第五部 社会人時代 その1 メイルゲーム編

第101話 寮への引っ越しとテレビデオの話

 就職のため茨城県の水戸から神奈川県の横浜へ引っ越した私は、会社の寮に入ることになった。1991年4月のことである。


 寮は5階建てだがエレベーターはなく、二人部屋という窮屈なものだった。門限もあり、出先で夜遅くなると門限が気になってゆっくりできなかった。

 小説だとルームメイトと親しくなったりするものだが、私はルームメイトとは性格が合わないと判断し、部屋の中央にカーテンを引いて無理矢理半分に分け、お互いの領域には立ち入らないようにした。ただしキッチンは共用なので、使用時間が重ならないよう気をつけていた。しぱらくしてルームメイトが退寮した後は誰も入らなかったので、布団をゆったり敷けるようになった。


 着替えやビデオ、ラジカセやワープロ、藤子不二雄ランド版『パーマン』など、最小限の荷物は家から持ってきたが、寮に住んでから揃えた家電もある。台所に置く小型冷蔵庫や、テレビデオだ。

 テレビデオとは小型のテレビとVHSビデオデッキが一体化したもので、狭いスペースにも置きやすい。現在ではハードディスク内蔵型のテレビにあたる。テレビの音がルームメイトに聞こえないよう、ヘッドホンで聴きながら見ていた。

 ビデオテープの値段もこの頃はかなり下がっていたので、当時放送していた『21エモン』のアニメなどを録画していた。『カノッサの屈辱』などの深夜番組もルームメイトに配慮し、電気を消して視聴していた。


 寮の部屋は五階だった。景色は良く、夏には花火も見えることがあったが、私にとって重要なのは水戸時代からずっと聞いていたラジオ関西のアニラジ『青春ラジメニア』の受信状況だった。高圧線が近くにあるせいか、受信状況はあまり良くなかった。

 部屋が五階で不便なのはやはり階段の上り下りだった。寮の浴室や郵便受けは一階にあったので、メイルゲームのリアクションやプレイヤーの手紙を郵便受けに確認に行くのが大変だった。一階に下りるときには、コンビニへの買い物などと合わせて行くのが常だった。

 一階には自動販売機もあり、1989年発売の『午後の紅茶』レモンティーのペットボトルをよく買っていた。

 紅茶と言えば、短大時代に水戸駅で『シンビーノ ジャワティ』の試供品ペットボトルをもらったことがあった。昼食時に飲んでみて甘くないのに驚き、とても飲めないと思った。当時の私には無糖の紅茶という概念がなかったのである。


 寮の近くにはショッピングモールがあり、大抵のものは揃えることができた。ファミレスやマクドナルドもあったので、外食も時々した。マクドナルドの幻のメニュー「マックカレー」もここで食べた記憶がある。


 次回からは前回からの続きでメイルゲームの話をしたい。

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