第8話 旅行・レジャーの想い出
我が家で旅行をするときはほぼ帰省だった。私の交通事故でキャンセルされた沖縄海洋博の後、家族旅行をしたのは小学5年生の冬の日光旅行だ。家族でホテルに泊まるのは初めてだった。部屋には100円玉を入れて見るテレビがあり、ここで『逆転イッパツマン』2話を見たのを覚えている。ホテルの外の明かりに照らされた雪景色も記憶に残っている。
帰省した時には近くの海に海水浴に行った。茨城の父方の実家では阿字ヶ浦に行くのが定番だった。私はあまり泳げないが、波打ち際で戯れているだけで楽しかった。
福島の母方の実家の近くにも海があったが、ほとんど行かなかった。というのも、私がおぼれかけた事件があったからだ。
小学校3.4年の頃、私は家族やいとこたちと福島の海に行った。かなり遠浅の海で、海に入っていた私は足下を波にさらわれた。おぼれかけた私を父親の力強い手が引き上げてくれた。お陰で私は無事だったが、一瞬命の危機を覚えたことは強烈に記憶に残っている。
小学校時代には東京にいたこともあり、レジャーには時々連れてってもらった。後楽園ゆうえんちで「ドン・チャックショー」を見て指人形を買ってもらったり、今のお台場で開かれた宇宙科学博覧会に行き、宇宙船の模型前で撮った写真が残っている。
他には小学校の林間学校で山中湖に行ったのも思い出深い。クラスメイトと泊まるのも初めてで、定番の枕投げをしたり、早朝の高原の澄み切った空気を味わったのは新鮮な体験だった。
東京時代では中1の時に行った臨海学校も覚えている。外房の海に行ったが、体調が悪く海に入れなかった私は救護班担当になり、クラゲに刺された生徒にアロエの葉を塗っていた。
レジャーでは定番の映画だが、我が家では映画館に行く習慣はなかった。しかし、一度だけ行ったことがある。きっかけは弟が父と『のび太の恐竜』に連れて行ってもらったのがうらやましく、自分も連れてって欲しいと頼んだことだ。父親は当時公開されていた『じゃりン子チエ』に私を連れて行った。映画館の一番前の席で見たことを覚えている。しかし、併映の『フリテン君』が始まると父親は映画館を出ようと立ち上がった。『フリテン君』も見る気満々だった私は非常に残念だったが、父親には逆らえなかった。結局現在まで『フリテン君』を見る機会はない。
クラスメイトたちと隣町に出かけたりするのも私にとってはちょっとした冒険だった。橋を渡って隣の区にある公園に自転車で行った時には、途中にある駄菓子屋に入り、鉄板でもんじゃ焼きをした。私はここで初めてもんじゃを食べた。今でも自分でもんじゃを作るときにはベビースターラーメンを入れるのはこの駄菓子屋もんじゃが原体験としてあるからだ。
やはり自転車で川をさかのぼり、隣町にある大きな森に行ったのも覚えている。現在は提供公園になっているようだが、当時はまだ私有地だったかもしれない。うっそうとした森は家の周りにはなく、肝試しのような気分だった。
レジャーとは違うが、家の近くにある授産施設(現在は就労施設センター)で年一回開かれる文化祭も楽しみだった。普段は入れない施設の内部を見学でき、施設の人たちが作ったクッキーなどを買うのだ。実際に施設で行っている仕事を体験できるコーナーもあった。ある年、文房具セットを作る仕事の体験があり、私は張り切ってどんどん終わらせていると、職員に「施設の人がやる分がなくなるから」と止められてしまった。私は施設の人たちの立場も考えなければいけないのだと初めて自覚させられた。
次回は災害の想い出を語りたい。
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