手を取りながら登っていった。
百段ほどの階段を登りきると、そこは人が10人くらい入れる広さの部屋になっていた。
飾り気のない部屋の奥には重厚な木の机が置かれ、その前に緋色の法衣をまとった細身の男性が立っていた。ヨーゼフとヒルデガルトはその前まで進み、ヨーゼフは右の拳を左肩に当てる貴族の礼を、ヒルデガルトはスカートの裾を摘まんで膝を折る淑女の礼をした。
「これは、アルテンシュタット伯爵、ようこそお越しくださいました。そちらは御息女でいらっしゃいますかな?」少ししわがれた低い声で男性が声をかけると、ヨーゼフは拳を下ろした。
「大神官猊下にはご機嫌麗しく。本日はお忙しいところ、お時間を賜り御礼申し上げます。こちらは娘のヒルデガルトでございます。」畏まった口調で口上を述べながら、ヨーゼフがヒルデガルトを紹介するとヒルデガルトはもう一段膝を折った。
「ヒルデガルト・フォン・アルテンシュタットと申します。大神官猊下に初めての御目文字が叶い光栄に存じます。」
澄んだ声で挨拶の口上を述べるヒルデガルトを、大神官ユリウスは孫娘を見るような優しい眼差しで見つめた。
「お二方とも丁寧な御挨拶痛み入ります。神々にお仕えするユリウスでございます。」大神官ユリウスが穏やかな口調で名乗り返すと、ヒルデガルトは膝を伸ばし立ち姿勢に戻り、父の少し斜め後ろに立った。
「さて、堅苦しい挨拶はこれくらいにして。お二人ともどうぞお掛けなされ。」砕けた口調でユリウスはヨーゼフたちに机の横にあるソファを進め、自らもその一つに腰を沈めた。ヨーゼフとヒルデガルトも一礼した上でソファに腰を掛け、ユリウスの方に体を向けた。
「さて、今日は何をお聞きになりたいのかな?」貴族によくある腹の探り合いのような世間話からではなく、単刀直入に用件に入るのは、ユリウスの人柄だろう。にこやかで柔らかな笑顔に場の空気も和やかになる。
「早速ですが、我が娘の夢枕に白銀の古龍が立ったのは先日お話ししたとおりです。これまで聖獣にせよ魔族にせよ、夢枕で交信したことがあるのは、神官や巫女、魔導師のように優れた魔力を持ち、かつ魔術の修練を積んだ人間だと伺いました。」ヨーゼフは先日ユリウスと話した内容の確認から話を始め、そこまで言ったところでヒルデガルトに視線を向けた。
「魔術の修練を積んでいない我が娘の夢枕にそうした存在が立つというのは稀有なことだと考えておりますが、最近、我が娘も成長し、かなりの魔力が備わってきたようでして、そうした存在の声を聞くことができるようになったのかもしれません。」
「ふーむ。見たところ、ごく普通のお嬢さんじゃが、人は誰しも色々な可能性を秘めておるからのぉ。」ユリウスもヒルデガルトに視線を移し、少し目を細めた。
「そこで、正しい魔力の使い方を学ばせねば、魔に魅入られる恐れもあると思い、ユリウス殿に娘の属性を見極めていただき、どのような道を歩めば良いか託宣を賜りたいと考えた次第です。」ヨーゼフは自身が娘を魔術から遠ざけていたことなどおくびにも出さずに鑑定と託宣を依頼する。
「失礼じゃが、アルテンシュタット嬢はおいくつかな?」
「今年15歳になります。」
父と大神官からの視線を受け、緊張しながらヒルデガルトは答える。
「ほう。貴族の子弟は幼き頃に属性を鑑定して、魔術の修練に励むのが嗜みとされているが、ヨーゼフ殿はそうなさらなかったのですな。」そう言いながらユリウスはヨーゼフに目を向けた。その瞳には「何故?」という疑問の色が浮かんでいる。
ユリウス自身、早くから適性と志望に合わせて聖堂で修行に励んだからこそ現在の地位にあることもあり、辺境伯爵家の令嬢が将来進むべき道を示されずにこの歳まで育てられてきたことが不思議でもあった。
「いや、それは。」娘の前で答えにくい質問をされて、百戦錬磨のはずの軍事貴族が口ごもる。
「娘に魔術の素質があることは気付いておりましたが・・・ロストック魔導卿や先代のヘルムート大神官の前に娘を出すのは憚られて・・・」
「なるほど。」ユリウスはヒルデガルトにちらっと視線を向けて納得した。娘を溺愛していると噂のヨーゼフが、人を研究対象としか思っていない魔導卿や好色な先代に見せたがらないのは理解できた。
「確かにロストック卿や先代は色々とあるからのぉ。」そう理解を示しつつ、ユリウスは爆弾を投下した。
「じゃが、一番はヨーゼフ殿が娘御を手放したくなかったんじゃろ?」
「いや、それは・・・」ヨーゼフは動揺を隠すように手巾で汗を拭う素振りをしたが、ユリウスのからかうような視線に白旗を揚げた。
「いや。ユリウス殿の目は誤魔化せませんな。」
「ほっほっ。人間、素直なのが一番じゃ。」そう笑いながらユリウスは右手で白く長い顎髭をしごいた。
「何にせよ、名高きアルテンシュタット辺境伯のご依頼じゃ。しっかりと見させていただくとしよう。」
**********
大神官ユリウスとヒルデガルトはソファから執務机へと座を移し、机を挟んで向かい合って座った。
「アルテンシュタット嬢は何か使える魔法はあるかの?」
「はい。『点灯』や『清浄』、『加熱』などの初歩的な生活魔法でしたら使うことができます。」
「よろしい。では、ここで『点灯』を使ってみせてくれまいか。」
「かしこまりました、大神官様。」
ユリウスからの求めに応じて、ヒルデガルトは『点灯』の魔法を使うべく、意識を右手の人差し指に集中する。体の中の魔力の流れを感じながら、指先に集まった魔力に「光る球」のイメージを与えていく。
「点灯。」ヒルデガルトは右の人差し指を軽く突き出して、そっと呟いた。するとその指先から掌に乗せられるくらいの金色がかった白い光の球が浮かび上がる。
「ふむ。」ユリウスがふわふわと宙に浮いている光の球とヒルデガルトの指の間に手を差し出し、光の球を掬い上げるようにして掌に乗せると、光の球は空気が抜けるかのように萎んで、ユリウスの掌の中に消えてしまった。
「ふむふむ。」ユリウスは光の球が消えた掌を見つめながら、独り納得するかのように呟くと、再びヒルデガルトに視線を戻す。
「では、今と同じことを左手の、そうじゃな、左手の薬指でやってもらえるかの?」
「かしこまりました。」
ユリウスの要望に応え、ヒルデガルトは今度は左手の薬指に意識を集中して光の球を出現させる。
「利き手でないと少し時間がかかるようじゃが、体の中の魔力の流れを掴んでおるな。」ユリウスは目を細めて光の球を見つめた。
(ヒルデガルトはどこで魔力の操作を覚えたのだ?)ヨーゼフは娘が利き手以外の指から光の球を出現させたのを見て、内心首を傾げた。体の中の魔力を操作することはもちろん、そもそも魔力がどのように体内に存在しているかさえ教えていないはずなのに・・・
「次は、」そう言いながら、ユリウスは机の引き出しから大きな水晶球を取り出し、幾重にも畳んだ黒い布を敷いて執務机の真ん中に置いた。
「この水晶球に手を添えて、体の中の魔力を掌から注ぎ込んでもらえるかの?」
「申し訳ありません。手から水晶球に魔力を注ぎ込むとはどのようにすればよろしいのでしょうか?」これまでやったことの無いことを要求され、ヒルデガルトは戸惑うように尋ねた。
「なんと。それもやったことが無いのか?」ユリウスは少し呆れたような声を出しつつも分かりやすく説明してくれた。。
「アルテンシュタット嬢、おとぎ話で魔法使いが魔法の杖を使う話を聞いたことがあるじゃろ?あれはまさに杖を体の一部として己の魔力を注ぎ込んで、術を発動させているのじゃ。そなたが今、体の中の魔力を右の人差し指や左の薬指の先に動かしたように、この水晶球を手の延長だと思って魔力を移してみなされ。」
ユリウスの説明を聞いて、ヒルデガルトは水晶球にそっと手を乗せると目をつむり、掌とその先の水晶球に意識を集中した。錯覚かもしれないが、体内に温かい流れを感じ、それが掌に到達すると掌と水晶球の間で熱を帯び始めた気がする。
「ほう。」水晶球に滔々と流れ込むヒルデガルトの魔力を感じ、ユリウスはヒルデガルトの顔を見直した。
「そのまま儂が止めるまで注ぎ続けなされ。」ユリウスは、ヒルデガルトがどこまで魔力を注ぎ込めるか確かめたくなり、方針を変えて魔力を注ぎ続けさせた。
大量の魔力を注ぎ込まれた水晶球は、その中に映す景色が歪み出し、やがてその景色も消えて内側からぼうっと金色がかった白色の光を放ち始めた。
「まだ魔力が尽きないのか!」驚きを隠せないユリウスは思わず感嘆の声を上げた。
「む?」ヒルデガルトが水晶球に魔力を注ぎ込み始めて、しばらく経った時、ユリウスは違和感を覚えた。
(魔力の質が変わった?)ユリウスは何度も水晶球とヒルデガルトを見比べた。気付くと水晶球から放たれる光が金色がかった白色から白銀色に変わっている。
"ピシッ!"注ぎ込まれる魔力に耐えきれなくなったのか、水晶球が音を立てる。
「魔力を注ぎ込むのを止めよ!」ユリウスが慌てて、ヒルデガルトを制止した。
「は、はい。」ヒルデガルトは声に従って、魔力を止めたが間に合わず、バキッ、と大きな音を立てて水晶球は真っ二つに割れてしまった。
「何と言うことじゃ。この水晶球が抱えきれぬほどの魔力を注ぎ込めるとは!」ユリウスは驚きを超えて、恐れさえ覚えながら、割れてしまった水晶の半球をそれぞれ左右の手に取った。
「この水晶球の容量を超える魔力の持ち主といえば、我が国の中でもロストック魔導卿や儂のほか、ごくわずかしかおらぬ。」呻くような声でユリウスは呟き、ヒルデガルトとヨーゼフの顔を交互に見比べた。
「ユリウス殿。」ヨーゼフも愛娘の力に驚嘆しながら、大神官に声をかける。
「私も娘の力がこれほどまでとは想像もしませんでした。」
絞り出すような父の声で、ヒルデガルトははっと我に帰った。
「も、も、申し訳ございません、だ、大神官様。ち、力の加減が分からず、大変な粗相をしてしまいました。お、お怪我はなさいませんでしたか?」
ヒルデガルトがおろおろしていたのは、聖堂の宝物であろう大きな水晶球を壊してしまったこと、想像もしなかった己の力を自覚したこと、その両方であったかもしれない。
「いや、儂は大事無い。そなたの方こそ気分がすぐれなかったり、頭がぼうっとしたりはしておられぬか?これだけの魔力を放出したのじゃから・・・」
「わ、私は大丈夫でございます。大神官様が止めるようにおっしゃられたにも関わらず、とっさに魔力を止められず、大切な水晶球を壊してしまい本当に申し訳ございません。」
「構わぬ。儂が自分の興味でそなたに魔力を注ぎ込ませたのだから、気に病むことはない。」
ユリウスは平静を取り戻し、落ち着いた声で応えながら、ヒルデガルトからヨーゼフに視線を移した。
「これほどの力を持っているのに、今まで何ら修練をさせなかったとは、いやはや。聖堂の修道院なり魔導省の研究所なりでしっかりと修練を積ませ、きちんと抑え込めるようにせねば。これほどの魔力が暴走したら大変なことになりかねませんぞ。」
ユリウスの厳しい口調にヨーゼフは口ごもる。愛娘をわざと魔術から遠ざけたのは過ちだったのだろうか。しかし、愛する娘が修道院や研究所に閉じ込められでもしたら・・・そんな想像を振り払うかのようにヨーゼフは首を左右に振った。
「まあ、今はその話はよかろう。」
まだ動揺しているヨーゼフとヒルデガルトを尻目にいち早く落ち着きを取り戻したユリウスは、割れた水晶球の欠片を机の上に戻しながら話し始めた。
「まずは、鑑定結果から申し上げよう。」
そのユリウスの言葉に、ヨーゼフとヒルデガルトは姿勢を正して大神官の方に向き直った。
「アルテンシュタット嬢の魔力は我が国でも指折りの強さを誇るじゃろう。」二つに割れた水晶球をちらりと見ながらユリウスは言葉を続ける。
「次にその質じゃが、巷で光の属性と言われておる聖の属性と水の属性を同じくらいの強さで持っておる。」
ヒルデガルトは父母双方の力を受け継いだようだ。一つの属性しか持たない人間が大半を占める中で、両親の属性をそれぞれ受け継ぐのは珍しい。強大な魔力を誇る大神官のユリウスでさえ聖(光)の属性しか持っていない。
「お父様とお母様それぞれの属性を受け継いでいるのですね。」敬愛する両親のどちらの力も受け継いでいることを聞き、ヒルデガルトは喜びを噛み締めるように呟いた。
「しかし、」ユリウスはそこで言葉を切り、ヒルデガルトを見つめた。
「水晶球に魔力を注ぎ込んでいる途中で魔力の質が変わったように感じたのじゃ。」
何かを見極めようとするユリウスの視線に、ヒルデガルトは少し身を固くした。白銀の古龍との契約のことがばれてしまうのではないか、異形の者との契約は異端として糾弾されるのではないか、そんな心配がヒルデガルトの頭をよぎる。
この大陸では魔導師が使い魔を使役することもごく普通のことであり、異端などと言われることはないのだが、物語の中で異形の者が石を投げられる場面を思い出し、ヒルデガルトの鼓動が少し速くなった。
「直接触れた訳ではないし、勘違いかも知れないが、これまで感じたことがない魔力だった気がするのじゃが。」右手で顎髭をしごきながら、ユリウスはその魔力を過去に感じたことがあるか記憶の糸を手繰り寄せるが、引っ掛かってこない。
「やはり、勘違いだったかのぉ。」そう呟きながら、しばらく天井を仰いで考え込むユリウスを見て、ヒルデガルトは気付かれないようにそっと息をついた。
しばらく考え込んだ後、ユリウスはヨーゼフとヒルデガルトに視線を戻した。
「先ほども申したとおり、御息女は類い稀な魔力の持ち主じゃ。しかし、その魔力を扱うにはあまりにも未熟。ヨーゼフ殿が魔導省を避けられたいのであれば、我が聖堂で修練を積まれるが良い。幸い御息女は聖の属性をお持ちじゃ。修練を積めば、我ら神官団と同じく奇蹟を起こすことができるじゃろう。」
「ありがたい仰せではありますが、私は娘を神官にするつもりは・・・」大神官の言葉にヨーゼフはやんわりと反論した。
「ううむ。しかし、御息女は奇蹟によって多くの人々を救うことができるかもしれないのですぞ。」
優秀な奇蹟の使い手が聖堂にいれば、自ずと寄進も増えるという現実的な問題もあるが、何より病気や怪我から民を救うという点において、ユリウスはヒルデガルトの聖堂入りを打診した。家柄からいってもゆくゆくは聖堂の中心的な存在になる可能性も大きいだろう。
「それはユリウス殿のおっしゃるとおりかもしれませんが、私は娘には普通の幸せを願っているのです。神官だの聖女だの・・・いや失礼、いずれにしてもそうして民から尊敬されることよりも平凡に幸せになってもらえれば・・・」
今までそうしたことを言ったことの無い父が娘の「平凡な幸せ」を力説するのにヒルデガルトは少し戸惑いながらも、父にそこまで大切に思われていたことに心が温かくなった。
「お父様。」尊敬と愛情が入り交じった瞳でヒルデガルトがヨーゼフを見上げていると、その視線に気付いたヨーゼフの頬が少し赤く染まる。
「いや、何だ。その、父さんはお前がかわいくて仕方がなくてだな、」普段はきっちりとしているヨーゼフが珍しく取り乱しているのもヒルデガルトにとっては新鮮だ。
「いずれにせよ、娘の将来に関わる大切なことをここですぐに決めるわけにはまいりませんので、この話は聞かなかったことに。」ヨーゼフは強引に話を打ち切りにかかった。
大神官からの誘いを断る無礼は重々承知しているが、このまま大神官の思惑通りに話を進められても困るし、ヒルデガルトが変に興味を示しても困る。まずは冷却期間を置こう、そうヨーゼフが考えるのも無理はない。
「ふむ。ヨーゼフ殿がそうおっしゃるのであればやむを得ぬ。しかし、せめて屋敷に戻られても修練は怠らぬように。何なら儂が信頼する者を派遣しても良い。これまでのように御息女を魔術から遠ざけるだけで済む話ではない。」ユリウスは頑ななヨーゼフに呆れながらも、そこだけは強調した。
「ご忠告、ありがたく頂戴します。また、ご無礼をお許しいただければ。娘を思う親の愚かさとお笑いください。」ヨーゼフはユリウスに頭を下げ、無礼を詫びたが、聖堂の神官の派遣に対しては言質を取らせなかった。
「それでは、今日はこれにて失礼させていただきます。ヒルデガルトもご挨拶を。」
「大神官様、本日は貴重なお時間を賜り、心より御礼申し上げます。また、大変な粗相を致しましたこと、平にご容赦くださいませ。」ヨーゼフに促され、ヒルデガルトは改めて膝を折り、淑女の礼をした。
「構いはせぬ。アルテンシュタット嬢におかれては、気軽に訪ねてきなされ。聖堂の扉はいつでも開けておくのでな。ヨーゼフ殿もまた王宮なりどこなりでお話をば。」そう言うとユリウスは二人の客人を部屋の出口まで見送った。
(ぜひ、あの娘御を聖堂に迎えたいものじゃ。)聖堂の外廊を歩く二人の後ろ姿を尖塔の窓から見送りながら、ユリウスはどうしたものかと思案を巡らせていた。
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