第10話 古龍との再会
(やっぱり、深窓のご令嬢、根っからの箱入り娘のヒルダを城壁の外のお祭りに連れていくのは無茶だったのかしら。)そんなことを考えながら、エレオノーラはヒルデガルトの手を引き、王宮の中庭を抜けて馬車だまりに向かう。
貴族の令嬢がしずしずと歩を進めると言うよりも、ずんずんと闊歩すると言った方が良い力強いエレオノーラの歩みに、すれ違う人々は思わず道を開け、あるいはすれ違いながら振り返った。
豪奢な金髪の美少女と清楚な白金の髪の美少女が二人、足早に王宮の中を進む姿は思いの外、人目を引く。特にまだお披露目を済ませておらず、王宮で知る人もほとんどいないヒルデガルトについては、明日には色々と詮索好きな宮廷雀の噂の種になっているかもしれない。
「ミュールハイム侯爵様~」エレオノーラが近づいてくるのを見つけた馬車だまりの呼び出し係の男が高らかな声で馬車を呼ぶと、ミュールハイム家の馬車が正面に移動してきた。
「ありがとう。」エレオノーラは、馬車の扉を開けてくれた呼び出し係の男ににっこりと微笑みかけながら礼を述べ、馬車に乗り込むと手を差し出してヒルデガルトを馬車の中に招き入れた。
「ありがとうございます。」ヒルデガルトが呼び出し係の男に礼を述べてから、エレオノーラが差し出した手を取って、馬車に乗り込んだのを確認して、呼び出し係は丁寧に扉を閉めた。
「ミュールハイム侯爵様、お立~ち~」呼び出し係は他家の馬車の御者たちに聞こえるように、再び高らかな声を上げた。他家の馬車が不意に動いて道を塞いだり、正面で向き合って立ち往生したりしないための交通整理である。
コトン、コトンと軽やかな音を響かせながらエレオノーラとヒルデガルトを乗せた馬車が進み始めた。
「ごめんなさいね、エレオノーラ。勉強の途中でしたのに、わざわざ送ってくださって。」恐縮した面持ちでヒルデガルトが切り出した。
「ううん。違うの。私が無理にヒルダを城壁の外に連れ出して、それで怖い目に遭わせてしまったから。むしろ謝らないといけないのは私の方だわ。」エレオノーラは前に座っているヒルデガルトの方に身を乗り出して、膝の上に乗せられたヒルデガルトの手の上に自らの手を重ねる。
「城壁の外について行ったのは、私の意思ですし、大事なかったのですから、エレオノーラが謝ることはありませんわ。」そう言ってヒルデガルトがふるふると首を横に振ると、揺れた髪からキラキラときらめく小さな光の粒が舞った。
「ありがとう、ヒルダ。そう言ってもらえると少しは気が楽になるわ。」エレオノーラはヒルデガルトの瞳を見つめて微笑んだ。
「ところで、ヒルダ。あなた、髪に髪粉か何かつけているのかしら?」
「いいえ、何も。どうかなさいました?」唐突な質問にヒルデガルトは不思議そうな目をした。
「いえ、あなたの髪が揺れると小さな光の粒が舞うように見えたので、何かつけているのかと思ったの。」
「髪が?」ヒルデガルトは白金の長い髪を持って、軽く揺すってみた。すると髪が陽光を反射してきらめくのとは別に細かな光の粒が舞うのがヒルデガルトにも見えた。
「まぁ、全然気が付きませんでしたわ。書庫で何かついてしまったのかしら?お屋敷に戻ったらよく髪をとかさないと。」ヒルデガルトは少し眉を曇らせて、自分の髪を見つめた。
「もしかしたら、この前の祝祭の日に林の中で妖精にいたずらされたのかも。」しばらくして唐突にエレオノーラが呟いた。
「きっとそうよ。挫いてあんなに腫れていた足も治っていたし、ヒルダがあんまり可愛いから、妖精が怪我を治すついでに髪に光の砂を撒いたのよ。」自らの思いつきに一人で納得して、エレオノーラの声が少し大きくなる。
「眠りの妖精は、眠りの砂を撒いて人を眠らせるって言うじゃない?きっとそんな風にヒルダも砂を撒かれたのよ。だから林の中で眠ってしまったのよ。」
「妖精・・・」白銀の小さな龍の形をしていたエオストレは実は妖精だったのだろうか?
軽く頬に手を当てて、首をかしげたヒルデガルトの耳許にまたクスクスという笑い声が聞こえてきた。
「ヒルデガルトのお友だちはとっても愉快ね。」楽しげなエオストレの声がヒルデガルトに囁きかけた。その声はエレオノーラには聞こえていないようで、エレオノーラは自分の思いつきに一人でうんうんと頷いている。
「私が、『妖精です』って顔を出したら、ヒルデガルトのお友だちは喜んでくれるかしら?」からかうようなエオストレの口調にヒルデガルトは思わず左右を見回した。その途端、また髪から光の粒が零れ落ちる。幸い、まだエオストレは姿を見せてはいなかった。
(からかうのはよして、エオストレ。エレオノーラを驚かせないで。)通じるかどうか分からないが、ヒルデガルトは心の中でエオストレに呼びかけた。
「しかたないなぁ。ヒルデガルトがそう言うのなら、しばらく私は妖精でいるわね。」心の声が通じたのか、エオストレは残念そうに囁いた。
二人を乗せた馬車がアルテンシュタット家の門をくぐり、ゆっくりと屋敷の入口に停車した。
「ヒルダ、もしかしたら本当に妖精のいたずらが悪さをしているのかも知れないから、もし変なことが続くようなら聖堂の神官様にお祓いをしてもらうのよ。」エレオノーラはヒルデガルトの手を握り、じっと瞳を見つめて、念を押した。
「エレオノーラ、お心遣いありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから、どうぞ心配なさらないで。」ヒルデガルトはにっこりと微笑んで応えた。
「今日は送ってくださって、ありがとうございました。それでは、ごきげんよう。」屋敷の使用人が馬車の扉を開けてくれたので、ヒルデガルトは丁寧に挨拶し、馬車を降りた。
「ヒルダこそごきげんよう。また、我が家にもいらしてね。」馬車の窓から顔を出し、エレオノーラが手を振ったので、ヒルデガルトも手を振りながらエレオノーラの馬車を見送った。
屋敷に入ると執事のオットーが心配そうにヒルデガルトを迎え入れた。
「お嬢様、こんなに早くお帰りになるとは何かございましたか?」
「大丈夫です、オットー。王宮の書庫で少し気分が悪くなりましたの。それでミュールハイム家のエレオノーラ様に送っていただいたのです。もう元気になりましたから、心配いりませんわ。」ヒルデガルトは努めて明るい声で応えながら、心配そうなオットーに微笑みかけた。
「そうでございましたか。どうぞご無理なさいませぬよう。後ほどお部屋にお茶をお待ちしましょうか?」
「ええ、ありがたく頂きますわ。それからお父様にお伝えせずに帰ってきてしまいましたので、誰かお使いに出して、私が王宮から下がったことをお父様にお伝えくださいな。」
「かしこまりました。」オットーは丁寧に頭を下げて、自室に戻るヒルデガルトを見送った。
**********
自室でふんわりとした薄緑色のワンピースに着替え、長椅子に腰を掛けながらヒルデガルトは侍女のハンナが運んできてくれた紅茶に口をつけた。
はぁ、と大きく息をつきながら、軽く束ねた髪に手をやって、軽く揺すってみると、書庫での時と同じように髪からキラキラとした細かい粒が舞う。
(この髪、いったいどうしてしまったのかしら?)空中を漂う光の粒をぼんやりと眺めながら、ヒルデガルトはもう一口、紅茶を口にした。
(もしかして、エオストレはこの部屋にもついてきているのかしら?)ふと白銀の古龍のことを考えた時、またクスクスという笑い声が聞こえてきた。
「もちろんよ、ヒルデガルト。私はあなたと契約したのよ。どこかの国で『血は水よりも濃い』と言うそうだけれど、まさにあなたと私はお互いの血を舐め合った仲ですもの。」
「エオストレはどこにいらっしゃるの?」部屋の外に声が漏れないよう、囁くようにヒルデガルトはエオストレに呼びかけた。
それは不思議な光景だった。ヒルデガルトがエオストレの名を口にした刹那、長椅子に落ちているヒルデガルトの影に切れ目が入り、そこから白銀の光が漏れ出してきたのだ。
「私はいつもあなたと共にあるのよ、ヒルデガルト。」影が大きく裂け、その間から美しく白銀に輝く龍の首が伸びてきて、その頬をヒルデガルトの頬にすり付けた。
「!」白銀の古龍のあまりに突然かつ想像もしなかった出現にヒルデガルトは声を出すこともできずに茫然としていたが、頬ずりをされて我に返った。
「エオストレ、これはいったい?」ヒルデガルトが驚くのも無理はない。自分の影の中から白銀に輝く龍鱗に覆われた首が伸びているのだ。
「人間たちがいる世界と重なりあうように私たち古龍が暮らす世界があるの。私たち古龍は両方の世界を自在に往き来できるのよ。」
「古龍が暮らす世界・・・」
この世界以外にそんな世界があるのだろうか?おとぎ話に出てくる妖精や精霊の世界みたいなものが現実にあるのだろうか?
「うーん、たとえるなら鏡の向こうの世界のようなものかしら?」エオストレは茫然としているヒルデガルトに説明する。
「人間の中にも私たちの世界に入ってくることができる者はいるのよ。強力な転移の魔術を使える者とか、古龍との相性というか波動が合う者とか。」そう言ってエオストレはヒルデガルトを正面から見つめた。
「あなたもその一人よ。私が生まれ変わる時にあなたはそこにいたでしょ?」
「わ、私が?」あまりに突飛な話に、ヒルデガルトはめまいがする思いだった。
「今はまだ自由に往き来することはできないみたいだけれど、そのうちに『思い出す』はずよ。古龍の世界は心地良い所だから、あなたもきっと気に入るわ。もっとも、何もなくて退屈だから、紅蓮のメテオールみたいに人間の世界で戯れている者もいるけれど。」
(思い出す?いったい何を思い出すというの?この前、エオストレと出会った場所に迷いこんだ方法かしら?)ヒルデガルトの頭の中は疑問で一杯だったが、口に出たのは別の言葉だった。
「紅蓮のメテオール・・・」
「ええ、そうよ。あなたたち人間が火の山の赤き古龍と呼んでいる悪戯者よ。」
悪戯者?遥か昔から数多くの英雄たちが挑みながら、返り討ちに遭ってきた偉大なる赤き古龍はそんな生易しい存在ではない。畏怖の対象であり、神とも崇められる偉大な存在だ。
しかし、伝説では英雄によって首を切り落とされ、退治されたのではなかったか?、昨日書庫で読んだ書物を思い出しながら、ヒルデガルトはエオストレにそう尋ねた。
「メテオールも悪ふざけが過ぎて、かなり痛い目に遭わされみたいだけれど、今でもぴんぴんしているわよ。昔の英雄とやらがさぞ誇大に吹聴したか、メテオールを恐れていた人たちがそう信じたかったのでしょうね。」やれやれといった口調でエオストレは人間の虚栄心や自分たちに都合の良いことを信じ込む浅はかさに呆れた声で苦笑した。
「ヒルデガルト、そちらに行って良いかしら?」エオストレはヒルデガルトの自室を見回しながら尋ねた。
「え、ええ、構いませんけれど。それほど広くはありませんので入りきれますかどうか。」
「大丈夫。」そう言うとヒルデガルトの影にできた裂け目が広がり、エオストレの全身がこちらの世界に出現した。
滑らかに輝く白銀の龍鱗をきらめかせながら、エオストレはヒルデガルトの眼前に浮かび、時折、羽ばたかせる翼からは、細かい粉のような粒が舞い、陽光にきらきらと輝いている。
「その輝く光の粒は・・・」そう言うとヒルデガルトは自らの髪をつかんで揺らしてみた。するとエオストレの翼と同じように光の粒が零れ落ちた。
「この髪の光の粒はエオストレの魔法なのですか?」
「魔法?ちょっと違うかな。身体がまとっている魔力の欠片のようなものよ。」そう言ってエオストレが翼を羽ばたかせると、小さな粒がさらにきらめいた。
「契約によって、ヒルデガルトに私の魔力が流れ込んでいるから、それが少し溢れ出ているのね。害は無いけれど、気になるの?」こうした現象が当たり前であろうエオストレにすれば、ヒルデガルトが戸惑っているのが不思議と言わんばかりだ。
逆にヒルデガルトにしてみれば、先ほど自分を送ってきてくれた友人のエレオノーラにさえ『妖精のいたずら』と言われたので、気になることこの上ない。そもそも普通の人間に見られたら、間違いなく気味が悪がられるだろう。
「零れ落ちる光の粒の量は、溢れた魔力の大きさに比例するの。だから、ヒルデガルトの器がもっと大きくなれば、気にならないくらい少なくなるわよ。」エオストレは、戸惑っているヒルデガルトに対して、すぐには解決策にならないような解決策を教えてくれた。
「私の器、ですか?」明らかにピンと来ていない表情でヒルデガルトは問い返す。
「そうよ。身体を鍛えれば体力が付いて、より速く走れたり、より高く跳べるようになるでしょう?それと同じように、心を鍛えれば魔力の器を大きくできるのよ。ヒルデガルトも魔術の心得はあるんだから、それをもっと使って、心を鍛えて。」
そうは言われても、ヒルデガルトが使えるのは「点灯」や「清浄」などごく初歩的な生活魔法だけだ。それでどれだけ「心」を鍛えられるのか甚だ疑問である。
「大丈夫。私の記憶の引き出しの中から、ヒルデガルトが使える魔法を引き出せるようになるから。」
ヒルデガルトの不安に気付いたのか、エオストレはヒルデガルトの右肩から自らの長い首を回し、左肩に顎を乗せて、そう囁いた。
「えっ!」驚きでヒルデガルトは息を飲んだ。
「私がエオストレ、あなたの記憶を引き出せるのですか?でも、どうやって?そもそも、あなたは魔法を使えるのですか?」
「当たり前じゃない。身体に付いた傷さえ転移するのよ。心が通じ合うのはさらに容易なことよ。」エオストレは優しく教え諭す。
「それから、私たち古龍は人間が使う魔法は一通り使えるわ。もちろん属性によって向き不向きがあって、私は土の属性や闇の属性の魔法は得意ではないけれど。あと、まだ、私は継承の儀式を済ませていないから、記憶がぼんやりしていて簡単なものしか使えないの。」そこでエオストレは言葉を切って、ヒルデガルトの両肩に前足を乗せた。
「ヒルデガルトは、かつての私、アデルハイトの肉体を探すのを手伝うと約束してくれたわよね。」優しく、しかし有無を言わせない威圧感をもってエオストレは語りかけた。
「も、もちろんですわ。」以前交わした約束を思い出しながら、ヒルデガルトは無力な自分がどうやって古龍の肉体を探せば良いのだろうかと途方にくれる思いだった。
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