第12話 番外編 藤子不二雄A先生ご逝去に寄せて

 2022年4月7日、藤子不二雄A(正しくは丸の中にA)先生の訃報を勤務先で知った。近年入院等をされていたので体調は気がかりだったが、あまりにも突然の知らせに驚いた。

 幼少時、我が家に初めて来たA先生のコミックスはてんコミ『怪物くん』2巻。当時は藤子アニメ全盛期で『怪物くん』『忍者ハットリくん』『プロゴルファー猿』などを毎週楽しんでいた。パーマニアとしては、『忍者ハットリくん+パーマン』の映画原作を手がけていただいたのも忘れがたい。

 二人で一人の藤子不二雄が藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aに別れてからは、TBSのバラエティ『ギミア・ぶれいく』のレギュラーとして活躍し、毎週のようにTVで拝見することが出来た。『笑ゥせぇるすまん』等のアニメや『プロゴルファー猿』の「旗つつみ」は本当に出来るかチャレンジしたり、モノクロ藤子アニメの放送をしたりした。貴重そうな回は当時まだ高かったビデオテープに録ってある。

 その後入会した『ネオ・ユートピア』のイベントや本のサイン会等で、A先生にお目にかかる機会もあった。『ネオ・ユートピア』のイベントでは、喪黒福造の実物大人形の頭を被ったことがある。A先生とは『Aの人生』サイン会でお話ししたのが最後だ。その時には「きてよパーマン」の作詞はA先生ではないかという疑問を確かめようとしたのだが、結局分からなかった。


 中学生時代に『藤子不二雄ランド』が創刊され、『怪物くん』は高校生の時に読破した。小学生の時、そろばん塾の待合室に置いてあったチャンピオンコミックの広告で見てからずっと気になっていた『魔太郎がくる!!』も同様である。巻末連載されていた『タカモリが走る』も飼い犬の視点から人間との暮らしを描く話で私は好きだった。大学生になってからは古書店にも足を運び、『無名くん』なども読破した。サンケイ新聞で連載されたタイムトラベル+まんが道的作品『夢トンネル』も私製復刻版で読み気に入った作品である。


 藤子不二雄Aの日本の創作界に対する功績は計り知れないが、一番は『怪物くん』の「怪物界の後継者が修行のためお供三人と人間界に来る」というフォーマットを確立させた事だと私は思う。アニメ化されたフォロワーでは『怪物王女』『錬金3級まじかる?ぽか~ん』が当てはまる。『ドロロンえん魔くん』『こてんぐテン丸』などもこのバリエーションだろう。もちろん『忍者ハットリくん』『プロゴルファー猿』も多くのフォロワーを生んでいる。

 そしてもう一つの代表作である『まんが道』や様々なエッセイで草創期のまんが界を記録に残し、仲間たちの功績を事あることに語る語り部として後半生を過ごされたことも特筆すべきことだろう。

 『トキワ荘』の記念館設立までを見届け、この世を離れた安孫子素雄氏。たくさんの土産話をかつての仲間たちに披露していると思いたい。


 私が執筆した長編『一蓮托生』には貸本マンガ好きで、手塚治虫の『新寶島』を読む征一という少年が登場するが、彼は当時全国にいたであろう藤本・安孫子少年のようなマンガ好きの仲間という思いが込められている。主人公かつらと弟康史郞の二人暮らしを書きながら脳裏にちらついていたのは、『怪物くん』の歌子とヒロシの姉弟だった。


 私のサイト名であり、『青春ラジメニア』でのラジオネームでもある『パーマニアの指定席』は藤子A先生のエッセイ『パーマンの指定席』が元ネタである。「パーマン」はA先生がゴルフの「パー」に引っかけたものだと知らずに名付けたといういきさつがある。


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