第76話 『アニメ玉手箱』から『青春ラジメニア』へ

 前回名前の出た『青春ラジメニア』は、62話で取り上げたラジオ関西の『アニメ玉手箱』に代わって1989年4月から放送開始されたアニソン番組である。とはいえ、メインパーソナリティーの岩崎和夫アナやアシスタントの吉田秀子アナ、アニソン等をフルコーラスかけるという方針は変わらなかった。

 バブル景気のお陰でスポンサーも大量に付き、番組のイベントでアニソン歌手のコンサートを開く、番組のCDアルバムを作って『青春ラジメニアの歌』を子門真人に歌ってもらう、毎週大物声優のリレー電話インタビューを行う等、活気に満ちていた。私は番組でかかった曲のリストや視聴者のイラストが入った機関紙『アニメジラ』を毎号取り寄せていた。


 番組内でお便りが読まれると「フェローズカード」という会員証が贈呈される。私も採用され、特製のパスケースに入った「124番」のカードが送られてきた。しかし、関西の番組ということで関東からの聴取は雑音との戦いだった。


 私がラジメニアのイベントに初めて参加したのは1990年(平成2年)5月26日に行われた『別冊ファンの集い おまたせ!! TOKYOリスナー』。場所は内幸町の宝くじドリーム館だった。メインはパーソナリティーやゲストとの質疑応答だったが、生で岩崎、吉田両アナウンサーを初めて見ることが出来た。


 しかし、エリア外リスナーとの交流はその前から始まっていた。ここでも参考サイトとして使わせていただいている『青春ラジメニア・エリア外リスナー交流会』である。世話役の方のハガキがラジオで紹介され、世話役の住所にハガキを送ると入会案内が送られてきたと記憶している。雑音が入っていたので世話役の住所を間違って書いていたことが後に判明するが、無事届いていたのは郵便番号のお陰だろう。


 第一回の集いは1989年(平成元年)3月21日、春分の日に有楽町の喫茶店で行われたとサイトには書かれている。私は水戸から常磐線に乗って参加したが、中学転校後初めての単独上京だった。喫茶店でのことは覚えてないが、公園でした記念撮影はアルバムに残っている。

 その後も1990年に創刊されたエリア外リスナー交流会の機関誌『エトランゼ』などを通して交流は続けられていたが、月に一度公民館等に集まる定例会に私が参加するようになるのは就職後のことである。


 1991年3月にアシスタントの吉田秀子アナが『青春ラジメニア』を卒業し、後任としてタレントの南かおりがオーディションの結果選ばれた。その後2022年3月に岩崎和夫が番組を卒業するまで岩崎・南コンビが番組を支えていたが、2022年4月から南かおりとバンド『ワタナベフラワー』のベースで、ラジオ関西でアニソン番組を持っていた「ムサ」がコンビとなりパーソナリティーを引き継いでいる。


 この後も折に触れて『青春ラジメニア』や『エリア外リスナー交流会』の話題は出てくる予定である。


参考サイト


『webエトランゼ ~青春ラジメニア・エリア外リスナー交流会公式サイト』

www.joy.hi-ho.ne.jp/kabochan/etranger/index.html

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