第3話 祝祭の日
シュタイン王国に春の訪れを告げる聖フリューゲルの日は、昼と夜の長さが同じになるいわゆる「春分の日」に当たる。
聖フリューゲルは、大いなる大地の力を宿した大魔導師であり、千年の昔、大陸を支配し、暴虐の限りを尽くしていた魔王を封印した七聖人の一人とされている。その強大な魔力により、凍てついた不毛の大地を緑なす沃野に変えたという伝説から、春の訪れを祝う日が聖フリューゲルの日とされた。
春が始まるこの日、シュタイン王国の人々は明るく着飾って、ゴルトベルク城の城壁の外、東の外れにある聖フリューゲルを祀る祠に集い、明るい陽光を寿ぐとともに緑の芽吹きを喜ぶ祝祭を催し、王宮では貴族をはじめ文武百官が国王に喜びの言葉を述べるとともに、国王が祝福を授けるのが習慣になっている。
王城「北の華」の大広間に立ち並ぶ貴族そして文武百官を前に、子どもには重すぎる赤いガウンの正装と大きすぎる王冠を戴いた国王カール3世は今年ようやく10歳。
「な、長き冬を耐え、緑芽吹く、せ、聖フリューゲルの日を卿らと共に、迎えられたことは、余の、大きな、喜びとするところである。け、卿らの忠誠を、聖フリューゲルと、共に称え、お、王国の繁栄を願わん。」
横に立つ祖母、ヴィンター王太后をちらちらと横目で見ながら、たどたどしく祝福の言葉を口にした。舌を噛みそうな、幼王が間違えずに祝福の言葉を言い終えたことを本人以上に安心したのは最前列の上級貴族たちだったかも知れない。
ヴィンター王太后は、優しげな微笑みを孫に向けながらも、貴族たちの動きを見逃さぬよう、ちらりと鋭い視線を投げ掛けた。
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「はーい、ヒルダ!」
外から自分を呼ぶ声にヒルデガルトは窓辺に向かい、庭を見下ろした。窓にはこの国では珍しいガラスがはまっているが、その製造技術は高くないようで、外の景色は少し屈折して歪んで見える。きれいに刈り込まれた木々やつぼみを付け始めた花壇の苗に囲まれながら、朝日にきらめく金髪に花飾りを着けて、裾に白いレースをあしらった薄紅色の長いチュニックに身を包んだ15、6歳くらいの少女が窓を見上げながら手を振っている。
「ごきげんよう、エレオノーラ。今日もお日様が眩しいですわね。」ヒルデガルトは窓を上げながら、おっとりとした口調で外から窓を見上げている少女に声をかけた。
「ヒルダ、まだ着替えてないの?のんびりしていてはダメよ。今日は今年最初の聖人の日。春を迎える祝祭なんだから。」 エレオノーラと呼ばれた少女は、ヒルデガルトがのんびり構えているのに少しあきれたように首をすくめた。
「私たちが自由に城壁の外に出られるのは今日みたいなお祭りの時だけなんだから。さあ、早く準備をして。出掛けるわよ!」もう待ちきれないといった感じでウキウキした声でエレオノーラはまくし立てた。
「エレオノーラは本当に賑やかな所が好きなのね。すぐに行くから、少し待っていてくださいな。」おっとりとした口調でヒルデガルトが応え、部屋の奥に戻ろうとすると、後ろからエレオノーラがさらに声をかける。
「かわいく、ちょっと豪華に。でも城壁の外に行くのだから、ドレスはダメよ。あくまでも"普通の"女の子として遊びに行くんだからね。」
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ゴルトベルク城の城壁の外では、聖フリューゲルの祠の周りの木々が、領民が長い冬の間に織った色とりどりの布で飾り付けられ、そこから城門までの間には数々の露店が立ち並んでいる。
普段は商人組合が城壁内と街道の商売や流通を取り仕切っているが、七人の聖人の日と王が指定した数日間は誰もが自由に店を出し、誰にも邪魔されずに商売することが許されている。
このため、今日は近隣の都市から集まった商人や職人たちだけでなく、近郊の農村からも農民たちが集まって露店を構え、自分たちで作った菓子や機織りした布、木工細工などを売ったり、店先で鶏を捌いて串焼を焼いて売ったりしている。長い冬の間、こつこつと作ったそれらの品々を売ることで得た収入で、これからの農作業で必要となる農具や普段の生活道具などを買うため、露店商売ができる聖人の日は、農民にとってお祝いであるとともに大切な現金収入を得る機会でもあるのだ。
城壁の中の住人も外の住人も露店を冷やかしたり、菓子を買ったりしながら、明るい日差しの下で春の訪れを楽しんでいた。
好奇心に目を輝かせながらエレオノーラは立ち並ぶ店先に並べられたお菓子や装飾品を覗き込みながら、時折、木工細工で作られた動物の起き上がり小法師などをつついたりしている。
その斜め後ろからついていくヒルデガルトは、白いブラウスに深い青色のロングスカートというシンプルな服装だ。しかし、近くに寄ってブラウスを見ると花の模様が織り込まれた布で手の込んだ物であることが分かる。
「そちらの娘さん方、焼き立てのクッキーはいらんかね。赤木苺が入っているのが5枚で小銅貨1枚だよ。」エプロンをした、いかにも農家のおかみさんといった雰囲気の恰幅の良い大柄な女性が声をかけてきた。
「あら、美味しそうね。でも、赤木苺の時期には少し早いと思うけど。」エレオノーラがにっこりと笑いながら露店の机に並べられたクッキーを覗きこんだ。
「去年の秋に摘んだのを干して、保存の術がかかった箱に蓄えておいたのさ。干しただけでも日保ちはするけど、香りがなくなっちまうからねぇ。」庶民にはまだまだ普及していない、保存の術がかかった箱を使っているのが彼女の自慢なのだろう。露天の店主はにっこりと笑いながら香り高い干し果実を使っていることを強調してきた。
「保存庫があれば、生の木苺でも保ちそうですけれど、干した物の方が甘味も強くなって美味しいですよね。」エレオノーラの横からヒルデガルトも話に混じってきた。
「赤木苺のほかにも果物を使ったお菓子を置いていらっしゃらないのですか?」
「残念ながら、あたしの割り当て分は小さくて、この春のお祭りで使う分くらいしか保存できないんだよ。それにしても、生のまま4月以上も保存ができるなんて、えらく良い箱を持ってるんだねえ。うちの村でみんなで使っているのは、生の物は2月くらいしか保たないよ。」店主は少し驚いたような目でヒルデガルトを見つめた。
「このクッキー、頂くわ。小銅貨1枚でしたわね。」エレオノーラは、ヒルデガルトが何か答えようとしたのを遮るように、店主に話しかけた。
「おや、買ってくれるのかい。口に合うといいんだけど。」そう言いながら店主は小さな紙袋にクッキーを5枚入れて差し出してきた。
エレオノーラは、小さな手提げポーチから光沢のある絹の小袋を取り出し、その中から小銅貨を取り出して店主に手渡すと紙袋を受け取った。
「ありがとうねぇ。次の聖人の日には取れ立ての果物を使ったお菓子を持ってくるから、また来ておくれよ。二人に聖フリューゲルの祝福を!」
「ありがとう。おばさまにも聖フリューゲルの祝福を!」
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「ヒルダ、私たちはここでは"普通の"女の子だから、あまり高価な道具の話や魔法の話をしてはダメよ。」エレオノーラは、庶民には普及していない高度な保存庫の話をうっかりしてしまったヒルデガルトに釘を刺すように話しかけた。
「せっかくのお祭りを気兼ねなく楽しむためには、みんなに溶け込まなくちゃ。」
「ごめんなさいね、エレオノーラ。お屋敷の外に独りで出たことがあまりなくて、どこを気を付ければ良いのか、理解できていなくて。」形の良い眉の端が下がり、申し訳なさそうな表情でヒルデガルトは応えた。
「大丈夫。さっきは上手くごまかせたから。次からはこちらの話はあまりせずに、相手の話に相づちを打つようにすればいいわ。そのうち、分かるようになるから。ねっ。」気分が盛り下がらないように明るい声で告げながら、エレオノーラはヒルデガルトの手を取って、また露店の並ぶ中を進んでいった。
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「私、七つある聖人の日のうちで、春の聖フリューゲルの日が一番好きだわ。人々の笑顔が弾けて、生き生きとしていて、冬の暗さを吹き飛ばしてくれる気がするから。」エレオノーラはスキップしそうな足取りでスカートを翻しながら人波をすり抜けていく。
「待ってくださいな、エレオノーラ。」ヒルデガルトは人波を掻き分けられず、エレオノーラとの距離が開きつつあることに少し不安を感じ始めた。華やかなエレオノーラは祝祭に集う人波の中でも目立っているものの、彼女も自分もそれほど背が高いわけでもなく、あまり離れてしまうと人波の中でお互いに見えなくなってしまう。
聖フリューゲルの祠に近づくにつれて、混雑も激しくなり、朝から麦酒や果実酒を飲んで機嫌良く放吟している農民や職人が千鳥足でふらふらしていたりするので、なかなか前に進めない。
「きゃっ!」酔っ払った農民だろうか、がっしりとした体格の良い男がよろめいて、ヒルデガルトにぶつかってきた。ヒルデガルトは人波から弾き出されるようにして転んでしまう。
(いたーい!)地面に手をついてしまい、ヒルデガルトは思わず声が出そうになるのをなんとか飲み込んで、立ち上がろうとした。
「嬢ちゃん、大丈夫かい?」ヒルデガルトにぶつかってきた男の連れだろうか、赤ら顔のでっぷりとした男が酒臭い息を吐きながら、ヒルデガルトに手を差し伸べてきた。
「ありがとうございます。」警戒心も無く、ヒルデガルトは差し出された手につかまって立ち上がろうとしたが、足を挫いたのか痛くてうまく立ち上がれない。
「足を挫いちまったのかい?そいつはいけねえな。」そう言うと男はヒルデガルトの手をつかみながら軽々と引っ張り上げて立ち上がらせた。
ヒルデガルトは何とか立ち上がったものの、よろめいてしまい、男の肩に手をかけて体を支えると、男はヒルデガルトを支えるふりをして、腰に手を回してきた。
「足を挫いたなら、無理しちゃいけねえ。」男はヒルデガルトに下卑た目を向けてきた。
「それにしても、別嬪さんだな。連れの粗相のお詫びに一杯おごるから、あっちで飲まねえか?」有無を言わせぬ口調で男はヒルデガルトを少し離れたところにある露店の酒場に連れていこうとする。
「嬢ちゃん、ぶつかって悪かったな、俺も一杯おごるよ。」もう一人の男もヒルデガルトの逃げ道をふさぐように横をついてきた。
「お心遣いありがとうございます。もう大丈夫ですわ。それよりもお友だちとはぐれてしまいましたので、探さなくなりませんの。」ヒルデガルトは少し戸惑いながら、酔っ払った男の手を振りほどこうと身をよじるが、がっしりとした男の手はびくともしない。
「嬢ちゃん、友だちと来てるのかい?その子も一緒に一杯飲もうや。俺が探してきてやるよ。」ヒルデガルトの横を歩いているもう一人の男が酒で赤い目をしながらにやついた。
「いえ、本当に大丈夫ですから、離してくださいな。早く聖人様の祠に行かないと心配をかけてしまいますから。」
「せっかくの聖フリューゲルの日の祝祭だ。みんなで聖人様に乾杯しようや。」
「ヒルダ、何をしているの!」ヒルデガルトと二人の酔っ払いの後ろからエレオノーラが鋭い声をかけた。
「あなたたち、酒に酔って女の子に絡むなんて、格好悪いわよ!」
まだ少女と言って良いエレオノーラが両手を腰に当てながら、酔っ払い二人を睨み付ける。
「おうおう、大した騎士様の登場だ。」
「固いこと言わねえで、嬢ちゃんも一緒に飲もうや。」
「残念だけど、酔っ払いに構っている暇は無いのよ。二人でその辺で飲んでなさい!」そう啖呵を切って、エレオノーラは酔っ払いの手をヒルデガルトから振りほどき、ヒルデガルトの手を引っ張って、その場を離れようとした。
「おいおい、そんなつれないこと言うなよ。」そう言って男の一人がヒルデガルトとエレオノーラの前に立ちはだかろうとすると、エレオノーラは思い切りその脛を蹴りつけた。
「そこをおどきなさい、この無礼者!」そう言い捨てて、エレオノーラはヒルデガルトの手を引いて駆け出した。
「いてて、こ、この!」男はよろめいて尻餅をついてしまった。その顔が真っ赤なのは怒りなのか、それとも酔いが回ったのか。
「待て!待たないと痛い目に遭わすぞ!」もう一人の男が二人の少女に怒声をぶつけたが、二人は構わずに走って逃げた。
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