第8話 調べ物

 ヒルデガルトは書庫の窓際にある閲覧用の机で借りてきた書物を繙いた。


 まずは表紙に「大陸における龍との戦い」と書かれた比較的新しい書物である。シュタイン王国をはじめ大陸の各国に伝わる冒険譚や叙事詩、民話などを集めたもので、ヒルデガルトも聞いたことがある話もいくつか載っていた。ただ、亜龍に分類される飛竜や水竜を退治する話が多く、古龍については単なる目撃談のようなものがほとんどで、唯一、火の山に棲む赤き古龍に挑み、龍鱗を持ち帰った冒険者の話が載っていただけだった。


(『伝説』と言われる古龍と会えた人が少ないのは当然ですわね。もし騎士や冒険者が挑んでもとても敵わないでしょうし。)

 白銀の古龍はおろか、古龍そのものについても大した情報が得られなかったが、ヒルデガルトは「まだ、一冊目だから。」と気を取り直して次の書物に目を移した。


 次の書物は「龍殺し」。古龍に戦いを挑み、勝利した騎士の英雄譚である。こちらも火の山に棲む赤き古龍の話だったが、火の山に至るまでの冒険に始まり、火山の悪い空気に仲間が倒れていく中、残った騎士と魔導師が赤き古龍と戦い、片眼を失いながらも古龍の首を斬り落としたことが記されていた。

 赤き古龍の姿や角、牙、爪、鱗が細かく描かれており、口から吐き出される炎も迫力のある文章で描き出され、ヒルデガルトも読みながら手に汗を握っていた。

 書物によれば、赤き古龍の体は尻尾の先から頭までの長さが騎士の身長の15倍、胴体だけでも10倍以上。頭の二本の角は二又に分かれ、鋼の剣と同じくらいの固さがある。爪は一本が小剣くらいの長さで先端は鋭く尖り、分厚い革の鎧を簡単に切り裂く。鱗は一枚が盾くらいの大きさで魔力を帯びており、物理的な攻撃だけでなく、魔術による攻撃も弾くとされている。


(よくこのような恐ろしい古龍に挑み、勝利する英雄がいたものですわね。)小さい頃のおとぎ話で龍のこともおぼろげながら知っていたが、細かい描写がなされた英雄譚を読み、ヒルデガルトは改めてその強大さに驚いた。

 しかし、古龍の強大さは分かったものの、ヒルデガルトが知りたかった生まれ変わりや子龍の姿などは全く書かれておらず、ヒルデガルトは次の書物を手に取った。


**********


 4冊の書物を読み終えた頃、窓からは少し傾いた午後の柔らかな陽光が入ってきていた。


(あまり収穫はありませんでしたわ。)少し残念な気持ちでヒルデガルトは書棚に書物を返しにきた。


書棚に本を戻していると、どこからかクスクスと笑う声が聞こえてきた気がして、ヒルデガルトは後ろを振り返ったが、そこには書物が収められた書棚が並んでいるだけだった。

(空耳かしら?)首を傾げながら、ヒルデガルトは書物を書棚に収めていった。最後の一冊を書棚の高い棚に返そうとして、手が届かないのを思い出し、司書を呼ぼうと鈴を鳴らした時、またクスクスと笑う声が聞こえた気がした。


 鈴の音を聞いて、まだ司書になって数年しか経っていなさそうな若い男性の司書がヒルデガルトのいる書棚の方に近づいてきた。

「大変お待たせしました。」若い司書は、ヒルデガルトがきょろきょろと周りを見回しているのを見て、自分を探しているものと思い、少し小走りになってヒルデガルトの元に駆け寄った。


「あっ。」笑い声に気を取られていたヒルデガルトは、司書がすくそばに来ているのに驚いて、小さく声を漏らした。

「あの、お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ありません。」気が付いたら若い男性がすぐにそばに立っているのに戸惑ったヒルデガルトは、その戸惑いを隠すように軽く頭を下げた。

「いえいえ、書庫に来られた方のお手伝いをするのも私たち司書の仕事ですから。」そう言って司書はヒルデガルトに笑いかけた。

「ありがとうございます。お借りしていたこちらの書物を元の所にお返ししたいのですが、手が届かなくて。申し訳ありませんが、戻していただけないでしょうか。」少し上目がちにお願いしてきたヒルデガルトを見て、若い司書は一瞬声を失った。


(わっ!何て可愛らしい人だろう!)


 白金の長い絹糸のような髪に縁取られた顔は上質の雪花石膏のように白く滑らかで、薄い水色の瞳は森の奥の清らかな泉のようだ。少し尖り気味だがすらりと鼻筋が通った形の良い鼻の下には薄い紅色の愛らしい唇。よく「人形のように整った」という形容があるが、決して人形のように無機質な感じでなく、生き生きとした若さを感じさせる。


「は、はい。お安い御用ですよ!」急にシャキッとした感じで司書はヒルデガルトから書物を受け取り、書棚の中に戻した。

「失礼ですが、書庫にいらしたのは初めてですか?お見かけした記憶が無いのですか。」若い司書はドキドキしながらヒルデガルトに尋ねた。

「はい、こちらには今日初めて父に連れてきていただきました。」

「そうでしたか。私はこの書庫で司書をしているコンラート・フォン・シャウマンです。あの、もし、差し支えなければお名前をお伺いしてもよろしいですか?」若い司書は自らの名を名乗りつつ、少し声をうわずらせながら、ヒルデガルトに名前を尋ねてきた。


「これは失礼いたしました。私はヒルデガルト・フォン・アルテンシュタットと申します。お手伝いくださってありがとうございました。」お礼を言いながらにっこりと微笑んだヒルデガルトを見て、コンラートと名乗った司書は少し顔を赤くした。


「い、いえいえ。あなたのような美しいお嬢さんの頼みなら喜んでお引き受けしますよ!」そう言ってコンラートがヒルデガルトのほっそりとした手を取った瞬間、彼の耳元に書庫長の声が響いた。

『ほれ、コンラート、お主が手に取るのは婦人の手でなく書物じゃろ。』からかうような上司の声に、ぴくっとコンラートの姿勢が伸びた。

「はい!書庫長!」突然姿勢を正して、上司に返事をしたコンラートを見て、ヒルデガルトは不思議そうな表情をした。彼の上司の声は彼にしか聞こえていなかったからだ。


「アルテンシュタット嬢、お探しの本があればお申し付けください。」コンラートはヒルデガルトの手を離し、改まった調子で問いかけた。

「お心遣い、ありがとうございます。今日は長らくこちらに寄せていただいたので、そろそろおいとましようと思っておりますの。また調べ物にお邪魔した折にはよろしくお願いいたしますわ。」急に調子の変わったコンラートに少し戸惑いながらヒルデガルトは応え、軽くお辞儀をした。


「それはお疲れでしょう。ぜひ、またお越しください。」コンラートはそう言ったが、少し残念そうなのは自らの書物に関する知識を披露できなかったためか、それともヒルデガルトと話す時間が終わってしまったからか。


 ヒルデガルトが書庫の出入口に戻ってくると、書庫長のヴァルトブルク子爵と父ヨーゼフが待っていた。


「うちの若い者が失礼したようで。」部下であるコンラートの振る舞いを詫びるヴァルトブルク子爵に、ヒルデガルトはコンラートが突然姿勢を正した訳に納得がいった。


(書庫長様には私たちが見えていらして、彼に声を掛けられたのね!)


「ミヒャエル殿、娘が世話になった。さて、ヒルデガルト、そろそろ屋敷に戻るとしよう。」書庫長に礼を述べるとヨーゼフはヒルデガルトを促しながら書庫の扉に向かった。


「書庫長様、どうもありがとうございました。またお邪魔させていただいてよろしいでしょうか。」

「うむうむ。勝手は分かったじゃろうから、いつでも遊びに来てなされ。書物は読まれてこそ意味があるからのぉ。」

「ありがとうございます。それでは、失礼いたします。」ヒルデガルトはスカートを摘まんで膝を折ってお辞儀をした後、父について書庫を後にした。

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