第64話 藤子不二雄のコンビ解消など

 私が高校2年生の時、1987年の年末にマンガ家の藤子不二雄がコンビを解消し、今後は藤子不二雄F(正しくは○にF、後日現在の「藤子・F・不二雄」に再改名する)、藤子不二雄A(正しくは○にA)として活動することが発表された。現在では藤子・F・不二雄氏の体調悪化が主な理由とされている。


 当時の一読者としては、『ドラえもん』や『パーマン』と『忍者ハットリくん』や『怪物くん』の画風の違いはお二人が作品によって描き分けているからだということは理解していた。しかし、当時続々アニメ化されていた藤子作品は『藤子不二雄ワイド』でオムニバス放送され、映画も2本3本立て、改編期のスペシャル作品では作品を超えた交流を行っていた。コンビ解消により、今までの「藤子アニメ」が分断されたことで、アニメ『パーマン』にも大きな影響が及ぶこととなる。


 『パーマン』と『忍者ハットリくん』は1984年と1985年の映画『ドラえもん』併映作で『忍者ハットリくんプラスパーマン』というタイトルで共演していた。両方とも事件に巻き込まれたハットリくんの助っ人としてパーマンが活躍するという内容だ。

 映画『ドラえもん』制作で人手が足りなかったと思われる状況で、シンエイ動画制作で総監督も両方笹川ひろしである2作品を共演させるというのは、スペシャル感を出しつつ調整もしやすかったと思われる。映画原作コミックは藤子不二雄Aが執筆した。


 しかし、コンビ解消によって藤子不二雄共作作品の取り扱いが難しくなり、『忍者ハットリくん+パーマン』は現在凍結状態になっている。

 1987年当時はレンタルビデオ店が普及しており、藤子不二雄映画作品もレンタル用に多数出されていた。現在『忍者ハットリくん+パーマン』2作品を視聴できるのはこのレンタルビデオか、少数ではあるが発売されたLDディスクだが、再生機器的にどちらもハードルが高い。


 2022年に藤子不二雄A氏が死去されたことで、『忍者ハットリくん+パーマン』の状況はどうなるか全く分からなくなった。なんとか両権利者の折り合いが付き、ソフト化や配信で気軽に見られるようになってほしいものである。

 ちなみに、83年版『パーマン』の誕生篇である短編映画『バードマンがやって来た!!』も現在衛星放送など、限られた機会でしか見られない作品である。こちらも重要な作品なのでもっと多くの人に見てもらいたいものだ。


 なお、コンビ解消によってコミックスも改名後の名前で再販されることになり、てんとう虫コミックス『パーマン』も「藤子不二雄F」「藤子・F・不二雄」と二度改名された。マニアとすれば当然コンプリートしたくなる訳で、全巻再び買いそろえたはずだが、今回執筆するにあたって調べたところ「藤子不二雄F」版が見つからなかった。家のどこかにしまってあるはずだが、どこにあるのだろう。


 次回は高校時代のテレビ番組の話をしたい。

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