第17話 父の悩み

 王宮から当主のヨーゼフが帰宅し、いつもどおりに家族で食卓を囲んだ後、ヒルデガルトはヨーゼフの書斎に向かった。普段は夕食の後は居間で家族の団欒の時間を持つのだが、珍しく父に呼ばれたのである。


 屋敷を抜け出して、独りで街に行ったのがばれたのかと少し緊張しながらヒルデガルトが書斎の扉をノックして、自身の名を告げると、がちゃりと鍵が開く音が響いた。

 書斎の中から、入りなさいという父の声が聞こえたので、ヒルデガルトは恐る恐る扉を押し開けた。


「失礼いたします、お父様。お呼びでしょうか。」少し固い表情で書斎に入ってきたヒルデガルトを見て、ヨーゼフの視線が一瞬曇ったが、ヒルデガルトは何も気付かないまま父の前に立った。

「まあ、掛けなさい。」ヨーゼフは穏やかな笑みを見せながら、愛娘に椅子を勧めた。

「失礼いたします。」そう言ってヒルデガルトは複雑な彫刻が施された肘掛けと背もたれを持つ椅子に腰を下ろした。少し古いためか、ほんの小さくギッと軋む音がしたので、ヒルデガルトはちらりと椅子に目を向け、すぐに父に向き直った。


「今日、聖堂の大神官様にお会いしてきた。」おもむろにヨーゼフが切り出した。

「大神官様がおっしゃるには、古龍ではないが、力を持った聖獣や魔族が人間の夢枕に立った事例は過去にもあったそうだ。」

「聖獣や魔族が・・・」父の言葉を繰り返すヒルデガルト。その耳許でクスクスという小さな笑い声が聞こえる。

(まあ、私はヒルデガルトの夢枕に立ったのではなくて、直に会って契約を結んだけどね。)愛娘の言葉に思考を引っ張られているヨーゼフは白銀の古龍にしてみれば少し滑稽だ。


「ただ、夢枕に立たれた側は、神官や巫女、魔導師など優れた魔力を持ち、訓練を積んだ者ばかりらしい。それらの聖邪の存在から発せられる言葉を受け取れるだけの能力が必要なのだろう。」白銀の古龍の声が聞こえないヨーゼフは言葉を続ける。


「ヒルデガルトには魔術の訓練をさせていないから、古龍の声が聞こえたのならかなり珍しいことだ。古龍の力は聖獣や魔属を凌駕するから単純には当てはまらないのかもしれないが。」そこで言葉を切り、ヨーゼフはヒルデガルトの瞳を覗き込んだ。

「古龍が夢枕に立ったのは一度きりかい?」

「はい、お父様。一度だけですわ。」夢枕ではなく、しかも何度も言葉を交わしているが、最初に夢枕と言った手前、ヒルデガルトは父の言葉を肯定した。でも、自分を信じてくれている父を騙すようで心がチクリと痛む。


「そうか。だとすると本当に夢枕に立ったのか、それとも単なる夢だったのか。だが、単なる夢にしては、とてもヒルデガルトが見るような内容ではないし。」そう呟いたヨーゼフは腕組みをしながら目を瞑り、顔を上に向けた。


(大神官に託宣を仰ぐべきか?しかし、大神官に引き合わせることで、もし、ヒルデガルトが類い稀な魔術の素質に恵まれていることが王家に気付かれてしまったら、あの忌々しい魔導卿の下に召し出されかねない。王宮に出仕させないために魔術の訓練はさせずに育ててきたのに、だ。)

 ヨーゼフは、王国一の魔術の力を持つといわれる現在の魔導卿ロストック辺境伯の顔を苦々しく思い浮かべた。

 ロストック辺境伯は50過ぎの痩せぎすの男で、自分以外のものは全て研究対象だとでもいうような冷たい目をしており、貴族というよりは危ない研究者といった風貌をしている。

 新たな魔法や霊薬を数多く生み出し、王国の軍事力の強化に貢献していることから発言力も大きく、同じ辺境伯であるヨーゼフに対しても尊大な態度で接してくる、あの男の下に愛してやまない娘が配属されるなど想像さえしたくない。愛するヒルデガルトがあの男の観察や研究の対象にされては堪らない。


 軍務と魔導の二つの卿(大臣)に就任する資格を持つ辺境伯の四家において、その跡取り以外の子弟は軍事や魔術の適性に応じて、軍務と魔導のいずれかの省(役所)や実力部隊である騎士団・魔導師団に所属することも多い。もちろん、次男、三男でも実力が伴えば、分家して子爵や男爵の爵位を得て、場合によっては軍務や魔導以外の省で卿まで上り詰める者もいるが、やはり親の七光りが及びやすい軍事の二省に奉職する者が多い。


 シュタイン王国の官僚機構は元々、女性についても門戸が閉ざされているわけではなく、独身時代に社会勉強として働く者も少なからずいる。中には仕事をばりばりこなして、卿を補佐するナンバー3の地位にまで登った女性もいるくらいだ。

 逆に、領地からの収入のみで生きていける、あるいは家族に養ってもらえるのであれば、跡取りでない次男、三男であってもわざわざ王宮に出仕しなくても良いかといえば、必ずしもそうでもない。王族や公爵などの大貴族に気に入られ、次男、三男はいうに及ばず、女性であっても出仕を強いられることもある。

 有力貴族が相手なら、父や兄弟が力を持っていれば、要求をはね除けることも可能であるが、さすがに国王や有力な王族が出仕を望んだ場合にはそれも難しい。

 だからこそ、ヨーゼフはヒルデガルトの素質をその祖母に当たる王太后にも隠し、さらに高度な魔術の訓練からも遠ざけたのである。それは反対に王家の血を引く娘として政略結婚の道具にされかねない危険も孕んでいることが、ヨーゼフの悩みを深くしている部分もある。


 黙りこんで思考を巡らす父を見て、ヒルデガルトはいよいよ今日の外出について叱責されるのかと神妙な顔つきで父の言葉を待った。自身が怒られるだけならまだ良いが、侍女のハンナや門番のコールにまで責めが及ぶのは避けたい。

 どう言い訳しようかとヒルデガルトが考え始めたところで、ヨーゼフは目を開いてヒルデガルトを正面から見つめた。


「ヒルデガルト、お前が古龍の夢を見たのは一度きりかい?」

父の声が穏やかなものだったので、ヒルデガルトはほっと胸を撫で下ろした。

「はい、お父様。一度だけですわ。」表情を緩めながらヒルデガルトは応えた。

「そうか。だとすると、大神官様の託宣を仰ぐのは時期尚早かもしれん。ところで、古龍の夢を見てから何か身の周りで変わったことは起きていないかい?」

「変わったこと、ですか?そういえば、髪の毛から白銀色の光の粒が舞うことがありますわ。ミュールハイム侯爵家のエレオノーラ様がおっしゃるには、森の妖精のいたずらではないかと。」

「ふむ。光の粒が。今も舞いそうかい?」

「確かめてはおりませんけれど。」そう言いながらヒルデガルトは白金色の流れるような髪を手ですくい、そのままさらさらと手からこぼした。

 すると、揺れ落ちる髪からきらめく光の粒が舞い散り、しばらくきらきらと部屋の中を漂っていた。

「これは・・・魔力の欠片か!」感嘆とも驚きともつかない声を出し、ヨーゼフは愛娘を見つめた。

「そうか。器から溢れ出すほどの魔力を持つようになったのだな。このままでは隠し通せないかもしれないな。」

 髪からこぼれ落ちる白銀色の光の粒を見て、少なくとも妻クリスティーネはヒルデガルトの異変に気付くだろうし、そこから彼女の母であり、ヒルデガルトの祖母に当たる王太后の知るところとなるだろう。

(この子を魔術から遠ざけておいたことは過ちだったのか。しっかりと修練を積ませて、この子の器を大きくしておけば、魔力が身体の外に溢れ出すことも無かったかもしれない。)

 ヨーゼフはヒルデガルトの美しい髪を見ながら、どうすれば我が子を王家や他の貴族の思惑から守れるか考えを巡らせていた。


**********


「それにしても・・・」ヨーゼフは愛娘と辺りに漂う白銀のきらめく粒を見ながら、娘に語りかけるでもなく呟いた。

「溢れた魔力が目に見える大きさにまで結晶化するのを見たのは初めてだ。普通はせいぜいうっすらと光が見える程度のはず・・・」

 漂う光の粒を捕まえようと手を伸ばす父が何となく少年っぽくて微笑ましかったので、ヒルデガルトの顔が自然とほころんだ。


 娘が自分を見て微笑んでいるのに気付いたヨーゼフは、光の粒を追う手を引っ込めて軽く咳払いをした。

「私が領地に帰っている間に、ヒルデガルトも日々成長しているということか。」娘の成長を喜びつつも自身の手の中から少しずつ離れていくような寂しさを感じるヨーゼフ。


「ミュールハイム侯爵嬢はお前の髪から魔力の粒が舞うのを見たようだが、それはいつのことだい?」

「昨日、王宮の図書室でお目にかかった時ですわ。帰りの馬車の中でエレオノーラ様から光の粒のことを伺って、私も初めて気が付きましたの。エレオノーラ様は森の妖精の悪戯ではないかとおっしゃったのですけれど。」

「ふむ。ミュールハイム侯爵嬢は魔力の実態にはあまり詳しくないのだな。まあ、このように結晶化した魔力を見るのは私も初めてだが。」


「お父様は魔術にはお詳しいのですか?」

「ああ、魔物の討伐では相手の魔法について知っておかねばならないし、こちら側の能力も把握しておく必要があるから知識としては詳しいが、私自身はそれほど魔術が得意ではないのだよ。」

 愛娘のストレートな質問に少し苦笑しながらヨーゼフは応える。

「私はお前のように溢れ出すほどの魔力は持っていないし、通り一遍の魔法は使えるが、剣や槍で戦うのが10の力だとすると魔法で戦うのは6くらいの力しかないだろう。」

 戦場での父を見たことがないヒルデガルトには、ピンと来なかったが、 勇猛をもって鳴るアルテンシュタットの領軍を率いる父だから武勇の面では人後に落ちないのだろう。その父の武勇の6割の力なら大したものだと感じるが、それを謙遜する父の念頭には誰か強力な魔術の使い手があるようだ。


「私は『点灯』や『清浄』のような簡単な魔法しか操れませんが、お父様や魔導師団の方たちはそれこそ英雄譚に出てくるような『火球』や『雷撃』のような魔法をお使いになるのでしょうか?」

「うむ。私は水や氷の属性が強いので『氷の矢』や『吹雪』のような魔法を操るが、魔導師団の中にはもっと強力な魔法を操る者も多い。」

「お父様が水や氷の属性をお持ちでしたら、その娘である私も同じように水や氷の魔法を操れるようになるのでしょうか?」

「そ、それは、まあ。」ヒルデガルトの素朴な問いかけに思わずヨーゼフは口ごもった。

「父さんの家系は水属性を持つ者が多いが、母さんの家系はどうだったかな。」娘にあまり魔術に深入りしてほしくないヨーゼフは、普段とは打って変わって歯切れが悪い。

「まあ、魔力を持っていることと、魔法を操ることは別の話だから。体力があっても剣術など戦いに向かない人もいるだろう?」


(あっ、お父様は私にあまり魔術に関わってほしくないのかもしれませんわね。)はぐらかすような父の答えにヒルデガルトはふとそう感じた。

 そういえば、友人のエレオノーラは小さい頃に聖堂の大神官に属性を鑑定してもらった上で、今も魔法の訓練をしているようだが、ヒルデガルトはそのような記憶はなく、魔法にしても生活に便利な簡単なものを教わった以外は訓練と呼べるようなことはしていない。

 もしかするとヒルデガルト自身に全然才能が無くて、父も諦めてしまったのかもしれないし、貴族でありながら魔法を満足に使う才能がない自分を傷つけないためにわざと魔術から遠ざけてくれているのかもしれない。


(でも、エオストレとの約束を果たすためにも、少しでも自分で自分の身を守れるようになりたい。)

 街に出て、己の無力さを痛感して帰ってきたヒルデガルトとしては、相手を倒せないまでも自身の身を守るための魔法を身に付けたかった。


「お父様。私も修練を積めば魔法を操れるようになるでしょうか?」表情を引き締めて、ヒルデガルトは父に尋ねた。

「修練か。う、うむ。修練をしないよりは、した方が操る力はつくだろうな。慣れということもあるし。しかしだな、私やレオンハルトのように戦いに出るわけでもないし、無理に苦労をせずとも・・・」


「やはり、私には魔術の素質が無いのでしょうか?」どうにも歯切れが悪いヨーゼフにヒルデガルトの表情が曇る。


「い、いや、才能云々ではなくてだな・・・」悲しげな愛娘の顔にヨーゼフが口ごもった。


「ヒルデガルトが自ら魔法を使う必要は少ないだろう?何かあればオットーやハンナが手伝ってくれるだろうし、もし危険なことがあっても私やレオンハルトが絶対にお前を守るから。」

 どうしても魔法を使わない方へと話をそらしてしまう父にヒルデガルトは心が折れそうになるが、自らを奮い立たせて言葉を続ける。

「ミュールハイム家のエレオノーラ様は聖堂で大神官様に鑑定していただいて、魔法を操るための修練をなさっていると伺っております。私も貴族の娘である以上、それに相応しい力を身に付けとうございます。」


 これまで両親の指示に素直に従っていたヒルデガルトが頑張って食い下がってくるのは、成長の証だろうか。

「分かった。お前がそこまで言うのであれば、近いうちに大神官様に引き合わせよう。ヒルデガルトも自らの足で立つ時が来たということか。」

 ヨーゼフはヒルデガルトの願いを聞き入れ、大神官の鑑定を受けさせることを承諾した。その声が少し寂しそうだったのは、愛娘が手の中から羽ばたこうとしているのを感じたからだろうか。


「ありがとうございます、お父様。わがままを聞いてくださって。もし、私が魔術の才能に劣っていたとしても、それを受け入れ、お父様の娘として恥ずかしくないように努力してまいります。」真剣な眼差しで父を見返すヒルデガルトは、少し前までののんびりふわふわした令嬢の殻を少しだけ破ったように見えた。

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