第2話 魔術保険

 案の定、来客は仕事の依頼だった。


「ベルガモット侯爵自ら、このような場所においでになるとは恐縮です」


 時計塔の応接間に俺は案内し、そして、困惑する。

 

 俺は、ゲームのラスボスになるほどの高ランクの魔術師、しかも王族の子である。高位の貴族なんて緊張する対象にはならない……なんてことはない。


 大貴族の来客に、普通に俺はびびった。


 俺の隣のクリスも、年相応におどおどとしている。

 普段の生意気な態度はどこへ行ったのか、とからかいたくなるけれど、そんな余裕はない。


 ベルガモット侯爵クロード・フォードといえば、王国の重臣である。現在は海軍卿を務めていたはずだ。


 ゲームでは、王国の忠実な臣下として、たびたび主人公たちを助けてくれる。良心の塊みたいな存在だ。


 その彼が、将来のラスボスに何の仕事を依頼しようというのか。

 ベルガモット侯爵は50代なかばで、貫禄のある紳士だった。


 がっしりとした体格で、白髪だが豊かな髪とひげ、そして渋い眼鏡が印象的だった。

 いかにも高級そうなスーツを着ているが、嫌味ではない。


 赤い長椅子に、侯爵は腰を下ろし、微笑む。


「なに。貴族だからといって、いつも人を呼びつけるわけでもない。相手が実力のある魔術師とあれば、敬意を払うのが当然だ」


 にこにことしながら、侯爵は言う。


 嫌な予感がする。


 侯爵が俺に好意的な態度を示すのは、もちろん、侯爵の言葉通り、俺の実力を買ってくれている側面もあるだろう。


 侯爵が、身分で人を判断しない好人物だからでもある。


 ただ、最大の理由は、おそらく違う。

 こういう丁寧な態度を取る貴族は、たいていの場合……俺に面倒な仕事を押し付けようとするのだ。


 そして、俺の予感は当たった。

 

「折り入ってストリックランドさんにはお願いしたいことがあってね。レノックス伯爵の紹介なのだが」


「私でお役に立てることだと良いのですが」


 俺は慎重に言葉を選ぶ。

 

 レノックス伯爵といえば、俺の学生時代の友人だ。そして、仕事の仲介者でもある。


 侯爵は、俺に一枚の紙を差し出した。


「君には魔術保険の調査員としての仕事をお願いしたい」


「ライト保険組合の仕事ですか?」


「そうだ。私は組合の保険引受人だからね。で、魔術保険についての調査が必要なんだ」


 俺たちの住むエセックス王国は、このRPGの世界で最も経済的に進んだ国だ。19世紀の大英帝国さながらの繁栄を誇っている。


 そして、その王都にある保険の同業者組合が、ライト保険組合だ。

 

 組合に所属する個人資産家が保険引受人となり、火災保険、海上保険といった保険を売っている。


 その一つに魔術保険がある。貴族や魔術師たちが保険料を払うことで、魔術に関するあらゆる事故・事件に関する損害を補償する保険だ。


 その金額は時として莫大なものとなる。


「ハリソン魔術研究所の研究員が、私の保険の加入者でね。先日、魔術事故で死亡したのだが、どうも保険の受取人に怪しいところがある」


「つまり、わざと起こされた事件でないか調査する必要があるということですね」


「そのとおりだ」


 保険が支払われるときに、調査を行うことがある。事故や事件がわざと引き起こされた可能性があるときだ。


 日本でも生命保険の対象者が殺され、受取人の殺人犯が保険金をだまし取ろうとすることがある。

 いわゆる保険金殺人だ。


 魔術保険についても、同じことが起こりうる。


「受取人は、悪い噂ばかりの同僚魔術師だ。故意に殺されたのではないかと疑う理由が十分にある」


 侯爵は言う。

 もし受取人による殺人であると証明できれば、保険金を支払う必要がなくなり、侯爵は損をせずに済む。


 魔術保険の調査員には特殊な知識が必要だし、魔術師と対決することにもなる。

 だから、魔術師である俺が専門的に請け負っているのだ。


 危険性はあるが、かなり儲かる仕事でもある。


「報酬は弾もう」


 侯爵は、成功報酬を含めて、十分に高い値段を提示した。

 だが、俺は言う。


「ありがとうございます。ぜひお引き受けさせていただければと思いますが、一つだけ。私は事実をそのままにご報告します。魔術は人と社会のためにあれ。それが魔術師の職業倫理ですから」


「かまわないよ。もしただの事故であってくれれば、それはそれで良い。私が許せないのは、殺人者に金を支払うことなのだから」


 もし殺人だとすれば、それは重たい話になる。

 金のための人殺し。それは悪魔の行いだ。


 俺は悪役として転生した。だが、保険金のための殺人者は、物語に必要な悪役ですらない。

 それは、ただの悪人――しかも極悪人だ。


 事務的な話が済んだ後、侯爵は時計塔を辞去した。


 さて、と。


 俺は立ち上がった。クリスが不安そうに、青い瞳で俺を見つめている。


「また……危ないお仕事ですよね?」


「まだ危ないと決まったわけじゃない」


「でも、この前の保険調査では、相手の魔術師はお師匠様を殺そうとしました」

 

「だけど、俺はかすり傷一つ負わなかったよ」


 俺は微笑んで見せる。


 たしかに危険性の高い仕事ではある。


 だが、俺は悪役だが、悪人を見過ごせるわけではないのだ。

 早速、調査を開始することとしよう。




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