第20話 最初の中学校の想い出

 いろいろあったが、ようやく東京時代の中学校の想い出に入ろう。

 私は地元の公立中学に入った。制服はセーラー服ではなくブレザータイプで、シャツにネクタイが付いていた。今までネクタイに縁がなかった私は、父親にネクタイの締め方を教わり必死に練習した。通学路も代わり、以前変質者が出た場所を通らなくても登校できるようになった。


 中学校は川縁にあり、教室の窓から授業中よく川を見ていた。夏は川風が入ってきて気持ちよかった。

 校内でお気に入りの場所はいくつかあった。教材準備室のような部屋にあった遺跡遺物のレプリカが並べられたショーケースは見てて飽きなかった。そして渡り廊下の側にあった一間だけの平屋。宿直室として使われていたという話だが、バラックのような簡素な作りにそそられた私は窓越しに室内を覗き、ここでの生活を妄想していた。『パーマン』二次創作の一作目『その後のパーマン』で昭和35年にタイムトラベルした時ミツ夫たちが住んでいた貸家はこの平屋がイメージ元であり、『一蓮托生』の横澤家のバラックにも影響を与えている。また、以前話した『ひな祭りは記念写真で』の元ネタとなった友人に転校を切り出した時の会話は、この平屋の側でしたことをはっきりと覚えている。


 中学校でも校内放送があり、放送委員会に入らなかった私は純粋に楽しんでいた。昼食時には当時の流行歌が流れており、ここで村下孝蔵の『初恋』(1983年2月発売)を初めて聞いた私は感動し、廊下に出て一人聞き入っていた。

 昼食開始時にはホルスト『木星』、昼食後の清掃タイムには確か『新世界より』がBGMとしてかかることになっており、お気に入りの曲となった。


 部活動は演劇部に入った。小学校の文化祭で劇をしたくらいの私が演劇部を選んだのは、6年生の時、いとことごっこ遊びをした楽しい記憶があったからだろう。毎日の活動は発声練習をしたり、台本を読みあいするのがほとんどで、本番の舞台に立つ前に転校してしまったので演劇との縁はそれきりになってしまった。


 中学校では英語の授業が始まったが、開始当初の授業で教師がビートルズの『レット・イット・ビー』をカセットで流し、知っている人がいるか当てさせた。当てられた私は当時CMで使われていた記憶から「『悪霊島』のテーマ」と答えて不正解となった。


 当時学校で聞いて印象に残っている曲は松任谷由実『REINCARNATION』(1983年2月発売)。体育館でこの曲を使って他学年がダンスの授業をしていたのだ。「生まれ変わり」という曲のテーマは当時気に入っていた児童文学『ぼっぺん先生と帰らずの沼』に通じると感じ、同じ体育館で授業を受けていた私は自分の授業などうわの空で曲に耳を澄ませていた。これに限らず歌を聴いて頭の中で自作物語の映像を思い浮かべるというのも当時からよく行っていた。


 以前にも話したが、夏の臨海学校は外房の海へ行った。民宿に泊まるのは初体験で、海の家のような広い部屋は開放的だった。土用過ぎの海はクラゲがたくさん出ており、救護班だった私はクラゲに刺されたクラスメイトにアロエの葉を塗るのが仕事だった。アロエも当時はまだ珍しく、刺し傷に効くというのも初耳だった。


 私が父親に10月に茨城県に転勤することを知らされたのは9月になってからで、家族も一緒に転居することになった。父の会社は元々茨城県にあり、恐らく東京に戻ることはないと考えたのだろう。中学校では体育祭に備えて演目の練習が始まっていたが、スケジュール的に参加できない私はメンバーから外れ、見学班になった。小学校時代からの友人や寮の遊び仲間の何人かはお別れの手紙やプレゼントをくれた。


 引っ越し前日の夜は私にとって特別な想い出になるが、その話は次回に譲りたい。

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