第52話 番外編 お正月の話など

 『私の創作遍歴』を今年二月に書き始めてから初めての正月を迎えるにあたり、正月の思い出話を今回は語りたい。


 以前にも触れたが、私の父方の実家は茨城県、母方の実家は福島県にある。東京に住んでいた小学生時代は、渋滞が少ない時間ということで、紅白歌合戦が始まってから車に乗り、カーラジオで紅白歌合戦を聞きながら父方の実家に向かうのが常だった。私は車酔いする体質で、酔い止め薬を飲んでも心配だったので、窓を少し開けて助手席に座っていた。順調にいけば大トリが始まる頃には実家に着くことが出来た。もちろん夜中なので、着いたら寝室に敷かれた布団で寝るだけである。


 元日は家の近くの墓地に一族でお参りした後、餅を作るのが楽しみだった。かつては臼と杵を使っていたが、餅つき器を導入したので作業は楽になった。伸し餅を作った後、残った餅を丸めて粉を付け、四角い木のお盆に並べていく。お盆は空き部屋に並べて乾燥させる。

 我が家では父が餅好きで、毎週日曜の朝食は磯辺焼きを食べるのが定番だった。これがかなり珍しいと分かったのは大人になってからだ。父は実家で作った伸し餅を分けてもらい、家で切り分けて冷凍庫で保管していた。


 父方の実家は昔の農家の雰囲気が色濃く残っていた。居間には掘りごたつがあり、台所は土間で、お風呂も渡り廊下を通っていくという作りだ。しかし私が小学生高学年頃に建て増しし、農機具入れを兼ねた別棟と、かまど部屋を新しく作った。正月など親族が大勢集まる際には、台所と隣り合わせのかまど部屋を伯母や母たちが行き来し、食事を作っていた。


 父は五人きょうだいの末っ子なので、年始には私の好きだった同い年のいとこを始め、父のきょうだいたちが代わる代わる訪れた。きょうだいたちは住んでいるところの地名を取って「○○のおばさん」などと呼ばれていたので、伯父以外は未だに名前を覚えていない。お年玉をたくさんもらえるのがただ嬉しかった。


 家族で初詣に行くのは「村松山虚空蔵堂むらまつさんこくうぞうどう」。「十三参り」と言われる数え年で十三歳の時に子どもがお参りすることで有名なお寺だ。私も「十三参り」をしたはずだが、あまり記憶に残っていない。ちなみに現在は笠間稲荷神社に行っている。


 一月二日には車で母方の実家のある福島県に向かう。高速道路が通ってからはかなり楽になったが、以前は半日ほどかかって国道を走っていた。カーラジオでは箱根駅伝などを聞いていた。

 母方の実家でも一晩泊まり、いとこたちと遊んだ。母も三人きょうだいの末っ子なので、伯父や伯母からお年玉をもらえて嬉しかった。一月三日には車で東京へ帰るというハードな帰省だった。


 正月と言えばおせち料理だが、家のおせち料理は母が準備していた。私が好きだったのが、にんじんとするめいかで作る「いかにんじん」。これが母の実家である福島県の郷土料理だと知ったのはやはり大人になってからだ。我が家の「いかにんじん」はさらに昆布が入っている。コロナ禍で帰省していないのでずいぶん食べていない。長弟も年始が忙しい仕事なので帰省しないため、正月に一家全員が顔を揃えることは久しくないのが寂しい限りである。


 次回は話を高校時代に戻し、学校の授業の話をする予定だ。

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