第75話 アルバイトの話、『ミラクルジャイアンツ童夢くん』の話
大学生になった私は、親の勧めもあり地元のスーパーでレジ打ちのアルバイトを始めた。時間は日曜祝日の昼間。特に出かける用事もないので都合が良かった。
給料振り込みのため、生まれて初めて自分の銀行口座も作った。口座に使う印鑑は、中学の卒業祝いで皆に配られた木彫りのものを使った。現在もこの印鑑にはお世話になっている。
当時のスーパーは、現在のバーコードで読み取るPOSシステムが普及し始めた頃で、定番以外の品は値段をレジで入力していた。おつり計算もレジがしてくれ、レジ係の負担はかなり減らされた。
家から自転車で出勤すると、制服に着替えてレジに立つ。一番辛かったのは、客が来るまでレジでずっと立っていることだった。その退屈を紛らしてくれたのが、レジの向かいにテナントとして入っていたレンタルビデオ店だった。
レンタルビデオ店頭では販促としてビデオソフトが流されており、スーパーの客層も相まってジブリアニメや藤子不二雄作品が選ばれていた。音声は聞こえなかったが、藤子アニメの映画は何度も見ていたのでシーンを見れば話のどの辺をやっているか分かり、パーマンのビデオがかかったときは密かに喜んでいた。
アルバイトのもう一つの悩みは手荒れだった。レジで商品を触るときなど、備え付けのウェットタオルで手を拭くことが多かったからである。仕事が終わると、軟膏を手に塗ってケアしていた。
しかしこの給料のお陰で古本代や昼食代などをまかなえていたので止めるわけにも行かず、就職するまでアルバイトは続けていた。
昼食はスーパーで購入し、バックヤードで食べていた。ここで忘れられない思い出がある。
バックヤードにはテレビが置いてあった。1989年(平成元年)10月29日、この日は日本プロ野球史に残る名シリーズとなった、近鉄対巨人の日本シリーズ第七戦が流れていた。
当時私はアニメ『ミラクルジャイアンツ童夢くん』にはまっていた。ジャイアンツに魔球を使う小学生投手が入団し、各球団のライバル選手と戦うという内容である。同僚のジャイアンツの選手やライバルの一人、ドラゴンズの落合博満(後に監督)は実名で登場している。
二軍に落ちた童夢くんが大怪我でリハビリ中の吉村禎章(後にコーチ)の姿を見て感銘を受け、その後吉村が一軍に戻ってくる話など、アニメの展開と現実のジャイアンツの快進撃がシンクロして私は個人的に盛り上がっていた。アニソン番組『青春ラジメニア』にも男子アイドルユニット「CHA-CHA」の歌うOPとEDをリクエストし、採用してもらった。
特に、中畑清(後に横浜ベイスターズ監督)は童夢くんの兄貴分として自宅に招くなど親しく付き合っていた。実際の中畑清は1989年で引退するが、この日本シリーズ第七戦で最後のホームランを放ち、たまたま中継をリアルタイムで見ることが出来た私は興奮冷めやらなかった。
現在、『ミラクルジャイアンツ童夢くん』は水害によるマスターテープ損傷などで視聴するのが難しい作品になっているのが残念である。突っ込みどころも多々あるが、熱い作品だと思うので後世に語り継いでいきたい。
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