11月2日
このごろ、普段の生活の様子を撮影した動画が投稿されているのをよく見かける。ルーティンだとかVlogだとかと呼ばれているらしい。流行にあやかるわけではないが、僕の理想的な一日を記してみようと思う。
まぶしい、という感覚とともに目を覚ます。柔らかな朝日がカーテン越しに寝室を満たす。カーテンを開けて陽を浴びる。目の前には白い石造りの建物と青い海が広がっている。もちろん僕は日本に住んでいるが、そこは地中海でなくてはならない。それが理想なのだ。深呼吸をして伸びをする。一日が始まる実感が自分の中で膨らんでいくのを感じる。
コップ半分の水を飲んで、トイレを済まし、顔を洗う。鏡に映る顔をいろいろな角度から観察する。それが他ならぬ自分であるという実感が僕を安心させる。ポットでお湯を沸かしてコーヒーを淹れる。お湯が湧くのを待つあいだに、グラノーラをお椀に出して牛乳をかける。
朝ごはんを済ませたら、パソコンでメールとSNSをチェックする。必要なものには返事を書く。面倒なものには既読をつけない。
ついでにニュースにもざっと目を通し、「朝からうんざりさせられるなあ」というんざりした気持ちでゲームを始める。まだ頭が冴えきらないのでFPSはやらない。ソロプレイ用のRPGや優しめのPvEから手を付ける。ポケットモンスターシリーズやモンスターハンターシリーズくらいがちょうどいい。APEXを朝からやった日には急激な血圧上昇で倒れてしまう。
ゲームに飽きると読書をする。短編か中編くらいの長さのものを読む。梶井基次郎とかカフカとかがいい。
まだお腹が空かないくらいの時間帯に、買い物がてら散歩に行く。日によっては公共料金を支払ったり、手紙を出したり、ローソンの一番くじを引いたりするが、今日は何も用事がない。イヤホンはつけない。季節の移り変わりを肌に感じる。ただし、理想なので実際に季節が移り変わるわけではない。
帰ってきたら昼ごはんを作る。まずお米を炊いて、適当な食材たちを適当な調味料たちで適当に調理する。今日はにんにくの芽とたけのこと鶏もも肉をだし醤油で炒める。甘いのが好きなので砂糖を多めに加える。お米はまだ炊きあがらないので朝のものも含めて洗い物を済ませる。それでもまだ炊きあがらないので簡単な掃除もする。
昼ごはんは適当なアニメを観ながら食べる。
お腹いっぱいになると性欲が顕在化するので自慰をする。TENGAのグッズがあるので存分に活用する。射精すると眠たくなるので、最低限の片付けをして、睡魔に身を任せる。三大欲求の抑制ではなく、それらのゆるやかなつながりこそが理想である。
太陽が西に傾き始めるころに起きて、ボルダリングに出かける。ボルダリングジムは徒歩十五分くらいのところにある。道中には枯れかけのあじさいがあり、うっすら金木犀の匂いが漂う。ここは地中海沿岸でありつつ、あじさいも金木犀もある。もちろんこれは理想のおかげである、歩いているうちに心身が調子を取り戻す。それから二時間半かけて、全身の筋肉を酷使する。身体の機能とバランスを点検するように、ていねいに課題を登る。最後に懸垂トレーニングを忘れずにこなしてから、帰宅してお風呂に入る。
夜ごはんは昼の残りを簡単にアレンジして済ませる。今日はリゾットにする。そしてお酒を飲む。カクテルをつくったり、ワインをあけたりすることもあるが、今日の食事は和風の味だったので日本酒にする。アルコールには強くないので、日本酒ならおちょこ二三杯くらいで止めておく。
気持ちよく酔いが回ってきたら、ギターを弾いたり文章を書いたりする。やはり理想なので夜に楽器の音がしても隣人の迷惑にはならない。今日は書きかけの小説があるのでそれに取り組む。生業ではなく、自己満足のために書いているが、少なからず読んでくれる人もいる。率直な感想をくれる人もいれば、真剣な批評をくれる人もいる。三千字近く書いたところで筆がぴたっと止まってしまう。眠ければ歯磨きをして寝るし、まだ眠くなければもう少し本を読んでから寝る。寝る前に読む小説は長編に限る。村上春樹とかカズオ・イシグロとかがいい。
このようにして、理想的な一日が幕を下ろす。ところで、理想なのだから、面倒な家事だってなくしてしまえばいいと言われるかもしれないが、それはまったくの見当違いだ、ということを最後に指摘しておきたい。生活は本質的に面倒なのであり、理想的な一日に家事は欠かせないのである。
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