第7話 王宮の書庫

 聖フリューゲルの日の翌朝、アルテンシュタット辺境伯爵家の面々が朝食のテーブルを囲んでいる。王都と領地を往き来するヨーゼフにとって、大切な家族団欒の時間だ。


「お父様、王宮内の書庫に連れていっていただけますでしょうか?」ヒルデガルトは朝食の手を止めて、おずおずと父ヨーゼフに尋ねた。

「書庫?我が家の書斎にある蔵書では調べられないことがあるのかい?」ヨーゼフは愛娘に優しい眼差しを向けながら穏やかに聞き返す。


「はい。実は昨日、不思議な夢を見たので、それがどういう意味を持つか調べたいのです。」

「ふむ、夢見か。確かにその手の書物はこの屋敷の蔵書には無いな。だが、夢の意味を知りたいのであれば、書物よりも聖堂の神官に夢判断をしてもらった方が良いのではないか?」

「それも考えたのですが、あまりにも荒唐無稽な夢でしたので、まずは書物で調べてみたいと思っておりますの。」荒唐無稽と言う時にヒルデガルトは少し恥ずかしそうに目を伏せた。


「あなた、王宮の書庫には魔術や夢判断の書物も揃っていますから、ヒルデガルトを連れていってあげてくださいな。」母クリスティーネが娘に助け舟を出した。

「私も王宮に住んでいた頃は書庫にはよく参りましたわ。神官に夢判断をしてもらうのは、やっぱり心の中を覗かれるようで恥ずかしいですし。」夢見がちだった頃を思い出して、クリスティーネは少し顔を赤らめた。今のしっかりとした母親の姿からは想像しにくいが、彼女にもそういう年頃があったのだ。


「お父様、連れていっていただけないでしょうか?」ヒルデガルトがヨーゼフの瞳をまっすぐと見つめて、改めてお願いした。

 キラキラと輝く愛娘の薄い水色の瞳に見つめられて、ヨーゼフはその瞳を曇らせたくないとの想いに囚われた。


「そうだな。父にも話せぬことを赤の他人の神官に聞かせることもあるまい。だが、お前はまだ社交界へのお披露目もまだ済んでいない身。くれぐれも変な虫が寄ってこないように気を付けるのだよ。」


 ヨーゼフが『変な虫』を強調して釘を刺すのを忘れないのを見て、クリスティーネはくすりと微笑んだ。


**********


 王宮の書庫は、王城「北の華」の北側の一、二階と地下一階の一角を占める立派なもので、600年前の建国当時から集められた歴史や技術、魔術、文芸に至る様々な本で埋め尽くされている。また、限られた者しか入れない禁書庫は幾重にも物理的な施錠と魔術的な結界が施され、王族であっても許可がなければ入室できない。

 書庫は文務卿の管轄下にあり、書庫長はもちろん三人いる司書も騎士爵以上の称号を有する格式の高さを誇っている。現在の書庫長はミヒャエル・フォン・ヴァルトブルク子爵。60歳を過ぎ、白髪混じりの髪が少し寂しくなった老人で、書庫の奥に設けられた書庫長室でぼーっとしていることも多く、昼行灯と呼ばれているが、本好きの一部の者からは生き字引とも呼ばれている人物である。


「これはアルテンシュタット辺境伯、かび臭い書庫に足を運ばれるとはお珍しい。今日は何をお探しですかな?」読みかけていた本を閉じ、ヴァルトブルク子爵は上目使いにヨーゼフをぎろりと見やった。

「ミヒャエル殿、そのように畏まらずとも良い。この部屋はあなたの城であり、あなたが主なのだから。」

「いやいや、そうおっしゃられても、やはり秩序は大切だて。」そう言いながら、ヴァルトブルク子爵はヨーゼフの背後に縮こまっているヒルデガルトに視線を向けた。


「そちらの可愛らしいお嬢さんは御息女ですかな?」

「娘のヒルデガルトだ。ヒルデガルト、書庫長殿に御挨拶を。」


「ヒルデガルト・フォン・アルテンシュタットでございます。ヴァルトブルク子爵様には初めてお目にかかります。」柔らかな声で名乗り、ヒルデガルトはスカートを摘まんで膝を折り、正式な挨拶を行った。


「これはご丁寧に痛み入る。わしはミヒャエル・フォン・ヴァルトブルク。長らくこちらの書庫の管理を任されておる。昼行灯と呼ぶ者もおるが、まあ、本の虫といったところかの。」孫を見るように目を細めながらヒルデガルトに語りかけた。


「それにしても、ヨーゼフ殿にこんな美しい御息女がおられるとは。武をもって鳴る辺境伯家にも花が咲いたということかな。」

「今日、こちらに来たのはほかでもない。娘が書庫で調べ物をしたいと申したので、少し書物を見せてもらえるとありがたい。」

「ほほう、アルテンシュタット家の蔵書はこの王宮を超えると聞いていたが、お役に立てますかな?」

「いや、王宮には敵うまいよ。それに娘は領地には行ったことがないのでな。」

「それは失礼した。それにしても辺境伯は不便なものですな。ふふっ。」言外に人質を出すのは厳しいものだと匂わせながらヴァルトブルク子爵は含み笑いをした。


「それで、書庫の生き字引殿にお願いがあるのだが、司書も含め、図書室に来る悪い虫から娘を守ってほしいのだ。」真面目な表情でヨーゼフが言うのを聞いて、書庫長は目尻を下げた。

「それくらいなら、お安いご用だて。書庫内は隅から隅までわしの監視の『目』が張り巡らされておるからの。それにしてもあのヨーゼフ殿がここまで心配症とは知らなんだ。」くつくつとヴァルトブルク子爵が笑うと、図星を指されたヨーゼフは一瞬絶句したが、軽く咳払いをして、改めてヴァルトブルク子爵に頭を下げた。


「娘をよろしく頼む。」

 そういい残して書庫を後にするヨーゼフを見送ると、ヴァルトブルク子爵は改めてヒルデガルトに向き直った。


「さて、アルテンシュタット嬢、どのような書物をお探しかな?」白い顎髭をしごきながらヴァルトブルク子爵は尋ねた。

「書庫のうち一般に開放されている部屋では、誰がどのような書物を読んだかは、わしを含め、司書の者たちも外には漏らさぬことになっておる。無論、我らが漏らさずとも書物に残った思念や汗などから跡を辿る力を持つ者が調べることは防げぬが、少なくとも我らはたとえ国王陛下にも答えることはない。なので遠慮無く我らに訊いてくれればよい。」


「書庫長様、お心遣いありがとうございます。実は古龍について書かれた書物を探しておりますの。」

「古龍?」ヴァルトブルク子爵は、うら若く世間知らずにも見えるヒルデガルトに似つかわしくない単語に少し眉を傾けた。


「古龍とはまた近頃耳にしない単語をこのような可憐なお嬢さんから聞くとは思わなんだ。吟遊詩人の詩にでも出てきたのかの?古龍、古龍・・・」質問とも独り言ともつかぬ口調で繰り返した。

「いやいや、これはいらぬ詮索でしたな。伝説や魔物に関する書物は向こうの奥から2番目の棚に入っておる。読みたい書物が棚の上にあって手が届かないときは。」そう言ながら、子爵は机に置いてあるいくつかの鈴の一つを手に取った。


「この鈴を鳴らせば司書が手伝ってくれるじゃろう。」

「ありがとうございます、書庫長様。実は白銀の古龍アデルハイトが出てくる不思議な夢を見て、それでその夢の意味を知りたいと思いましたの。」両手で押し包むようにして鈴を受け取りながら、ヒルデガルトはヴァルトブルク子爵の質問に答えた。

「そうか、夢に古龍がの。夢判断はあちらの一番端の魔術の棚の隅にあるから、そちらを見るのも良いかも知れんのぉ。」乙女の他愛ない夢の話かと思い、ヴァルトブルク子爵は孫娘を見るように優しげに目を細めながら、魔術の棚を指差した。

「ありがとうございます。そちらも拝見いたしますわ。」ヒルデガルトはお礼を述べながら軽くお辞儀をし、伝説や魔物の棚の方に歩いていった。


**********


(さすがは王宮の書庫。お屋敷では目にしたことのない古い書物が沢山ありますわ。)棚にびっしりと並ぶ様々な書物を前にして、ヒルデガルトは思わず息を飲んだ。


「これと、これと、」手の届く棚の書物を2、3冊小脇に抱えながら、ヒルデガルトは棚の上の方にある書物に手を伸ばしたが、残念ながら後少しのところで届かない。

(あともう少しで手が届きそうですのに。)つま先立ちで背伸びをしながら一所懸命手を伸ばしたところ、ヒルデガルトはバランスを崩し、大きくよろめいてしまった。


(あっ!)よろめきながらも書物を何とか落とさないようにしっかりと抱えながら倒れ込みそうになったヒルデガルトは、背後から広くがっしりとした胸に抱き止められた。


「大丈夫ですか?」

「も、申し訳ございません。だ、大丈夫ですわ。あ、ありがとうございます。」

 男の腕に包み込まれるような形で支えられ、ヒルデガルトは粗相をした恥ずかしさと慣れない異性に抱き止められた戸惑いで、しどろもどろになりながらもお礼を述べた。


「王宮では見かけないお嬢さんですね。今日は勉強ですか?」

 にこやかな笑顔を見せながら男が尋ねると、ヒルデガルトは書物を胸に抱いて頭を下げながら改めてお礼を述べる。

「ヒルデガルト・フォン・アルテンシュタットと申します。危うく転んでしまうところを支えてくださって、ありがとうございました。」

「アルテンシュタット?ああ、辺境伯のお嬢さんか。」ヒルデガルトの名前を聞いて、男は合点がいったように呟いた。


「書庫長殿が司書を呼ぶための鈴をくれただろう。あれを使うと良い。」

「は、はい。書物を探すのに夢中ですっかり忘れておりました。」そう応えながらヒルデガルトは改めて目の前の男の姿を確かめた。


 男は黒地に金糸の刺繍が施された騎士服をまとい、腰に短めの細剣を吊り下げていた。身長はヒルデガルトよりも頭一つ分以上は高く、濃い茶色の髪を丁寧に整えている。騎士らしい精悍な顔立ちだが、やはり印象的なのはその金色の瞳だろう。


「私はジークフリート・フォン・ロートリンゲン。王宮の第三騎士団に所属している。お父上のアルテンシュタット辺境伯には魔物討伐での共同作戦などで大変お世話になっている。」左肩に右の拳を当てる騎士の礼を取りながら男は自らの名を名乗った後、書棚からヒルデガルトが苦心して取ろうとしていた書物に手を伸ばした。


「ほう、アルテンシュタット嬢は古い伝説や歴史などにご興味が。」ジークフリートはそう言って手にした書物をヒルデガルトに差し出した。

「はい。少し興味がありまして。」書物を受け取りながら、少し恥ずかしげにヒルデガルトはうつむいた。同じくらいの年頃の少女にしてみれば、恋愛を主題にした文学や詩に興味があって、堅苦しい伝説や歴史は学院や聖堂の授業や説法で聞くような代物だろう。

「学院で宿題でも出たのかな。いずれにせよ、歴史を学ぶのは大切なことだ。」ジークフリートは一人で勝手に納得したようだ。


「次からは無理に書物を取ろうとせず、司書を呼ぶことだ。貴重な書物を傷つけては大変だからな。」にこやかにそう言い残して、ジークフリートは書庫長の方へと去っていった。


(ロートリンゲン様。お父様のお知り合いだなんて奇妙なご縁ですわね。王宮の第三騎士団にいらっしゃるとおっしゃっていたけれど、レオンハルトも騎士団に入ったらあのように逞しくなるのかしら?)

 ヒルデガルトはジークフリートを目で追いながら、どちらかと言えば線の細い弟レオンハルトの顔を思い浮かべていた。

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