第四部 短大生時代
第72話 昭和から平成へ、水戸から土浦への通学
1989年春。1月7日に昭和天皇が
前回書きそびれていたが、私は早朝に母親に起こされて崩御を知った。崩御までの半年ほどは、闘病中の昭和天皇の定時体調報告がテロップでTVに流れていたので、当時のTVを録画したビデオには記録が残っているものもある。
昭和天皇崩御のためTVは特別番組一色になり、興味のない視聴者でレンタルビデオ店が大繁盛したことが語り継がれてる。ネットや衛星放送、スマホでいくらでも時間を潰す方法がある現在では考えられない出来事だろう。私は自室で本を読んだり、ラジカセでカセットテープを聴いたりしていた。
つまり私は昭和63年度高校卒、平成元年度の短大入学となったわけだ。
ちなみに親友のSちゃんは都内、Hちゃんは水戸市内の学校に進学ということで、今までのように気軽には会えなくなった。
土浦は当時茨城県有数の市だった。1984年のつくば万博当時は会場への輸送地として使われ、万博後つくばエクスプレスが開業するまでは、筑波学園都市へのバスが大量に発着していた。短大も土浦市の郊外にあり、私はバスで通っていたがマイカーで通う生徒も多かった。
大学の一時限に間に合うためには7時半の電車に乗らないといけない。私は他の家族より早めの朝食を取って家を出る。時間がない時には駅で立ち食いそばを食べたり、土浦駅ビルのマクドナルドで朝マックを食べたりしていた。
水戸から土浦までの常磐線はラッシュとは逆方向のため比較的空いており、水戸駅で乗客が大量に降りるので座りやすい。沿線のほとんどは農地や山野で、窓際で流れていく光景を見るのは気持ちよかった。
通学のお供はウォークマンだった。ラジオ番組から歌をダビングしたテープが大量にあったので、私は毎日数本をバッグに入れて持ち歩いていた。60分テープなので行き帰りに2本使う算段だ。カセットテープは専用のチェストに入れていたが、入りきらなくなるとボックスティッシュの空き箱に入れて積み重ねていた。
通学のお供には本も欠かせなかった。ゲームブックは電車でやるにはサイコロが振れないなどハードルが高かったので、古本屋で購入したり、図書館で借りた本を主に読んでいた。次回は土浦の古書店の話をしたい。
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