6月21日

 彼は不思議と人を引き付けてしまう特性の持ち主だった。そういった気質というのは染色体に刻印されているとは思えないし、訓練して身につくものとも思えない。だからどうして彼がほとんど超能力といってもいいそれを有していたのか(そしてどうして僕にはそのような力はないのか)、僕にはよくわからない。

 とにかく彼は学校の人気者だった。よく勉強できて、よく運動できる。うるさい男子に混じってふざけ合っていると思えば、級長として学園祭の準備を主導している。誰もが彼と友達になりたがった。いつかの秦のように、彼と仲がいいということ自体が、ある意味で一つのステータスであった。

 僕が彼と接点を持つことになったのはまったくの偶然だった。だが、その一部始終は特に興味を引くものではないし、今となってはどうでもいいことにすぎないので、ここでは語らないことにする。

 気がつけば、僕はありがたいことに大手メーカーの職を手に入れ、そろそろ結婚適齢期にさしかかっていた。高校の友人と連絡を取ることは滅多になくなっていた。僕たちはたまたま同じバスに乗り合わせた乗客のように、たとえバスジャックをみんなで乗り越えたような感動の物語があったとしても、その先ではお互いに平行線な人生を進んでいくことになるのだ。

 彼が亡くなったという知らせを受けたのは最初の同窓会のときだった。自殺だったらしい。僕の気持ちを察しようとはしないでほしい。結局のところ、あなたが僕の気持ちを想像することも、僕が彼の気持ちを想像することも、決してできないのだ。


 今朝の新聞でその漢詩に出会った。


 秦築長城比鉄牢

 蕃戎敢不逼臨洮

 焉知万里連雲勢

 不及堯階三尺高


 秦長城を築いて鉄牢てつろうに比す。蕃戎ばんじゅうえて臨洮りんとうせまらず。いずくんぞ知らん万里連雲のいきおい。及ばず尭階ぎょうかい三尺の高きに。


 晩唐の詩人、汪遵の「長城」という七言絶句であった。僕はこの詩を三回読み、書き下し文と解説に目を通してからもう一度声に出して読んだ。一字一字をていねいに発音しているあいだ、彼のことが自然と脳裏に浮かび上がってきた。しかし彼の顔はぼんやりとしていて、彼の声はくぐもっていた。どれだけ努力しても、細部を思い出すことはできなかった。

 「あっけない秦の滅亡」を詠った詩だと解説に書かれていた。はたして彼が踏み越えた最期のハードルは、三尺の階段よりも高かっただろうか? その後にあるのが混沌ではなく和平であることを祈るばかりでいる。

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