第14話 「エホバの証人」と私

 私のアルバムにある一枚の写真。建物のロビーで私と長弟、母が映っている。実はこの写真、「エホバの証人」のイベントが行われた会場で撮影されたものだ。撮影したのは同行した信者だと思われる。

 母が「エホバの証人」信者になったのは茨城にいた頃だ。近所の主婦が信者で勧誘されたらしい。とはいえ、幼稚園児だった私は何も分からず母の行くところに付いていった。東京に引っ越した後も電車に乗って隣駅の「王国会館(集会所)」に通っていたが、しばらくして近所の団地の一室に切り替えた。母が弟を乗せて漕ぐ自転車の後ろを、私は自分の自転車で付いていった。団地の集まりは私には退屈なものだったが、聖書を読むことでやり過ごしていた。


 父親は母が「エホバの証人」信者であることに反対していた。「王国会館」や団地の集まりに行くのは平日だったため、会社から父が先に帰宅していて言い争いになったこともあった。そのため、団地の集まりが終わると私たちはすぐに帰宅した。自転車を早めに漕ぎ、寮が見えてくると我が家に明かりが点ってないか確認する。真っ暗だと安心して帰宅できた。今思えば恐らく父も無益な争いをしたくないので集まりのある日は遅めに帰宅していたのではないだろうか。


 「エホバの証人」といえば戸口勧誘。私も母に連れられて何度か行ったが、一番覚えているのは一緒に勧誘をしていた信者の子どもが服を汚してしまい、急遽自宅に戻って私の服を貸す羽目になったことだ。密かにお気に入りだった服を貸されて私は不満だったが、何も言えなかった。

 「エホバの証人」信者が集まる大きな集会にも行ったことがある。会場は競輪場で、地下の通路にレジャーシートを敷き、館内放送で流れる説教を聞くのだ。この時は二日間通った記憶がある。もちろんやることのない私は聖書を読んだり、ノートに絵を描いたりしていた。


 母は「エホバの証人」の戒律に従おうと努めていた。誕生日会もなかったし、クリスマスも父が買ってきたケーキを食べるくらいだった。私や弟が悪いことをすると、母は父のベルトを鞭代わりにして罰を与えようとする。カーテンの影に隠れて無駄な抵抗をしても結局鞭打たれてしまう。耐えがたい苦痛だった。


 私が日記を書いていたことは前回述べたが、この日記に書きたくても書けなかったことがある。学校帰りに迷い犬を見つけた私とクラスメイトたちは飼い主を探そうとしたのだが、この日は団地での集会日だった。私は皆に断って仕方なく帰宅したのだが、真の理由はクラスメイトにも、父親が読むかもしれない日記にも書けなかった。日記には「突然帰りたくなった」などと意味の通らないことを書いた記憶がある。自分を騙して書く日記は辛かった。


 「エホバの証人」が私が与えた最大の影響は、戒律に違反しているのではなかろうかというおびえを常に持つようになったことだ。暴力を禁止する戒律からすると、「メカザウルス」と闘うような話を考えている私は失格なのではないか。聖書のイエスの説教の一節に「作物の種をいばらの中に蒔く」というたとえ話があるが、私の心にはいばらが生えているのではないか、そうずっと考えていた。

 転校する直前、新しく出来た王国会館に行った際、信者の連れていた子どもがパーマンの絵の付いているTシャツを着ていた。その頃『パーマン』にはまりかけていた私は(パーマンはいいんだ)と密かに安堵した。


 母の「エホバの証人」信者としての活動は私が中学校の時の引っ越しで終わった。今では実家の奥に教団の書籍が数冊転がっているくらいで、一般人に戻っている。どういった経緯があったのか、恐くて母に聞いたことはない。もちろん父親に聞く気にもなれないし、小さかった長弟もどれくらい覚えているか分からない。

 自分が「エホバの証人」に関わっていたことはこれまで友人にも親戚にも話せない秘密だった。こうやって公の場で語ることに抵抗が減ったのはカクヨムで公開した『泥中の蓮』あとがきで触れたことが大きなきっかけになっている。

 そして誰にも言えない秘密を持つ私が、正体を隠してヒーローになる『パーマン』に惹かれていったのは運命だったのかもしれない。

 ただし小学校時代の話で語り残したことが多少あるので、もうしばらく想い出話を続ける予定だ。

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