第2話 俺はタダの『郵便屋』



 目算で、直線距離、約30メートル。

 自信の純粋な身体能力で、すぐにトップスピードに乗って一瞬でその距離を走り抜けた。


 逃亡犯の背中はすぐに近くなる。

 ちょうどいいところを見計らい、タンッと屋根から飛び降りる。



 小さな浮遊感の後に、急降下。

 俺自身の体重に背負っている荷物たちの質量が加わって、重力に身を任せ、落下して――。

 


 きっと勝利を確信でもしていたのだろう、嫌な顔でニタニタと嗤うその男の後頭部を、上から足裏で容赦なく叩き落とした。


「グヘブッ」


 男の体を、完全に地面に陥没させるには至らない。

 凡人の俺にできるのなんて、結局このくらいの事なんだよな、と、我ながら自然と苦笑する。


 それでも足の下からはしゃがれた声はして、少なくとも逃亡の歩みは止まった。

 代わりにヒュッと空を割く『銀』が俺に急速に迫ってきはしたが、切っ先が俺のわき腹に穴を開ける前に、軽く手でトンと腕を払い、軌道をずらす。



 驚いたような男の顔、払われた手はまるでスローモーションだ。

 俺は目の前に差し出されるが如くのその腕を、付いている勢いをそのまま利用し、簡単に捩じ上げる。


「ぐあっ!」


 痛そうな悲鳴が上がったが、俺の知った事ではなかった。

 ついでにヤツの頭を左足で踏みつけ、今度こそその顔面を地面に押し付ける。

 勢いあまって若干「叩きつける」といって差し支えない感じにはなったが、その辺はご愛敬というやつだ。



 数秒の間の後、抵抗していた捩じり上げた手からナイフが零れ落ちた。


 これで安心、と思ったが、地面に押し付けている顔をわざわざ動かしてまでこちらを見た男は、ニヤリと笑う。



 あぁ、切り札がある時は、無駄にそんな顔をするもんじゃない。

 ――まぁ、顔を見ていなかったとしても、集束していくこの見えない圧力に気付かない筈はないんだけど。


「『大地に潜む土の精霊よ、瓦礫の雨と――』」

「『アンチマジック、土礫どれき』」


 先回りして短文詠唱をしたお陰で、男の中で膨れ上がっていた魔力が弾けるように霧散した。

 続けて「『付与・アンチマジック、オール』」と唱えると、男の背中にポウッと魔法陣が浮かぶ。


「くそっ、発動魔法の先読みに、無効化魔法。その上詠唱省略とか……なんでそんな高度な事をできるヤツがこんな所に!」


 今にも噛みついてきそうな勢いの男に、実に忌々しそうな顔をされた。

 まるで「俺と出会った自分の運が悪かった」みたいな言い方だが、一体何を言っているのか。


「魔法の先読みができたのは単にお前が省略なしで魔法を使ってたからだし、無効化魔法は、特定のものとか範囲を絞って小さく使えばそう難しくはない。詠唱省略もどっちかっていうと初歩だろ? 凡人の俺だって使えるくらいなんだから」

「ぼ、凡人……?! そ、そんな……、流石はこの国の『守護者』を輩出する町って事かよ!」


 悔しそうに言う男。

 その言い分を聞くに、やはり「見た事がない顔だ」と思ったのは気のせいではなかったようである。


「はぁ、はぁ、セルジアート。お手柄じゃ。はぁ、はぁ……」


 声の方を見れば、エプロン姿の老人が息も絶え絶えに立っていた。

 両膝に手をつく事で、どうにかして立っているという雰囲気だ。


 そんな彼に思わず苦笑して「無理すんなよ、じいさん」と声をかける。


「それに『お手柄』って、仕事中にたまたま通りかかったから手を貸しただけだぞ、俺は」

「はぁ、はぁ……じゃあわしは、そういうお主が通りかかって、幸運だったというわけじゃな」


 じいさんは「お陰で助かったわい」と言って、やっと息を整えて笑う。



 優しいその表情は、生まれてこの方ずっとこの街で生きている俺には見慣れた顔だ。


 昔はこの顔で頭をグリグリと撫でてくれたものだけど、俺ももう今年で二十一歳。

 もうそんな褒美をもらう年じゃない。


 それはじいさんも分かっているんだろうが……だからといって未だに子ども扱いはそのままだ。

 向けられた眼差しにこもった賛辞は、どこか子どもをあやすような音をしていた。


 くすぐったくて、気恥ずかしい。

 それに居心地の悪さを感じて、俺はフイッと視線を外し、ついでにじいさんと話し始めた俺に、隙ができたとでも思ったのか。

 手元で暴れ始めた男の頭を改めて地面に押し付けながら、じいさんに「それよりも」と尋ねた。


「警邏は呼んだのかよ」

「あぁ、向かいの花屋の娘っ子に呼ぶように言っておいたから、そろそろ来る頃だと思うが――おぉ来たな」


 たしかに彼の言う通り、警邏の奴らがやってくるのが見えた。


 まだ遠いが、間違え様がない。


 警邏の奴らは分かりやすいのだ。

 道行く町民の中、首から下が動きにくそうなフルフレームなのは、領主に雇われた武人ならではの特徴だ。


 銀色の防具は、警邏騎士の証。

 それをガッシャガッシャと鳴らしながらやってくるので、目だけでなく耳からも情報は拾える。



 あいつらが来たなら、これで俺もお役御免だな。


「セルジアート。お前さんは、冒険者や騎士にはならんのか?」

「え、何だよ急に」

「急じゃないわい。前々から思っておった事じゃ。こうして無傷で悪人を無力化できるんじゃし、町の人間を助ける気概も持っておる。お前さんなら早々誰かに負けるような事もなー―」

「何言ってんだよ、じいさん」


 俺は思わず苦笑した。


「俺は、この辺に出る魔物相手に剣では一人じゃ戦えず、魔法に至っては全属性に適性があるくせに初歩しか出来ない欠陥品だぞ? 身軽さが辛うじて武器になるような俺じゃあ、鎧を身に着けて戦うスタイルにも向かない。つまり、だ」


 こういう時に決まって思い出すのは、幼い頃の誓いの日だ。


 子どもながらに熱を以って掲げられたその夢を叶える事は、我ながら自信なんてまるでなかったが、それでも少しの願望はあった。

 でも、今は。


「各々の分野で大成しつつある、他の幼馴染たちとは違う。――俺は『英雄』にはなれないよ」

「そうかのぅ。わしはすごいと思うんじゃが」


 じいさんは、少し残念そうな顔になる。



 そう言って期待してくれるのが、嬉しくない訳ではない。

 しかし、過度に買いかぶられても困ってしまう。

 期待してくれたのに結局その期待に応えられない事程、格好の悪いものはないと思うから。


 そもそも俺は、今の生活に満足しているのだ。

 只人なりに、自分の長所を活かせる職につけているのだから。



 やってきた警邏騎士たちに男を引き渡して、俺はやっと自由になった体でうーんと大きく伸びをする。


「平凡な俺には『郵便屋』がお似合いだ」


 そう言って、大きなリュック――たくさんの配達物が詰め込まれたパンパンのリュックを「よいしょ」と小さく背負い直す。


「じゃぁ、俺はそろそろ本来の仕事に戻る事にするよ。俺の仕事を待ってくれてる人がいるからな」


 そんな言葉を最後に置いて、俺はタッと地を蹴った。

 数歩ほど走って近くの建物の屋根に上り直し、身軽な俺専用の配達ルートに復帰する。


 下の方で、じいさんの「まぁ確かに『郵便屋』が居なくなったら困る街民は多いのはその通りじゃがなぁ」というぼやきが聞こえた気がしたが、どうせただの独り言だ。


 そもそも誰に何と言われようとも、郵便屋の仕事は俺にとって天職だ。

 手放すつもりも、予定もなかった。



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