10月21日
ここへ来て何日目になるのか、彼には見当もつかない。昼夜は無秩序に転換し、潮位は不規則に上下する。鬱々とした大気の向こうに斜陽の陸と建物を望む、暗緑色の海に囲われたガラクタの孤島。そこに彼は立っていた。ここがどこなのか、それはすでに重要ではなかった。蜘蛛の糸のような意識をつなぎとめながら、自分が誰なのかを忘れないこと、それだけで彼には精一杯だった。ここで何をすべきか、それは考えなくとも体が覚えてしまった。
鮭たちがやってきた。どろっとした海水を撒き散らしながら、彼と彼の三人の仲間を目がけ一直線に向かってくる。四方八方から上陸してくる鮭たちは、まるで島を一口に飲み込もうとする大いなる海の意志を体現しているようだった。四人は握りしめた武器を無感動に撃ち放す。撃たれた鮭は破裂する。鮭たちに知性はない。彼らには感情がない。彼は昔、感情があったときのことを思い出そうとした。しかしある時点以前にはモノクロのフィルムしか残されていないように、彼の記憶にはどうしても感情が付随しなかった。鮭たちは昔、知性があったのだろうか? 答えは否であってほしい。そのほうが罪が軽くなるような気がするからだ。そんなことを考えていると、仲間が死ぬ音が聞こえた。
ヘルプ、という叫び声がするほうへ爆弾を投げる。浮き輪しか見えなかったところに仲間が生き返る。銃声の旋律が再び四重奏へ回帰する。彼らは不死だった。一人が死んでも復活する。全員が死ぬと意識が途切れ、次の瞬間にはまた同じところに立っている。彼にはそれがもはや呪い以外の何物にも思えなかった。それでもこれは間違いなく命と命とのぶつかり合いであった。そこにあるのは本物の痛みと本物の死である。鮭を殺し、鮭卵を集めること、これが彼らに与えられた使命であった。命を賭し、命を果たし、命を掻っ攫う。これが彼にとってのすべてだった。
彼は自分の意思でここへやってきた。しかしそれはほとんど詐欺といっても過言ではなかった。冒険心と欲求心と好奇心、そのいずれかが欠けていれば、彼は今頃うららかな昼下がりに読書でもしているはずだった。伝説の仕事人の、その先を目指す、そんな野望もとうに捨てた。黄金を目指して地獄へ赴いた者たち、彼はよくその者たちの話を思い出した。そこに自身の姿を重ねることでしか、うらぶれた日々を生き抜く気力を保つことができなかった。
ある日、一人の仲間が声をかけてくる。あまりに珍しい出来事に彼は喜々として返事をする。仲間は名を尋ねる。彼は忘れたという。すると仲間は驚いて、名をつけてくれる。彼はその名前をいつまでも大事にすることを誓う。仲間は伝説のその先を目指しているという。仲間は彼を誘う。共にその景色を見届けようではないかと。そこに希望の形があるのではないかと。彼はいつか、はるか彼方に忘れ去ってしまった感情を思い出す。そして彼は、涙を流して、本当の仲間となる。ヘドロを叩く透き通った涙は、彼がここへ来て初めて目にした透明な液体となる。
そのようなことを、彼は妄想する。その間にも、一つ、また一つの命が、彼の目の前で破裂する。遠くにヘルプの声が聞こえる。彼は銃を撃ち続ける。
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