第14話 薬師デルマ
魔導師が使う杖を取り扱っている店の次にヒルデガルトが入ったのは、薬瓶を看板として吊り下げている店だった。
この世界ではまだガラスの製造技術は低く、量産もできないため、かなり高価な物になっており、ガラスの食器や容器は貴族の邸宅で使われるか、霊薬を保存するためにしか使われていないのが現状である。
このため、ガラスの薬瓶を看板にしている店は霊薬を扱っているのだろうとヒルデガルトは考えたのだ。
ヒルデガルトが店の中に入ると様々な薬草の青臭い香りや干し肉のものと思われる少し生臭い匂いに包まれる。
貴重なガラスケースの中には哺乳類だけでなく、蜥蜴などの爬虫類やカエルなどの両生類の干物まで並べられており、それを見たヒルデガルトは思わず小さな悲鳴を上げて、後退った。
何とか気を取り直して、ヒルデガルトは店の奥に声をかけた。
「ごめんくださいませ。」少し陰気な雰囲気さえある店内に似つかわしくない涼やかなヒルデガルトの声が響くと、店の奥から白衣を着て、口と鼻の周りも白い布で覆った人物が顔を出した。
「お待たせしました。」口と鼻を覆う布の奥から聞こえてきた声は落ち着いた、しかし張りのある女性の声だった。
ヒルデガルトは、こうした霊薬を扱う店の主は知識に溢れていそうな白髪の男性や老魔女で、気難し人物が出てくるのではないかと勝手な想像をしていたので、まだ若そうな張りのある声に意表を突かれた思いだった。
「あら、旅の巡礼者さんかしら。道中で使うお薬がご入り用ですか?」口と鼻を覆う布を頭の後ろで留めておく紐を解きながら、その人物はヒルデガルトに声を掛けてきた。
「この店で薬作りをしているデルマです。」そう名乗ったのは、年の頃で30歳を過ぎたくらいの化粧っ気の無い女性だった。
「うちでは、歩き疲れたときに体力を回復させる薬や魔法を使った後に魔力を回復させる薬、怪我を治す薬や病気の症状を和らげる薬まで、一通り揃えていますよ。」淡々と取り扱っている薬の主な効用を紹介したデルマはヒルデガルトをまっすぐ見つめ、返事を待っている。
「ご、ご店主様ですか?」想像していたのと異なる人物から思っていたのと違う対応をされて、ヒルデガルトは一瞬何を聞けば良いか頭の中が白くなってしまい、言葉に詰まったが何とかデルマに話し掛けることができた。
「店主?」デルマは普段呼ばれることのない肩書きで呼ばれ、一瞬面食らったが、すぐに納得した感じで説明した。
「あぁ、店主。ここで私が薬を作って、それを売っていますから店主と言って良いでしょうね。作る方が専門なので、みんな先生と呼びますが、そういった意味で店主と言えば店主です。」さばさばとした口調で返事をしながら、デルマは目の前のフードをかぶった人物を素早く観察した。
巡礼者にしては着ているローブが真新しく、汚れもないから、王都の中に住んでいて、これから旅に出るところかしら。ローブの布は品質も良さそうで、フードを深くかぶっているところを見ると、あるいは身分の高い家の召使いが主人に命ぜられて、他に知られたくない霊薬でも買いに越させられたのかもしれないわね。
声や背丈からするとまだ若い女性ね。注文を聞く前にこちらから先手をとって話しかけたら対応に詰まったから、召使いだとしても新人でまだまだ半人前といったところかしら?今のやり取りで頭の中が真っ白になって、主人に命じられた薬が何だったか忘れたりしていなければ良いんだけど。生き馬の目を抜く競争に明け暮れる商人を相手にしたらカモにされそうで心配になるくらい、世間擦れしていなさそうな女の子ね。
「今日はお使いですか?それともご自身で使う薬をお求めですか?」目の前の女性から少しゆっくりとした口調で話し掛けられ、ヒルデガルトはようやく落ち着きを取り戻した。
「薬を作っていらっしゃるところに突然お伺いして申し訳ありません。実は体力と魔力を同時に回復させられるような霊薬を探しているのですが、先生はそのような物をお作りになっていらっしゃいますか?」
「体力と魔力を同時に?かなり高級な物になりますね。失礼を承知でお聞きしますが、霊薬の相場はご存知かしら?」
「申し訳ありませんが、あまり詳しくありませんので教えていただけるとありがたく存じます。」
(ふう。買う物の値段も知らないで買い物に来るなんて、ぼったくられて有り金を全部取り上げられてしまうわよ。)無邪気としか言い様の無いヒルデガルトの言葉にデルマは本当に心配になってしまった。
「一般に出回っている霊薬には低級と中級と高級に分けられていることはご存知かしら?」
「はい。話に聞いたことはあります。ただ、実際にどのような違いがあるのかは存じ上げておりませんの。」
「霊薬を作る時に、その質や等級を決めるのは、素材の種類と質、そして生成する術者の魔力と技術です。」
「素材と術者・・・」
「素材が持つ効能と素材自身が帯びている魔力、それらを引き出す術者の技術、そして霊薬に籠められる術者の魔力のどれが欠けても良い霊薬は作れません。」デルマは生徒に教えるように説明を続ける。
「あなたが欲しいと言った、体力と魔力を同時に回復させる霊薬というのは、どちらか片方だけを回復させる霊薬を作るのに比べて必要な素材の種類が単純に倍になるだけでなく、様々な素材が各々の効能を阻害し合わないように調製し、魔力を引き出す技術、そしてより大きな術者の魔力が必要になります。」
「そのように複雑なものとは存じ上げませんでした。不勉強でお恥ずかしい限りですわ。」安易に高そうな霊薬の購入を仄めかした己の不勉強を指摘され、ヒルデガルトは顔を赤らめた。そして、恐縮した面持ちで商談をきっかけに話を聞き出そうとした自らの不明を恥じた。と言ってもフードを深くかぶっているので、デルマからヒルデガルトの表情は見えないのだが。
「私はあなたがご自身の巡礼の旅の荷物を減らそうとして、そのような高価な霊薬を求めたのか、それともあなたがどちらかの貴族に仕えていて、その命令で買いに来たのかは知りません。ただ、物の価値を知らずに買い求めることは、店の相手に対して失礼ですし、不当に高い物を掴まされたりして、あなた自身のためにもなりません。」少し厳しい口調でデルマはヒルデガルトを諭す。
「申し訳ありませんでした。本当は霊薬を買い求めに参ったのではなく、ある素材が出回っていないかを調べるために、それらしきお店を訪ね歩いているのです。」デルマが自分を心配して誠実に叱ってくれていると感じたヒルデガルトは、今日の訪問の目的が別にあることを明かした。
「いえ、こちらこそお客さんに説教じみたことを申し上げました。」デルマは落ち着いた口調で応え、恐縮した体のヒルデガルトに優しげな視線を向けた。
「もし差し支えなければ、どんな素材を探しているのか、教えてくださるかしら。」
「実は・・・龍の鱗や牙、爪などの素材を探しているのです。」
「龍の鱗や爪牙!」ヒルデガルトの答えに驚いたデルマはヒルデガルトの言葉を繰り返した。
「大変失礼な物言いになりますが、まだ若くて未熟なあなたが龍の素材を買おうとするのは分不相応ですし、もし、あなたの主人が買いに越させたのであれば、物を知らない使用人が偽物を掴まされる危険を考えていない愚かな行いです。」歯に衣着せぬ、直截的なデルマの言葉に、ヒルデガルトは身を縮こまらせる。
「いえ、実際に買うのではなくて、龍の素材が出回っていないか調べていただけなのです。」
「つまり、単なる冷やかしで高価な霊薬が無いかと吹っ掛け、私を試したということですか?」少し険のあるデルマの声音にヒルデガルトは益々小さくなる。
「それならそうと最初から言ってくれれば、ここには在庫は無いと答えて、あなたの時間も私の時間も無駄にしなくて済んだのに。」デルマの声が少し怒気を孕んでいる。彼女は時間の無駄を心底嫌っているのだ。
「あ、あの・・・」デルマの勢いに気圧されて、ヒルデガルトは言葉を継げなくなってしまった。
「ご、ごめんなさい・・・」うつむいたまま、消え入りそうな声でヒルデガルトは謝りの言葉を口にした。その瞬間、フードの中から涙の粒が零れ落ちる。
それを目にしたデルマは、さすがに厳しく言い過ぎたかと一瞬で我に返った。
「こ、こちらこそ、ごめんなさい。厳しく言い過ぎたわ。な、泣かないで、そんなに怒っている訳じゃないから。」まさか相手が泣くとは思っていなかったデルマは慌てふためいた。
「で、でも、お仕事の邪魔をして、その上、騙すようなことをしてしまって・・・」
うつむいたヒルデガルトの目からポタポタと零れた涙が床を濡らす。
「本当に怒ってないから。」あたふたとしながらデルマはヒルデガルトに近寄り、顔を上げさせて、涙を手巾で拭う。その時、フードが脱げて、ヒルデガルトの顔があらわになった。
(まだまだ子どもじゃないの!もう、私ったら大人げなく感情をぶつけてしまって。)自分の半分にも満たない年頃のヒルデガルトを泣かせてしまった罪悪感でデルマはいっぱいになってしまった。
「もう泣かないで。本当に怒っていないから。」デルマはヒルデガルトの両肩に手を置き、うつむいた顔を下から覗き込むようにして語りかける。
「ごめんなさい・・・」自分勝手な都合で大人の仕事を邪魔してしまったという罪悪感でヒルデガルトはうつむいてしまう。
「えーっと。ち、ちょっと座りましょうか。」デルマはヒルデガルトの背中を抱きかかえて、商談の際に使うテーブルの方に連れていった。
「本当に怒っていないから。ねっねっ。それよりもどうして龍の素材を探していたのか教えて。」しばらくして、ようやく落ち着いたが、まだうつむいて座っているヒルデガルトを前にして、デルマは柄にもなく明るい声で話し掛ける。
「実は・・・」小さな声でヒルデガルトが話し始めた。
「大切な親友が体力も魔力も記憶さえも失ってしまって、それを元に戻すために龍の素材が必要なのです。」
薬屋の店内に置かれたテーブルでうつむきながら話すヒルデガルトを、薬屋の店主デルマは腕組みしながら眺めていた。
体力も魔力も記憶さえも失って、それを元に戻すために龍の素材が必要だという症状は、これまで様々な素材を使って霊薬を作り、数多くの症例を診てきたデルマにしても初めて聞く症状だ。
この国の成人年齢である16歳になるかならないかくらいのヒルデガルトの親友というからには、その相手も同じくらいの年齢であろう。そんな子どもの体力や魔力や記憶などたかが知れているのに、目の前の少女はそれを取り戻すために希少な龍の素材が必要だという。それほどの力を持った子どもであれば、聖女や神童として王家が保護していてもおかしくないが、そんな子どもがいるという噂も聞いたことがない。
そもそも体力や魔力、記憶を取り戻すために龍の素材が必要ということは、それらの素材に匹敵する障りが出ているということで、並大抵の障りではなさそうだ。
(まさか、龍に呪いをかけられた?)ヒルデガルトの断片的な話からデルマが辿り着いた結論だった。よもやその「親友」が古龍であるなど、たとえ空想であっても荒唐無稽としか言い様が無い。真実からかけ離れた推測であったとしてもそれはデルマの罪ではないだろう。
(もし、龍がかけた呪いであったなら、私が作る霊薬では祓うことはできない。聖堂の神官でも最も位の高い大神官でなければ不可能かもしれない。それにしてもこの子はどうしてその呪いを祓うのに龍の素材が必要ということに気付いたのかしら?)
「あなたは、どうしてそのお友だちの力を取り戻すのに龍の素材が必要なことが分かったの?」詰問口調にならないように気を付けながら、デルマは問いかける。
「それは・・・彼女が力を取り戻すために龍の体が必要だとおっしゃったから・・・」どことなく歯切れの悪いヒルデガルトの答えにデルマは言葉を重ねる。
「龍の素材はとても希少で、おいそれと手を出せる物ではないわ。私もこれまで扱ったのはたった一度きり。それも飛龍の鱗1枚を手に入れるところから冒険者ギルドに依頼を出して、ようやく手に入った物を使って、失敗しないように慎重に慎重に霊薬を調合したの。」
「そんなに大変なのですね・・・」ヒルデガルトがうつむきながら膝の上で手を握りしめ、デルマの言葉を聞いている光景はまるで家庭教師にお説教されている生徒のようにも見える。
「あなたやあなたのお友だちがどんな身分なのかは知らないわ。もしかしたらものすごい貴族様なのかも知れないけれど、それでも簡単に手に入るものではないことを分かっておいてほしいの。」諭すようなデルマの言葉に、ヒルデガルトは素直に頷いた。
「さっきも言ったように、ここには龍の素材の在庫はないし、たぶん在庫を持っている店も無いと思う。それでもなお、あなたが龍の素材を探したいと言うのなら、冒険者組合に連れていってあげるけど、どうする?」
「まずは大変な失礼をしてしまいましたことを心からお詫び申し上げます。その上で改めて、御手を煩わて申し訳ありませんが、私をぜひ冒険者組合にお連れくださいませ。」まだ笑顔ではないが、強い意思の光を持った目をして、ヒルデガルトはデルマにお願いした。
「分かったわ。じゃあ、さっそく行きましょうか。」そうデルマが立ち上がったのを追いかけるようにヒルデガルトも立ち上がる。
「そういえば、まだあなたの名前を聞いていなかったわね?」デルマはそう言いながらヒルデガルトの方を振り返った。
「申し遅れました。ヒルダとお呼びください。」ヒルデガルトはローブの裾を摘まみながら膝を折る礼をしながらデルマに名を告げた。
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