第54話 高校の授業の思い出、合唱部の晴れ舞台の話
高校時代の授業の話をしようとしたものの、残念ながら記憶にはほとんど残っていない。授業中に小説や絵を描いていたからだろうか。テストは赤点こそなかったものの、国語、社会が得意で英語、数学が苦手なことに変わりはなかった。
数少ない授業の記憶としては体育の時間、ダンス授業でマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」が課題曲として使われたことだ。さすがにマイケル・ジャクソンの「スリラー」は知っていたものの、この曲は授業で初めて聞いて気に入った。
高校の敷地が狭く、グラウンドは学校から離れていたため、体育の授業は体育館で出来るものしかなかった。これは私にとっては嬉しかった。
二年生の時の担任は英語の女性教諭だった。学生の風紀の乱れを注意することが多く、当時大きめのトートバッグで登校する生徒に「赤ちゃんの入りそうなバッグ」と注意していたことが印象に残っている。
1987年当時、女子高生の間ではルーズソックスが流行り始めていた。Wikipediaでは水戸が流行源の一つとしてあげられているが、確かに私の高校でも教師が履いている生徒に注意していた記憶がある。私は白のハイソックスか黒タイツ派だったので縁はなかった。
文芸部の顧問だった国語教諭とは、現在でも年賀状のやりとりが続いている。かなり高齢になられたが、毎年世相に絡めて今年の抱負をびっしり文章にしたためてくるスタイルは国語教諭らしさを感じさせる。
ずっと練習だけだった合唱部が、表舞台に立ったことがある。1988年春、卒業式前の感謝会で合唱を披露することになったのだ。曲は岡村孝子の「夢をあきらめないで」。1987年発売のヒット曲だが、私はこの合唱がきっかけで知ることとなった。
私たちは会場となった体育館そばの廊下で待機し、時間が来ると舞台に立って合唱した。合唱部は三年生になってから引退したので、これが唯一の表舞台となった。
短くなってしまったが、今回はここで一区切りし、次回は修学旅行篇の前に語っておかねばならない安原義人ファン話をしたいと思う。
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