12月17日
「人の身に降りかかる悲しい出来事というのは、傷であっても、病ではない。決して。傷は、しばらくは痛む。場合によっては耐え難いほどに痛む。この身体が自分のものではなくなってしまうように感じられるほどに、痛む。それでも、傷はいつか癒える。たとえそこにグロテスクな跡が残るとしても、ね。」
ライブで泣いたのは、後にも先にもその一回しかない。ボーカルの語った言葉が、巨大なスピーカーから放たれた重低音のように、僕の内臓を揺さぶった。終わりまでの二曲のあいだ、音楽を聴いている場合ではなかった。足裏が地面と接しているという感覚に意識を集中させた。そうでもしないとうまく立っていられなかった。
そのときの僕は、飼い犬が死んで、大学受験に落ちて、彼女に別れを告げられた、不幸な十八歳だった。卒業式にも行かなかった。親とも口を聞かなかった。それでも涙は出てこなかった。まるで世界の終わりが迫っているかのように、薄暗い部屋の中でただ布団の上に横になっていた。眠くなると寝た。眠れないとぼうっとした。携帯の電源は切りっぱなしだった。だって、どうせ世界が終わるのだ。
親の反応は順を追っていてわかりやすかった。心配、憤怒、無関心。でもそこまでくるとむしろ楽だった。自分の分のご飯が食卓に並ばなくなったので、二三日に一度コンビニに出かけた。そのような生活が一か月半ほど続いた。
本音を言えば、僕は死に向かっていたのだと思う。防衛機制のせいか、自覚することはほとんどなかった。
僕はどうにかして手持ちのお金を消費したかった。一方でまったく興味のないものにお金を払うのも嫌だった。そのようなせめぎあいの中で僕は、たまたま店頭限定で販売されていたライブのチケットを、一番いい席で買った。パティシエとコラボしたデザートを二つ含めても、一日に食べられる分量はせいぜい二千円かそこらだったので、そのチケットはある意味で大きな進捗だった。
ライブに出かけるとき、親は目を丸くして何か言いたげだったが、僕は逃げるように玄関をあとにした。
「人の身に降りかかる悲しい出来事というのは、傷であっても、病ではない。決して。傷は、しばらくは痛む。場合によっては耐え難いほどに痛む。この身体が自分のものではなくなってしまうように感じられるほどに、痛む。それでも、傷はいつか癒える。たとえそこにグロテスクな跡が残るとしても、ね。」
ライブから帰ると、僕の神経症は春の雪解けのように綺麗さっぱり消えてしまっていた。親はやはり目を丸くして何か言いたげだったが、僕が予備校の資料がほしいと言うとそれ以上何も詮索しなかった。
ときどき、あの日僕が耳にしたあの台詞は、僕の心に刻み込まれたあの台詞は、全部僕の妄想だったのではないかと思うことがある。一度ならず調べたことがあるが、ライブ映像は配信されていなければDVDにもなっていないようだ。適当なフレーズを抜き出してSNSで検索してもそれらしい投稿は見つからない。
何もかもが僕の妄想だったとしても、一向にかまわない。僕の傷口は僕にしか見えない。それがどれだけグロテスクだったとしても、すでに僕の一部になってしまっているのだから、愛するほかない。
この文章を読んでいる、まだかさぶたもできていない傷を抱えている人のために、最後にもう一度その台詞を繰り返そうと思う。ただ、もしも、本当にそれが病であったとしたら、素直に身を委ねるのも悪くないと思う。あのバンドのボーカルは、先月自殺したらしい。
「人の身に降りかかる悲しい出来事というのは、傷であっても、病ではない。決して。傷は、しばらくは痛む。場合によっては耐え難いほどに痛む。この身体が自分のものではなくなってしまうように感じられるほどに、痛む。それでも、傷はいつか癒える。たとえそこにグロテスクな跡が残るとしても、ね。」
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