第19話 おやつやデザートの想い出など

 前回でギターのレッスンをしていたことを書いたが、我が家には私のために買ったエレクトーンもあった。とはいえ教室などでレッスンは受けなかったので弾けるようにはならず、完全に置物になっていた。


 小学校時代から中学校時代にかけ、おやつは母親が各自のタッパーウェアに入れて置いておくのが習わしになっていた。タッパーウェアの容器はホームパーティー商法で販売されるため、母親もどこかで参加して入手したものと思われる。商品としては普通に優秀で、現在も実家では現役で使われている。

 母親のはまり物と言えば、瓶に入った紫色の健康飲料もあり、私も時々飲まされた。名前は覚えてないが、通販で購入していたと記憶している。


 時にはおやつを母親が作ることがあった。ふかし芋や茹でトウモロコシだ。私が好きだったのは安売りされていた袋入りのパンの耳で作ったフレンチトーストだった。夏休みになると、アイスクリームメーカーで作ったアイスや、プリンの素で作るプリン、「シャービック」で作るシャーベットなどが加わった。もっとも、母親が内職を始めてからは手作りおやつはなくなった。


 小遣いで買う駄菓子はともかく、頂き物のお菓子や食品は自分では買えない物なので特別だった。私が好きだったのは『ヨックモック』の「シガール」で、親も覚えていたのか大人になってからも実家からの荷物に入っていたことがあった。お中元とお歳暮で毎年送られてくる銚子の瓶詰め角煮も朝食のお供として気に入っていた。

 祖父母の実家に帰省すると用意されている銘菓も大好きだった。茨城の父方は「吉原殿中」。埼玉銘菓の「五家宝」によく似た菓子だが、「五家宝」を大人になるまで知らなかった私はこちらが基準である。福島の母方は『かんのや』のゆべし。もちもちとした食感が特徴で、中にはあんこが入っている。このタイプは福島県の特徴だとWikipediaにはあった。


 果物では桃が大好きだった。家でデザートとして出るフルーツは色々あったが、りんごやデラウェアのブドウ、スイカ、2つに割って上に砂糖をかけて食べるグレープフルーツが多かった。冬はミカンだが、白い筋(アルベド)を取ったり、房の皮だけ残すのが面倒という理由で嫌いだった。それがないママレードやオレンジジュースは好きである。

 引っ越し先は庭のある家だったので、父親が数種類の果樹を植え、その中に桃もあった。桃の木は大きくなると実をつけ、夏の食卓を賑わせてくれた。


 次回こそは中学生活を語りたい。

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