第16話 ヒルデガルトの自覚

 結局、今回はヒルデガルトは何も得るもの無く、冒険者組合を後にした。仮に冒険者に依頼するにしても、どのような情報を、どのような範囲で、どれくらいの期間で収集するのか、そしてその報酬はどれくらいにするか、全く想定もしていなかったし、未成年のヒルデガルトが依頼主になり得なかったこともあるが、何よりヒルデガルト自身に十分な持ち合わせが無かったことが大きい。

 ヒルデガルト自身の足で聞き込みをしようと意気込んで出てきたものの、有益な情報は無料ではなく、どこから情報を得れば良いのかという知識も乏しい。物語や英雄譚では予言者や街の古老が素晴らしい手掛かりを教えてくれるが、現実はそのように甘くはない。


「残念だったけど、もう少し考えを整理して、お金の準備もして出直すしかないでしょうね。」帰り道、ヒルデガルトの隣を歩くデルマは慰めるように声をかける。

「デルマ先生、ありがとうございました。先生のお店でも大変失礼なことをしてしまいましたのに、こんなに親切にしていただいて。冒険者組合に連れていってくださったおかげで、自分がどれくらい世間知らずで甘い考えだったか、目が啓かれた思いです。」

 それは本心からの言葉だった。家族に守られ、執事や侍女が何でもしてくれる生活の中で、何も考えずに生きてきたことをヒルデガルトは痛感した。


「お恥ずかしい話ですけれど、私、本当に子どもで、物語のように何でもすぐに叶えられると思っておりました。現実には、噂話を一つ手に入れるだけでも人と人との関係やお金が必要になるのですね。」少し大人びた口調で話すヒルデガルトの横顔をデルマは少し驚いた目で見た。

 デルマ自身とゲルト副長の厳しい洗礼を浴び、一度は涙を見せたものの心が折れることもなく、自身を見つめ直すことができるのは大したものだ。

 それにしても、自分の店で涙を見せた時のヒルデガルトはまだまだあどけない顔をしていたが、今のヒルデガルトはどことなく凛とした気品さえ感じさせる。ほんの短時間でもこんなに人は変われるのかと、デルマは感心した。


「副長様をはじめ、冒険者組合にいらした冒険者の方たちは、皆さん、仲間の方に頼るのではなく、お互いを信じ、支え合っていらっしゃるようにお見受けいたしました。それに引き換え、私は家族にも執事たちにも一方的に頼るばかり。それこそ今日初めてお会いしたデルマ先生にもこうして甘えてしまって、お恥ずかしい限りですわ。」

「これは私が好きでやっていることだから、気にする必要はないわ。。それに、あなたはまだ子どもでしょ。子どもは人に頼るものよ。」デルマはそう言って、まっすぐなヒルデガルトに優しげな眼差しを投げ掛けた。

(このまま素直にまっすぐ成長してね。ドロドロとした貴族社会でそんな甘いことは通用しないかもしれないけど、それでもどうぞ清らかな心を失わないで。)デルマはそう願わずにはいられなかった。


**********


「それで、あなたはこれからどうするつもり?副長の言ったように冒険者に龍の情報を集めてもらうの?」一旦、デルマの店に戻り、デルマとヒルデガルトはテーブルで薬草茶を飲みながら話していた。薬草茶は甘い香りがして、飲むとほんのりと口の中に清涼感が広がる物で、デルマが植木鉢で育てた植物を乾燥させて作ったものだ。


「どうすれば良いか、まだ迷っておりますの。副長様は御自身なら自ら探すとおっしゃっていました。確かに副長様がおっしゃるとおりで、私のお友だちも人間は欲に目が眩むとすぐに裏切るから他の人間を巻き込むのは心配だとおっしゃっていましたし。」

「だからと言って、まさか、あなた自身で探すのは不可能でしょう?旅に出るには、色々な装備品を揃えたり、旅先で宿を取ったり、ご飯を食べるためのお金もたくさん必要よ。そもそも、あなたは自分で自分の身を守れるの?貴族なら強力な魔法が使えるのかもしれないけど。」

 下手に冒険者組合に連れていったのは失敗だったかもしれないとデルマは心配になった。世間知らずのお嬢様は物語のように旅ができると簡単に考えてしまったのかもしれないが、実際の旅はそんなに甘いものではない。


 シュタイン王国の中は比較的治安が良いとはいえ、街道には盗賊が出没することもあり、時折、冒険者組合に討伐の依頼が出ている時がある。また、魔物や危険な動物に襲われることもあり、商人も必ず護衛を連れて旅をしている。

 ましてやヒルデガルトはまだ成人前の頼りない少女であり、それこそ人さらいに拐われて、売り飛ばされかねないし、護衛のつもりで雇った冒険者に乱暴されるかもしれない。ヒルデガルト自身は自覚していないようだが、まだ幼さを残しているものの、社交界に出れば求婚者が列をなすであろう美しい顔立ちをしており、男どもの邪な心に火を点けかねない。

 デルマ自身でさえ貴重な薬草や素材を取りに行くときには、冒険者組合で護衛を雇うし、その際にも自分の店の常連で信頼のおける者にしか頼まないのだ。


「お父上にお願いして護衛の騎士を付けてもらったらどう?」父親が上級貴族であれば、何も冒険者を雇わずとも配下の騎士を何人か護衛に付けることは十分に考えられる。

 デルマの言葉に、ヒルデガルトは少し困った顔をした。

「私は王都から離れることを許されておりません。身代わりを置いてこっそりと旅に出たとしてもお父様の騎士を連れていくことになれば、お父様に大変なご迷惑をかけてしまいかねません。」

「そうですか。貴族様は色々と制約があるのね。」

 デルマは深くは突っ込まず、あっさりと返事を返したが、その裏でヒルデガルトたち貴族の子弟が人質として王都に留まっていることを薄々理解した。


「私はまだ力不足で、満足に魔法も使えず、自分の身を守ることさえできません。少し時間はかかりますが、まずはお友だちにも教えていただきながら魔法を覚えようと考えておりますの。」

 ヒルデガルトはエオストレに魔力の操作について習ったことを思い出しながら、せめて自分の身を守る程度の魔法は身に付けないと何も始まらないし、何よりもっと世間というものを知らなければいけないと感じていた。

 一人で屋敷の外に出ただけで今日のような有り様で、もしデルマや副長に害意があれば、世間知らずで何の力も持たない自分などそれこそ赤子の手を捻るように有り金を巻き上げられ、売り飛ばされていたかもしれない。

 冒険者を雇うにせよ、自ら探すにせよ、希少な龍の体を手に入れるためには、まず自身がもっと強く、賢くならなければ。今日一日の経験からヒルデガルトはそう痛感していた。


 まずは魔法を学ぶという、思いのほか堅実なヒルデガルトの考えにデルマは少し安堵した。旅や冒険を物語のように簡単に考えているのではないか心配していたのは杞憂だったようだ。これまで貴族などただの商売先で、どうなろうと知ったことではないと割り切っていたデルマだったが、この可憐な少女がどう成長するのかを見守りたいと思い始めていた。


**********


 ヒルデガルトが杖屋と薬屋、冒険者組合を訪れているうちに昼を過ぎ、陽射しが柔らかな光に変わってきた。そろそろ帰らなければ、侍女のハンナにも迷惑がかかるかもしれない、そう思ったヒルデガルトは屋敷に戻ることにした。

「デルマ先生、本日は本当にありがとうございました。様々なことを親身に教えてくださっただけでなく、冒険者組合にもお連れいただいて、本当に助かりました。」

「もう帰るのね。魔術の勉強、頑張って。もし、霊薬や薬草が必要になったらいつでも来て。安くしておくから。それと・・・」そう言いながらデルマは商品を置いている棚をごそごそと探ると、上部に小さな噴霧器が付いた磁器製の小瓶を取り出した。

「これは顔に一吹きすると痛みで目が開けていられなくなる薬。」

「目、ですか?」

「まだ城壁の外には出ないでしょうけれど、城壁の内側でも風紀の良くない区画はあるから。もし、そういう所に行くときには、用心のためにこれを持っていくと良いですよ。」

「ありがとうございます。大切に使わせていただきますわ。」嬉しそうに笑顔を見せてヒルデガルトは小瓶を受け取った。

「いえ。使う状況にならないのが一番で、使うべきときにはしっかり使うことよ。」

 ヒルデガルトの笑顔にデルマは苦笑した。何のための物かヒルデガルトはまだ理解していないらしい。

「世の中の人間は良い人ばかりではないわ。人の物を盗もうとする人もいれば、危害を加えようとする人もいるの。特にあなたは男の人につきまとわれることも出てくると思う。身の危険を感じたときは、その薬を相手の顔に吹き付けて逃げなさい。」

「つきまとわれる・・・分かりました。」祝祭の日に酔っぱらいに絡まれたことを思い出し、ヒルデガルトは何となくデルマのいうことを理解したが、まだピンと来ていないようだった。


「それでは、今日はこれで失礼いたします。デルマ先生、ごきげんよう。」ヒルデガルトはローブの裾を摘まみ上げ、膝を折って礼を述べた。

  せっかくローブを着て、巡礼者か何かに化けているつもりだろうが、こういうところはやはり抜けているというか、世間知らずですね、と少し呆れながらもデルマは、帰り道気を付けてください、と言いながらヒルデガルトを見送った。


**********


 日が陰り出した時間になって、ヒルデガルトはアルテンシュタット辺境伯邸に戻ってきた。

「コール、通してくださいな。」ローブを脱いで布に包み、侍女のハンナのふりをしながら、ヒルデガルトは屋敷の門番に声を掛けた。

「あ、あぁ、ハンナか。昼を跨いでのお遣い、ご苦労さん。昼ごはんはちゃんと食べたのか?」

「お昼ごはん?え、あぁ、ええ。えーっと。」門番からの思わぬ問いかけに、ヒルデガルトはしどろもどろになってしまった。

「ん?どうしたハンナ?」コールは訝しげに侍女姿のヒルデガルトを見る。

「あの、お、お遣い先が多くて、昼食を頂く時間が取れませんでしたの。後ほど、お茶を頂きますので、だ、大丈夫ですわ。」明らかに普段のハンナの言葉遣いが異なり、しかもずいぶんと慌てふためいた様子を目の前にして、コールは姿勢と言葉を正した。

「失礼ですが、顔を上げてよく見せてもらえますか?」手にした槍をヒルデガルトの前に差し出し、行く手を遮ると、コールはゆっくりとヒルデガルトに近づいてきた。


(あらあら。せっかく姿や声を誤魔化してあげたのに。)ヒルデガルトの影に隠れている白銀のエオストレは、門番に捕まった親友を残念そうに眺めている。

(これ以上、下手に誤魔化すと、ややこしいことになってしまうかもね。)半ば諦めにも似た思いで、エオストレはヒルデガルトを侍女に見せかける幻を解いた。


 うつむいて、誤魔化そうとしていたヒルデガルトだが、コールに顔を上げるように言われて、とうとう観念した。

 屋敷を出る時には上手く誤魔化せたのに、帰りはどうしてバレてしまったのかしら、と不思議に思いながら、ヒルデガルトは形の良い眉尻を下げて、上目遣いにコールの顔を見た。


「こ、これはお嬢様!た、大変失礼いたしました。」ヒルデガルトが侍女の格好で外から帰ってくるなど想像もしていなかったカールは腰を抜かさんばかりに驚き、直立不動の姿勢になった。


「本当にごめんなさい、コール。」本当に申し訳なさそうにヒルデガルトは謝った。

「いえ、しかし。あの、そのお召し物は?」自らが仕える屋敷の令嬢が侍女の格好をして、外出から帰ってくるという不可解な状況にすっかり困惑したコール。普段なら馬車で出かけるお嬢様が何故に徒歩で、しかも侍女の服で?いや、何よりいつ外に出たのか?


「お父様やお母様には内緒にしておいてくださいね?」背の高いコールを見上げているために自然と上目遣いになって、お願いするヒルデガルトを前に、さすがの厳しい門番も白旗を上げた。

「は、はい。かしこまりました。」頭の中が疑問符でいっぱいになりながらもコールはそう返事をして、ヒルデガルトのために門を開けた。

「早くお着替えになってください。そのお召し物では怪しまれてしまいますよ。」少し声を落としてコールはヒルデガルトに忠告した。

「ありがとう、コール。それだは、ごきげんよう。」柔らかな日差しのような笑顔を門番に投げ掛けて、ヒルデガルトは木の陰に隠れるように忍び足で屋敷の建物に向かう。

(あぁ、お嬢様、丸見えですよ!全然隠れてないですよ!)ヒルデガルトが無事に屋敷の中に入るまで、コールはハラハラしながらその後ろ姿を目で追っていた。


**********


「お嬢様ぁ。」ヒルデガルトが自室に戻ってくると待っていた侍女のハンナが安心して泣き出しそうな声で出迎えた。

「よくご無事で。旦那様や奥方様に見られませんでしたか?本当にこれっきりにしてくださいませ。心配で心配で。」ハンナは箱入り娘のヒルデガルトを独りで街に行かせてしまった心配七分と、ヒルデガルトを外出させたことを主人から咎められるのではないかという恐れ三分で生きた心地がしない中、じっと待っていたのだ。

「ごめんなさいね、ハンナ。誰か部屋を訪ねてくる方はいらっしゃった?」

「掃除と寝台の準備に入ってこようとした者がおりましたが、私がお世話をするといって中には入らせませんでした。」

「そう!本当にありがとう、ハンナ。助かりましたわ。」

「それでお屋敷の外は如何でございましたか?」

「色々と勉強になりました。私は本当に世間知らずなのだということがよく分かりましたの。」にこにこと嬉しそうに話すヒルデガルトを見て、ハンナもようやく安心できたようだった。

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