10月15日
青年がパリへ来たのは初めてのことだった。
青年は貧乏であった。しかし貧乏なりにも世界に貪欲であった。それで学業もそこそこにしてアルバイトに精を出し、三十万円ほど貯めたところでヨーロッパ行きの航空券を買ったわけである。
シャンゼリゼ通りは驚くべきものだった。石畳の小路、洒落たお店、派手な花を身にまとった建物と派手な衣服を身にまとった人間の調和。それが青年の想像のすべてだった。シャンゼリゼという響きにはそのような情景がアプリオリに含まれているように思われた。
しかし実際にはそれは二列に並ぶ高級ブランド店に挟まれた片道五車線の道路だった。だいたいのお店の入り口には浮浪者除けのための門番が立っていた。あちこちでクラクションが鳴り、ところどころ下水のような匂いが漂った。カフェの代わりに商業的なレストランとファストフード店が陣取り合戦を繰り広げていた。世界で最も美しい通り、と青年は心の中で復唱した。
凱旋門もやはり驚くべきものだった。それはひたすらに巨大であった。あまりにも巨大なために、しばらく仰いでいると位置と距離の感覚が歪められてしまうほどだった。青年は歴史と芸術に疎かった。青年にとって凱旋門は大きな石の塊であった。しかし象徴と意味を包含する塊であった。素朴な力であった。
巨石のまわりはラウンドアバウトになっていた。車の流れは青年にバウムクーヘンを彷彿とさせた。おそらくは不味いバウムクーヘンだった。リズムのない音楽のようなクラクションの旋律が演奏され、渦に入ろうとする車と出ていこうとする車と回り続けようとする車とがまったく不均一な流れを形成していた。絶えずひやっとする場面が生じていて見飽きることがなかった。世界で最も安全かつ効率的な交差点の形、と青年は心の中で復唱した。
青年は凱旋門を支えに銃口を構え、シャンゼリゼ通りに沿って一直線にビームを放つところを想像した。国中の電気の供給を停止し、すべての電力を集約するところを想像した。両脇のブランド店は廃墟のように真っ暗で、車は一台たりとも見当たらない。エッフェル塔までもが夜闇に溶け込んでいて見つけることができない。心拍が激しくなり、手に汗をかき、恐怖を覚える。あなたは死なないわ、わたしが守るもの、と青年は心の中で復唱した。それは青年の声ではなかった。
青年は非常に満足であった。
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