第74話 母親のハンドクラフト、美容室の話

 母親は私が子ども時代から様々なハンドクラフトにはまっていた。今回はたまたま思い出した母親のハンドクラフト話をしよう。


 私が中学生時代にソープバスケットという手芸が流行った。石鹸にリボンを巻き付け、ずれないように虫ピンで留め、針金で取っ手を付けたり、造花を上部に飾ってバスケット状に仕上げる。石鹸ベースなので母親は芳香剤代わりに玄関に飾ったり、友人へプレゼントしていた。お歳暮などでいただきものの石鹸が大量にある時代ならではの手芸で、液体ソープの普及も相まって平成初頭には廃れていった。現在でも検索すると当時のテキスト本が大量に引っかかるので、チャレンジするのは容易だ。


 母親は編み物も好きで、私や弟のためにセーターやガーディアンを編んでいた。私用のカーディガンを編むというので毛糸を選んだこともあった。出来たピンクのカーディガンは今もタンスの奥に眠っている。


 その後母親がはまったのが木製の板を組み立て、千代紙などを貼り付けて飾る小物棚だった。「和紙工芸キット」で検索すると大量に引っかかる。ソープバスケットよりも大きなものなので居間に置くのにも限界があり、私の部屋用にも数個渡された。

 私は主に当時流行っていたバレッタやシュシュ、ペンダントなどを入れるのに使っていた。大学生になり、学校にアクセサリーを付けていっても良くなったので、デパートのファンシーショップなどでアクセサリーを時々買うようになったのだ。髪型もずっとショートカットだったが、バレッタなどを付けるためにセミロングに伸ばした。


 カットは高校生になってから、母親が行っている美容室に行くようになったが、担当の美容師に「お母さんと同じ所に白髪があるね」と指摘され驚いた。確かに小学生の時には自分の髪に白髪があることに気づいており、母親にも時々白髪取りを頼まれたことがあったが、まさか遺伝だったとは思わなかった。さすがに50代になると白髪も増えているが、まだ白髪染めを使う気にはなれない。


 母親は水戸に引っ越してから長年、ビクターの工場へ納めるVHSカセットケースの組み立て内職をしていた。カセットケースは四隅をビスで留めるため、家に帰ると客間に置かれた作業台で母親がビスを木槌で叩く音が聞こえていた。

 私が短大に入る頃に母親は内職をやめ、代わりにマクドナルドのアルバイトを始めたので、私は時々もらったクーポン券で食事していた。


 私も大学生になってからアルバイトを始めた。次回は私のアルバイト話をしたい。

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