第37話 アカペラの「涙をこえて」

 私のクラスメイト、Yさんはおとなしく目立たない女性だったが、心臓病をわずらっており、体育の授業はいつも見学していた。ただ、外見では顔色が悪いくらいしか心臓病だと思わせるものはなく、クラスメイトたちも普通に付き合っていた。


 ある日、Yさんが休み時間に困った表情をしていたので聞いてみると、教室で遊んでいる男子のせいで、後ろのロッカーに行けないというのだ。心臓病の彼女が男子の間に割って入るのは大変だと思った私は、彼女の代わりにロッカーに行き、Yさんの荷物を取ってきて感謝された。


 それは音楽の授業でベートーベン『運命』を鑑賞した日のことだった。Yさんの体調が急変し、学校から救急車で搬送されたのだ。Yさんはそのまま帰らぬ人となった。

 放課後、Yさんが亡くなったことを担任から知らされた私は、合唱部の部室に行っても練習する気になれなかった。事情を知った他のクラスの部員も同じだった。

 しかし、一番取り乱していたのは私に嫌がらせをしていた女性クラスメイトだった。「これからもっと楽しいことがあったり、男の子と付き合ったりできたのに、どうして死んでしまったんだよ」と泣きじゃくっている。そんな彼女を見た私は、彼女も人の死に悲しむ心を持ち、自分と同じ感性を持つ人間なのだと初めて感じた。


 結局合唱部員たちはYさんへのレクイエムとして、その時練習していた「涙をこえて」を歌った。顧問もピアノ担当の部員も部室にいなかったので、音楽室の窓に向かってアカペラで合唱したのだ。

 「涙をこえて」はもともとNHKの音楽番組『ステージ101』で歌われたもので、悲しみを乗り越えていこうという歌詞は今の気持ちに非常に合っていた。歌い終わった時には日も傾いていた。


 後日、私たちはYさんのお葬式にクラスメイトとして参列した。私にとっては初めてのお葬式だった。

 Yさんが亡くなった後、音楽の授業で男性音楽教師は「あの『運命』の出だし、ダ・ダ・ダ・ダーンが心臓に悪かったのかな」と寂しそうに語った。もちろんそんなことはないのは皆分かっていた。人の生死は紙一重で、いつ訪れるか分からない。そしてその悲しみを乗り越えていかなくてはいけないのだ。


 その後、泣いていたクラスメイトは合唱部にいつの間にか来なくなったため、嫌がらせもなくなった。だが、私はこの出来事から性善説を信じるようになった。もちろん救いがたい悪人という存在もいることも年を経たため理解できるのだが、自分の小説では性善説を重んじたいと思っている。


 Yさんが亡くなった一年後、中学三年生になった私は当時のクラスメイト数人とYさんの自宅を訪れた。仏壇に線香を供え、脇にあった鈴を棒で叩いたが、鈍い音しか鳴らない。実は私が叩いていたのは鈴ではなく金属椀だったのだ。笑い話にも出来ない出来事だった。


 合唱部の話を長々と続けたが、そろそろ次回でまとめたい。

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