第21話 ダイヤブロックの家、『パーマン』との出会い
執筆中に例によって思いだしたことがある。わが家には昔からダイヤブロックで出来た家のオブジェがあった。中の様子を見たくて屋根を外したりしたものだ。思い立って調べてみると、「ダイヤブロック3LDK」というセットだったことが判明した(参考 legotrain.seesaa.net/article/383010787.html)。わが家にあったのは1970年代後半に発売された二代目だと思われる。パーツはかなりなくしてしまったが、今でも実家に残っているのではないだろうか。
さて、気を取り直して本編に入ろう。
私の人生に大きな影響を与えることとなる藤子・F・不二雄『パーマン』との出会いは1980年、小学校3年生の時だ。この時、TVの『ドラえもんスペシャル』で、『ドラ・Q・パーマン』という話を放送し、タイアップとして雑誌『コロコロコミック』に原作『パーマン』の中から、「ワニザメ船長」「鉄の棺おけ突破せよ」が再録されたのだ。例によって児童館で『コロコロコミック』を読んでいた私は、「鉄の棺おけ突破せよ」のパーやん(法善)がむち打ちされるシーンに今まで読んでいた『ドラえもん』にはない刺激を受けた。
その後児童館に入った『藤子不二雄自選集』というハードカバーにも『パーマン』の巻があった。1982年発売なので、アニメ開始前に読んでいたのかもしれない。
1983年3月に映画『バードマンがやって来た!!』が公開され、4月からTVアニメの放送が始まった。当時の番宣では着ぐるみのパーマンがスキー場で滑っていたのを覚えている。映画館で映画を見ることはできなかった私は弟たちと一緒にTVを見ていたが、中学生がアニメを見ていると親の視線が痛い。そのうちに私は子ども部屋の入口からこっそり見るようになった。
83年の夏過ぎになると、夜の布団の中でパーマンたちの話を妄想し、台詞のやりとりをするようになった。中でもお気に入りはパーマンたちを選んだ監督者、バードマンだ。本格的にはまるきっかけの回は116話「休暇は楽し」。パーマンたちをねぎらうために休暇を出したバードマンだが、パーマンたちは結局事件解決に出動してしまい、バードマンはパーマンたちに「いい加減な人」だとなめられていることがあからさまになる話である。「親の心子知らず」と感じた私はバードマンに同情し、そのうちにバードマンとパーマンたちを親子に見立てて妄想をくり広げるようになる。
私の行動範囲にある本屋は団地内にある一軒だけで、時々自転車で立ち読みに行っていた。引っ越し直前、新刊コーナーにてんとう虫コミックス『パーマン』5巻(1983年10月25日初版)が平積みされており、私は買いたかったが持ち合わせもないので諦めた。引っ越し前夜、なぜか長弟がその『パーマン』5巻を持っていたのだ。友人に借りたのだと思った私は、今夜読まなければいけないと勝手に思い込んだ。引っ越しの荷造りを終え、広くなった居間に一家が布団を並べて眠るというイレギュラーな状況で、私は弟の枕元にあった『パーマン』5巻をこっそり読みふけった。
翌日、寝不足の私は父の車に乗って引っ越し先の茨城県に向かった。後部座席に弟たちと並んで座っていた私は、長弟が『パーマン』5巻を持っているのに驚いた。引っ越しの餞別だったのか、それとも親に買ってもらったのだろうか。理由はともかく、私はいつでも『パーマン』が読めると安堵しながら東京を離れた。
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