11月9日

 最近の個人的スパゲッティ事情について話そうと思う。

 以前、スパゲッティを茹でることについて語ったことを、今もおおむね実行できている。夏に重要な試験があり、それを終えてから一か月ほど旅に出ていた。もちろんそのあいだはスパゲッティを茹でなかった。帰国して、残暑が去ったころに再開した。僕は相変わらず、好きなときに好きなスパゲッティを、自分だけのために茹でている。

 一つ大きな変化といえば、僕のスパゲッティを食べて、時折感想をくれる人ができた。彼はつい最近僕と同じアパートに引っ越してきた。ふとしたきっかけがあり、彼は僕が茹でたスパゲッティを食べた。そしてそれがいかに美味しかったのかということを熱弁してくれた。僕はあっけにとられて、しばらく相槌を打つことさえ忘れていた。それから僕は定期的に彼にスパゲッティを食べてもらうようになった。その都度感想ももらった。手短い一言のときもあれば、ほとんど感想文といってもいいときもあった。もちろんスパゲッティを茹でることに対する僕の動機は、今でも純粋な利己主義によるものだが、茹でたスパゲッティを人に食べてもらい、感想を聞くことにも愉快なところがあった。彼もそれに満足しているようだった。世の中には風変わりな人がいるものだ。

 もう一つ新たに始めた取り組みがある。既製品のスパゲッティのアレンジである。これが実に難しい。当たり前といえば当たり前のことだが、スパゲッティを茹でることと他人に茹でられたスパゲッティを加工することはまったく別の作業なのだ。それらはスパゲッティを媒体とした芸術的な営みであるという点では共通している。しかし実務の上で要求される知識や技術は大きく異なっている。茹でられたスパゲッティを加工するということは、そのスパゲッティを通してそれを茹でた人と対話し、その人がスパゲッティに込めた思いを理解し、その思いを最大限尊重する形で自分なりの工夫を加える、ということである。なんと手強いことだろう。何度か挑戦してみたが、どうにもこうにも納得のいくものができないので、ついに専門のレシピ本を買った。『スパゲッティ加工の作法』というタイトルの、東京大学出版会から出ている本である。世の中には本当に風変わりな人がいるものだ。

 スパゲッティを茹でることはこの先も自分の趣味であり続けるだろうと思う。僕はシェフになるわけでも美食評論家になるわけでもない。本業は本業として、気が向いたときに目的もなくスパゲッティを茹でるのだ。それがスパゲッティを好む誰かに喜びを与えたり、あわよくばスパゲッティのための賞を得たりすることがあれば、この上なく光栄である。無意味にスパゲッティを茹で続けることは、果たして風変わりなのだろうか。

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