第131話 阪神・淡路大震災の話
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、関西地方を中心とした地域で最大震度7の大地震が発生した。後に阪神・淡路大震災と名付けられた地震だ。
地震発生時、私は横浜の自宅でパソコンに向かい執筆していた。微かな長い揺れでなんとなく地震が起こったことは感じたものの、当時はまだインターネットに接続しておらず、徹夜状態だったためテレビで確認しようとは思わなかった。
朝7時頃寝ようとした私は、なんとなくテレビをつけてみた。そこでただならぬ出来事が起こっていることにようやく気づいたのだ。しかし睡魔には勝てず、一眠りすれば状況も落ち着くだろうとベッドに入った。
目覚めてから改めて地震が関西地方で起こったこと、神戸が大きな被害を受けたことを知った私は、毎週聞いていた『青春ラジメニア』を放送するラジオ関西(当時の名称はAM KOBE 558)と、関西地方の知り合いの安否が気がかりだった。ラジオ関西の電波は関東地方では昼間には届かず、情報を掴むことはできなかった。
メイルゲームで手紙のやりとりをしていた一人に、神戸在住のプレイヤーがいた。地震発生後しばらくして、無事を知らせる手紙が本人から届いたが、火災が自宅近くまで迫っていたことが分かる生々しい写真が同封されていた。
ラジオ関西も地震で須磨のスタジオが被災し、仮設スタジオで放送することになった。その後正式に現在の場所である神戸ハーバータウンへ移転することとなる。
地震発生後初めて放送された『青春ラジメニア』では、被災者のための情報等をはさみつつ、心を落ち着かせるようなアニソンを流した。ラストの曲は遠く離れた友の安寧を願うという内容の『ビデオ戦士レザリオン』ED「ハートフル・ホットライン」だった。
『青春ラジメニア』のメインパーソナリティーであった岩崎和夫アナは、地震発生時に社内にいて最前線で対応する等奮闘し、アシスタントの南かおりとともに、震災復興応援のため結成された声優たちによる音楽ユニット「WITH YOU」にも参加した。チャリティ企画として発売された「真冬の流れ星」は、番組内では今も節目で流される曲となっている。
幸いにも私の直接の知り合いで亡くなられた方はいなかったが、多数の方がお亡くなりになり、被災された痛ましい出来事だった。
この時のように、休日前の夜は深夜まで起きていることが多かったため、作業のお供になっていたのはテレビだった。今のように深夜番組は充実しておらず、よく見ていたのはMotoGPや『刑事コジャック』『バイオニックジェニー』等の洋ドラ再放送だ。テレビ朝日で流していたフィラー放送も、シュールなショートアニメを流していて印象に残った。
次回からはTRPGの話を中心に語りたい。
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