11月21日

 父方の祖父母の実家で、少年は親戚の集いに顔を出していた。

 畳の広間は、いとこやはとこや、何と呼べばいいのかわからない続柄の友達でいっぱいだった。お風呂から上がったばかりの少年は、タオルを首から下げながら服を探していた。冬は冬でも、それは南国の冬であった。広間は盛り上がる人々の熱でむっとしていて、少しも寒くはなかった。

 寝巻き、といってもただの半袖と短パンを着ているあいだに、隣の部屋から父とおじさんの話し声が聞こえた。

「おかあさんもね……って医者は言っていて……」

「……登記の名義が二人みたいで……だから四百か五百くらいは……」

「生前だって説得すればもしかしたら……いやそうじゃなくて……」

「やめようよ、縁起でもない」

 ほとんど理解できなかったが、それでも少年はどんよりとした気分になった。

 そのまま戻った広間は、漂う煙のせいか、少年の心よりもどんよりとしていた。むせかえるような煙草の臭いが充満する中、二人の警察官があたふたと隅から隅まで物色し、友達数人が入り口近くで固まっていた。

 混乱した少年がその円に混ざると、一人の友達が言った。

「あ、ちょうどよかった、ノコギリで切ったあとのことお願いしてもいい?」

「まあ、アッパーくるもんね」と別の友達が言った。

 アッパーってなに? と少年が聞いても、眉をひそめられるだけだった。

 わけもわからずぼんやりしていると、お願いしてきた友達がノコギリをひっぱり出して、左肘の内側の肉がついているところに当てて引いた。鮮明な赤色の線が滲み出た。その線を覆うように青色のきらきらした粉をまぶして揉み込んだ。ほかの人たちは何事もなかったように会話を続けている。会話にならない会話である。青臭さの中に何かが腐る匂いが混じっている。警察官はもういない。部屋中に踊りだしそうな気配があった。

 少年は底知れない不安に襲われ、手元にあった濡れタオルを片付けようと思って外に出た。洗濯機も洗濯かごも見つからずうろうろしていると、奥まった部屋におばあさんを見つけた。あばあさんはベッドに座っていて、電気が消されているせいで顔がうまく見えない。

「あの、すみません」と少年が恐る恐る言った。

「ええ、なんだい」やわらかく湿った声だった。

「えっと、使ったタオルはどこに置いたら……」

「タオルねえ」おばあさんはかろうじて座る向きをわずかに変えた。外からの光に照らされて、背中に回した腕が人間とは思えない形に曲がっているのが見えた。「洗面台のところの、黄色のかごに入れとき」

「ありがとうございます」

「あなた、名前はなんていうの」

 少年は元気よく名前を答えた。恐怖はすでにどこかへ吹き飛んでいた。それを聞いておばあさんは嬉しそうに笑った。それを聞いて少年も嬉しくなって笑った。それからおばあさんは闇に消え入るように横になった。

 言われた通り黄色のかごにタオルを置いてから広間に戻ると、赤黒い情景が一面に広がっていた。床も、机も、食べかけの料理も、どろっとした血のようなものに覆われていた。原色のごとく鮮やかな赤色もあれば、深く黒ずんだ赤色もあった。多分、血だ、と少年は思った。しかし少年には確信がなかった。確信がないうちには、信じたくなかった。

 一人の友達は赤子を膝に乗せていて、赤子の白い服も白い毛布も血がべったりついていた。残りの人達はベランダを向いていた。ベランダの手すりの上に羽をむしられたニワトリがゆらゆら揺れながら立っていた。ニワトリもやはり血で濡れていた。ニワトリが倒れそうになる度に、広間に笑いが起こった。少年は頭が痛かった。何か声をかけようと思ったが、いったい誰に何を言えばいいのかわからなかった。

 どれだけのあいだそのままにしていたのか、ついにニワトリは手すりのこちら側に落ちた。はあ、という気の抜けた声が上がり、もう誰もベランダに興味を持っていなかった。人々が踊りだした頃、ニワトリはまだひくひく痙攣していた。

 少年はもう一度広間を見渡した。自分の存在だけがこの世界から浮いているように感じられた。警察官はいったいどこに行ってしまったんだろう。おばあさんは多分もう眠っている。ニワトリは多分まだ引きつっている。少年は自分の正気にいまいち自信が持てなかった。その手の薬は同じ部屋にいるだけで効果があるのかどうかわからなかった。自分はいったいどこに行けばいいのだろう。少年はこの家から出ようと思った。

 その後の少年の行方は、誰も知らない。

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