第139話 ゲームセンターについて
今回からはゲームセンターや家庭用ゲーム機の想い出を語っていきたい。1990年代以降の話題も出る予定だ。
現在では足が遠ざかってしまったが、私がゲームセンターでゲームをプレイするようになったのは社会人になってからである。私の子ども時代、ゲームセンターは不良のたまり場と大人に言われており、恐ろしい雰囲気があった。
ただしボウリング場併設のゲームセンターは明るく、友人たちとボウリングの待ち時間にアーケードゲーム機をプレイしていた。私が好きだったのは当時大ブームだった『テトリス』や『コラムス』『ぷよぷよ』『上海』などのパズルゲーム、『ゆうゆのクイズでGO!GO!』などのクイズゲームだ。
就職後、横浜に引っ越してきた私は、当時はまっていた『X-MEN』のキャラクターが登場する格闘ゲーム『X-MEN VS ストリートファイター』を見てみたかったので、家の最寄り駅にある小さなゲームセンターに入ってみた。
意を決して入ってみると、奥には『ストリートファイターⅡ』などの格闘ゲームがあったが、『X-MEN VS ストリートファイター』はなかった。しかし入り口近くにはパズルゲーム機があった。ここではまったのがブロック崩しタイプの泡消しゲーム『パズルボブル』である。
その後、私は横浜駅近くのゲームセンターによく行くようになった。1990年代末期にかけてアーケードで大はやりしていたのが「音ゲー」だ。『ポップンミュージック』シリーズに『パーマン』のOP「きてよパーマン」が入ったときには、さすがに難しくてプレイできなかったが、曲が収録されたアルバムを購入した。
ゲームセンターで私が好きだったのは占いの機械だった。ホロスコープ占いや星座占い、手相占いや姓名判断、オーラ占いなんてのもあった。結果はプリント出力され、気に入った機械には定期的に通っていた。
90年代に流行り始めたプリクラも様々な機種が出ていたが、私は一緒に撮る相手もいないので縁がなかった。
私がゲームセンターに定期的に通うほどはまったアーケードゲームに出会うのは、2000年代のことである。次回はその話をしたい。
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