第2話 時は3月のある日

 小学校時代、夕食中にTVを見ることは禁止だった。その代わりとして活躍していたのがカセットテープだった。アニソン・特撮のオリジナルやカバー曲(パチモン)が入ったオムニバステープを買ってもらったが、それだけでは物足りなくなり、生テープにTVから流れるアニメ等のOP、EDを録音するようになる。このアニメOP、EDの録音テープ作りは大学生頃まで続き、私のアニソン好きの原点となっている。さらに藤子アニメの全盛期になると、『ドラえもん』や『忍者ハットリくん』本編を録音したり、TV放送されたアニメ映画を録音して流すようになった。

 私には弟が二人おり、上の弟は3歳差、下の弟は8歳差である。そのため弟のつきあいでアニメや特撮、幼児番組を見ることが多かった。我が家の朝はフジテレビで『ママとあそぼう!ピンポンパン』『ひらけ!ポンキッキ』を見ており、中で流れる歌のコーナーがお気に入りだった。


 好きだったアニメは藤子作品や「タイムボカンシリーズ」だ。特に『ヤッターマン』は自分で話を考え、カセットテープに声優の声真似をしながら録音したほどだった。この時の「ドクロストーンのヒント」は「豆腐」という設定だったと記憶している。後年『ヤッターマン』の監督、笹川ひろしが総監督に付いた藤子アニメ『パーマン』のファンになるのは運命だったのかもしれない。


 タイムトラベルにも興味を持っており、タイムトラベルテーマの児童文学も好きだった。残念ながらタイトルは忘れてしまったが、タイムトラベルすると現地の服に自動的になる話がお気に入りだった。初期の私の作品にタイムトラベルものが多い理由でもある。

 布団の中の創作でもタイムトラベルものを作り、最初に恐竜の時代、次に江戸時代に行く話を考えた。たまたま『ピンポンパン』内で放送されていた人形劇が同じ順番でタイムトラベルしたので勝手に興奮していた。


 ずっと頭の中だけで考えていた文章を紙に書いてみようとしたきっかけは、TVで放送したドラえもんの映画『のび太の大魔境』を録音したことだった。何度も聞いているうちに話に感動した私は、無謀にもノベライズにしようと思い立ったのだ。台詞はテープがあるので正確に書き写せる。私は大学ノートにこう書き出した。

『時は、3月のある日。』

 だが、このノベライズはすぐに中断する。学校で続きを書いていた私はノートを取りあげられ、男子にからかわれたのだ。いたたまれなくなった私は書くのを止めてしまった。当時の記憶では、からかわれて教室に戻りたくなかった私は校内の用務員室に逃げ込み、用務員さんたちに見守られながら一時限ほど泣いていた。


 私の小学校には当時珍しかった通級指導教室があり、昼休みにはプレイルームに置いてあった箱庭を使って遊ぶのが好きだった。他には図書室で本を借りて読みあさっていた。今にして思うと私は発達障害なのかもしれないが、当時は全くそんな意識はなかった。

 友達と遊ぶことはあまりなかったが、放送委員になって昼休みにレコード室から選んだ音源を流したり、掃除や下校のアナウンスをしてから音楽を流すのは楽しかった。雨の日は「グリーンスリーブス」と決まっていたのを懐かしく思い出す。

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